試験の結末は
アトリとアールチカの目の前に現れたのは、あまりにも巨大過ぎる、真っ赤な紙魚だった。その大きさは、魚というより、もはやシャチやクジラのそれである。
「ア、ア、ア、アールチカ〜〜〜!!!!!」
「分かってる!! だがコイツを食うのは少し手間取りそうだ、お前は先に行ってろ!」
しっしと手を振るアールチカの脇を抜け、バイクを強く押して走り出す。わずかに振り返って、アトリは言った。
「む、無理はしないでいいですからね!!」
「馬鹿言え、このアールチカがこの程度のヤツに無理をすることなんてないぞ」
本当に大丈夫そうだ。安心感が違う!
むしろ、今この瞬間に一番窮地にあるのはアトリであった。護衛がいなくなり、足もない。四方から紙魚がすっ飛んでくるのも当然のことだった。
人間の走りでは、紙魚の泳ぐ速さには到底勝てない。
「少しだけ力を貸してやる」
すでに離れたはずのアールチカの声が、何故か耳元でした。
思わず辺りを見回すと、紙魚が、未だかつて見たことがないほどに遅く、こちらに迫ってきていた。
とんでもなく重い水の中を泳いでいるかのような、壁に遮られているかのような速度。これならアトリでも、走って撒けるかもしれない。
「う、お、おおおおおお!!!!!!」
アトリは吼えた。とっくに限界だと思っていた両脚を踏み込んで、地を蹴って駆け出した。
脚が痛い。喉が痛い。背中も痛い。どこが痛いのか分からないくらい、何もかもが痛い。
いつもの試験とは大違い。私に余裕は全くなくて、こんなに遅くて、砂と汗にまみれて全然可愛くなくて。
王都の影がはっきりとしてきて、門に誰かがいるのも見える。みんなが応援してくれている。それだけは、いつもと同じ。
門まであと百メートルくらいだろうか。魔法の解けるような感じがして、紙魚が風を切ってやってくる音が聞こえ始めた。
多分、あの不思議な遅れがなくなったのだ。
いけない、このままでは追いつかれてしまう。
アトリは、バイクから手を離した。
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倒れるバイクの荷台から郵便鞄をひったくり、小脇に抱えて加速する。
荒れ地の中を、一人の少女が猛烈な勢いで奔る。
少女は周囲に一瞥もくれず、まだまだスピードは緩められそうにないと息を吸う。背後には黒い魚が、空を泳いで迫ってきている。
一層速度を上げる少女。汗を滴らせて魚を振り切ろうとする。彼女の肺が悲鳴を上げ始めた。
魚はもう、鞄に食いつかんとしている。
城壁に囲まれた街の、入口がはっきりと見える。
仲間たちが、声を張り上げて応援してくれているようだ。
もう少し、もう少し!
少女は白い長髪をたなびかせ、疾風の如く門を潜り抜ける。
街に入れたところで脚がもつれ、事故さながらに転倒する。みんなが駆け寄った。
全員の心にその勇姿の光景を刻み込んで、少女は地面に転がっていた。
カルヴェルが近付いてくる。しゃがみこんだ彼は、アトリに尋ねた。
「大丈夫か?」
ゆっくりと起き上がったアトリは、微笑んで答えた。
「私も積荷も、大丈夫です」
それを聞いてカルヴェルも、満足げな顔をした。
「合格だ、アトリ」
はっきり告げられたその言葉を聞いて、少女は泣きながら先輩たちとハイタッチする。
「や゛っ゛た゛よ゛ぉ゛お゛お゛!!!!」
「やったわね!!! アトリちゃん!!!」
少女の名前はアトリ。
文字喰らう魚の棲む世界の、立派な配達人である。