第2話:伯爵家の一人娘という立場も重い
もう一度深いため息を漏らしてから私は立ち上がった。今日はもう寝ようと、クローゼットに向かう。
トントン。
扉のノック音が響いた。
「どうぞ」
足を止め、訪問者に入室を許す。
申し訳ない表情で入ってきたのは、さっき一人になりたいと伝えた侍女だった。入るなり、彼女は深く頭を下げた。
「申し訳ございません、お嬢様。旦那様と奥様にご意向をお伝えしたところ、今日は夕食をともにするようにと仰せられました。申し訳ございませんが、このまま食堂へ一緒に来ていただけないでしょうか」
あからさまに嫌そうな表情をしてしまい、侍女の表情がさらに申し訳ない顔になる。
(いつもはそんなことを言われないのに、今日にかぎってなぜ。嫌なことって重なるのよねえ……)
いつまでも、返答しない私に侍女は「どうか、お嬢様。旦那様がお待ちでございます」と深く頭を下げた。
ここで断っても、侍女を困らせるだけである。頭を垂れたまま、微動だにしない彼女に折れるしかない。
「わかりました。行きましょう。だから、頭をあげて、ねっ」
顔をあげた侍女がほっとした表情に変わった。
私は侍女と一緒に食堂へ向かう。食事が終わったら、すぐに湯につかり寝たいと歩きながら伝えた。食堂の前で別れ、入室する。
広い食堂に置かれた十人掛けのテーブル席に父と母が座っていた。いつもは領地にいる祖父母も同席しており、私は両目を瞬かせた。驚く私を、父が手招きする。
「お爺様、お婆様が、なぜ? いつ領地からこちらにいらしたの」
「ルーシー、王太子妃付の近衛騎士に抜擢されたのだろう」
「はい、お父様。今は、引き継ぎの最中です」
「この短期間でよくそこまで出世したものだと感心してな。急きょ、家族が集ったのだよ」
父も母も、祖父母もにこにこし、口々におめでとうと祝ってくれた。とたんに照れくさくなる。
私は頬を赤らめながら席に着いた。
「そんな大げさなことじゃないわよ。たまたまよ、たまたま」
「たまたまでもすごいわ。かつては将軍まで輩出した我が家であっても、昨今は男児に恵まれず、婿を迎えるばかりだったもの」
「そうね、お婆様。お爺様もお父様も、ですものね」
祖父と父の体力と運動能力を受け継いだ私は騎士になったが、伯爵家の正当な流れを汲む母と祖母は騎士にならなかった。
故に、なかなか武官として目立った地位につけずに、大きな派閥からも適当な距離を置かれ、かつての精彩を欠いた名門という状況が続いていた。
私が王族の傍で身辺を守る地位に二十歳で抜擢されることは、伯爵家にとって久しぶりの立身出世にあたる。
「大袈裟ねえ。ただの役職じゃない。王太子妃付の近衛騎士は数人いるのよ。持ち回りで担当するのだから、そんなに立派な立場じゃないわ。そのなかでもまだ一番下なのよ」
「しかし、要人が出席するような場に王太子妃様の護衛につくこともあるのだろう」
「もちろんあるわよ、お父様。通常の夜会でも、妃殿下が出席されるなら誰かが傍に立つわ。だからって、すぐには声はかからないわよ」
「それでも、すごいのよ、ルーシー。名誉とは程遠かった我が家には、久しぶりの朗報だわ」
「お母様も喜び過ぎです」
褒めすぎと私は苦笑する。
「そうなれば、今度は、婿探しよね」
明るい祖母の一言に凍り付く。どこかで言われることだとは分かっていたものだが、よりによって今日になるとは思わず、片頬がひきつった。
「ねえ、アンナ。ルーシーのお婿さんの候補は探してないの。もう二十歳でしょ。探し始めるにしても遅いぐらいよね」
「お母様。今は時代が変わってきているのよ。騎士養成機関を修了する時におつきあいを開始するカップルもいるのよ」
「あら、そうなの。それは恋愛結婚ということかしら」
「ええ、そうよ。家が釣り合えば、そのまま家同士の婚約を後付けするのよ」
「昔、そんな風習なかったのに、時代が変わったのねえ」
「ええ、あなたの時も何組かはカップル成立していたんでしょ」
「今ほど、公認ではなかったがな。木陰でこっそり、可愛いものだったぞ。俺だって後輩から……っで!」
「どうしたんだ? 突然」
「いえ、義父上。ちょっと足を……」
涙目で足をさする父を横目にお母様がすまし顔で咳ばらいをした。そして、母は真剣に私を見つめる。
「ねえ、ルーシー。あなた、養成機関を修了してから、休日はよく同期と遊びに行っていたわよね。私、なにも聞いていないけど、もしかして、それは、殿方だったのかしら」
私は思わず薄ら笑いを浮かべてしまう。
やはり、母には気取られていたのね。
さすがに、今日振られたなんて正直に言いたくない!
「お母様、いやね。そんなことないわよ、みんな同期、同期の女友達よ」
「それ、本当?」
「本当、本当よ。お母様、卒業する時に全員が告白を受けることはないのよ。カップルが成立しないことだってあるの。そう、半分よ。半分ぐらいしか、成立しないんだからね」
母はうろんな目を向けてくる。疑わしいと言いたげだった。
私は、無かったことにするために、違うと言い張ることを決意した。
「じゃあ、今は、決まった男性はいないの」
「いっ、いないわ。仕事一筋だったのよ。そうでなければ、二十歳で王太子妃付の近衛騎士に抜擢されるはずないじゃない!」
言い切ると、祖父と父がうんうんと納得する。養成機関で知らない男性と付き合っていなかったと理解し安堵する祖母。母だけが訝っていたものの、私の言い訳に渋々納得していた。
「では、これから忙しくなるわね。ルーシーのお婿さんを探さないといけないもの」
祖母が華やぐ笑顔を見せた。
(それも辛い!!)
今日振られたばかりで、未練も残っていて、新しい男性を選べるかと言えば、選べない。心にしこりを残したまま、新しい人と関係を作れる気がしなかった。
「待って、待って、お婆様。あと二年は待って、本当に近衛騎士は大変で、しかも王太子妃付の近衛騎士なんてとても大切な仕事をこなしながら、お見合いなんて無理なの。だからお願い、あと二年だけまってちょうだい!」
私は、マシューを忘れるための時間が欲しかった。
必死に言い張り、二年というのは長すぎるとは言われたけど、先が見えない今はなにも考えられないの、と訴えると、父が私の味方に付いてくれて、とりなしてくれた。
「分かったわ。期間は承服しかねるけど、仕事に慣れるまでは待ちましょう」
祖母の一声で、一旦私の結婚話はおさまった。
その後は、にぎやかで楽しい食卓を家族と囲んだ。
笑顔を取り繕い、疲れてしまった私は、湯につかるなり、タガが外れ、はらはらと一人泣いた。