ACT.2 《フィスト》十一月大会 01 入場
『アクセル・ロード』第七話の放映から、四日後――十一月の第一日曜日である。
その日は、《フィスト》の十一月大会であった。
瓜子はこの日、《フィスト》の女子ストロー級王者として出場する。
タイトルマッチではなかったが、相手は前王者のラウラ選手を下したこともあるという、海外の強豪選手だ。瓜子がこれまで対戦してきた、海外の強豪選手――ラニ・アカカ選手、メイ、そしてオリビア選手の強さを思うと、瓜子も血がわきかえるような思いであった。
会場は、前回の《アトミック・ガールズ》でもお世話になった『ミュゼ有明』だ。
メイと二人で到着した瓜子は、充足した気持ちで会場を見上げることになった。
三日後の水曜日には、ユーリの試合が放映される。
しかし、瓜子の集中が乱されることはなかった。
いずれ帰国するユーリに、胸を張って今日の試合結果を報告するのだ、と――瓜子の胸に満ちるのは、そんな思いばかりであったのだった。
「よう、お疲れさん。きっちり気持ちを作ってきたようだな」
控え室の前で待ちかまえていた立松は、いつも通りの力強い笑顔で瓜子たちを出迎えてくれた。隣のサキも、普段と変わらぬクールなたたずまいだ。
実は本日も、サブトレーナーである柳原が選手として出場する。それでジョンはそちらの担当となり、サイトーには所用があったため、二週間後に試合を控えるサキまで駆り出されてしまったわけであった。
「蝉川のやつも名乗りをあげてくれたが、サキに頼めるならそれに越したことはねえからな。あいつはけっきょく、客として来るんだっけか?」
「押忍。生活費がカツカツらしいのに、チケットを買ってくれました。なんか、申し訳なくなっちゃいますね」
「本人の好きでやってることなんだから、気にすることはねえさ。お前さんは、チケット代に見合う試合を見せられるように気合を入れておけ」
そうして控え室に入室したのちは、前回と同じように挨拶をさせていただく。本日も、そこにはむくつけき男子選手たちが密集していた。
「やあ、瓜子ちゃん。二回連続でご一緒できるなんて、ラッキーだな」
と、その内のひとりが笑顔で近づいてくる。前回ご一緒した五月大会で環太平洋王座を獲得した、レオポン選手である。本日も、瓜子とレオポン選手は同じ場で試合をすることになったのだ。
そちらのセコンド陣は、赤星弥生子、大江山軍造、そしてタケくんこと竹原選手の三名だ。五月大会ではレオポン選手の他にも出場する門下生がいたため大所帯であったが、今回は少数精鋭である。
「みなさん、今日はよろしくお願いします。……竹原選手は、合宿稽古以来っすね」
「あ、うん。その、瓜子ちゃんも頑張ってな」
竹原選手は、どこか照れくさそうな顔で笑っている。彼は去年の合宿稽古で、瓜子に告白まがいの真似をしていたのだ。ただ、今年の合宿稽古ではきちんと節度を守ってくれていたし、わだかまりは残されていないと信じたいところであった。
「俺だって、顔をあわせるのは合宿稽古以来のはずだぜ? タケばっかりえこひいきしないでくれよなぁ」
と、レオポン選手が陽気に割り込んでくる。本日もレオポン選手はメインイベンターであるのだが、相変わらず緊張感とは無縁なようであった。
「えこひいきなんて、してないっすよ。そういえば、最近はアトミックの試合会場でお会いすることもありませんでしたね」
「ああ。最近は、わりかし人手に余裕があるんでね。自分の稽古に集中させていただいてるよ」
そう言って、レオポン選手は小麦色の顔に屈託のない笑みを浮かべた。
「今日の試合に勝てば、世界王座の挑戦権をゲットできるはずだからさ。そうしたら、次はいよいよ北米に再チャレンジだ。ナナやユーリちゃんに負けてられないからな」
「ああ……そういえば、マリア選手は残念でしたね。怪我の具合は、大丈夫っすか?」
「ああ。マリアはへこたれないから、元気にやってるよ。あのヒーロー面した大怪獣は、ナナかユーリちゃんのどっちかが退治してくれるだろうさ」
レオポン選手が笑顔でそのように答えたとき、瓜子たちの背後でドアが開かれた。
そこから姿を現したのは、瓜子とともに出場するもうひとりの女子選手――ラウラ選手に他ならなかった。
「わ、イノシシ娘じゃん。会場に着くなり、ゲンが悪いなぁ」
そんな言葉をこぼしつつ、ラウラ選手は皮肉っぽい目つきで瓜子を見下ろしてくる。彼女とケージの外で向かい合うのは、これが初めてのことであった。
ブラジル人の父を持ち、動画チャンネルの人気者であるという、ラウラ選手である。セミロングの髪を金色に染めて、小麦色の肌をした、タレントのように見目のいい娘さんだ。瓜子に連戦で秒殺されて、ついには《フィスト》の王座を失った彼女も、本日が復帰戦であったのだった。
ただ、この五ヶ月ほどで、彼女は一階級上のフライ級に転向していた。
ストロー級では減量がきつくて、本来の実力を発揮できない――自身の動画チャンネルでそのように公言し、階級を上げることになったのだ。そして、女性らしいプロポーションとファイターとしてのフィジカルを保持しながらウェイトの増量を目指すというテーマで定期的に動画を更新し、そちらでけっこうな評判を呼んでいるという噂であった。
「ラウラさんか。きちんとご挨拶するのは、初めてだよな。今日は一緒の陣営になっちまったけど、どうか仲良くさせてほしいもんだな」
立松がしかつめらしい面持ちで進み出ると、ラウラ選手のかたわらに控えていた人物が「モチロンです」と笑顔で応じた。ラウラ選手の父親にして柔術道場の主である人物だ。
「ワタシたち、イコンないです。イカリさん、スバらしいセンシュであること、ワタシたち、イチバン、シってます」
「ふん。わたしが本調子だったら、絶対にベルトを取られたりしなかったけどね」
そんな風にのたまいながら、ラウラ選手が身を屈めて瓜子に顔を寄せてきた。彼女は百六十四センチという、階級の変更を考慮してもおかしくないぐらいの長身であったのだ。
「どうでもいいけど、あんまりしょっぱい試合を見せないでよ? 結果的に、あんたはわたしに連勝してるんだからさ。あんたにしょぼい姿を見せられたら、わたしのブランドイメージに傷がつくんだよ」
「はん。今日はおめーに勝ったもん同士の対戦なんだから、どっちが勝ってもおんなじことだろーがよ」
サキがそのように言い捨てると、ラウラ選手は瓜子に顔を寄せたまま、そちらを横目でねめつけた。
「あいつとやりあったのは去年のことなんだから、直近でやりあった相手のほうが影響がでかいんだよ。……あんた、きちんと対策してきたんだろうね? あいつのフィジカルは、並じゃないよ?」
「押忍。自分はいつもフィジカルモンスターをお相手に稽古を積んでるんで、問題ないと思います」
瓜子がそのように答えると、ラウラ選手はメイのほうをねめつけてから「ふん」と身を起こした。
「だったら、せいぜい気張ることだね。わたしがフライ級の王座をゲットしたら、あんたの挑戦を受けてやるよ。そしたら、二階級王座統一戦だ」
「連敗女の言い草じゃねーな。立松っつぁん、空気が悪くなる前に移動しよーぜ」
「そうするか。それじゃあ、お先にな」
そうしてプレスマン道場の一行は、控え室を出て試合場を目指すことになった。
それに同行した赤星道場の陣営から、赤星弥生子が静かに呼びかけてくる。
「彼女は普段から、挑発的な物言いであるようだね。ただ、それほど底意地の悪い人間ではないようだ」
「そうですね。べつだん、不愉快なことはありませんでした」
瓜子がそのように応じると、赤星弥生子は口もとをほころばせた。
「さすがに猪狩さんは、人間ができている――というか、人の本質を見る目に長けているのかな。相手が本当に悪意を持っていたら、過敏に反応しそうだものね」
「やだなぁ。これでも自制するように心がけてるんすよ? ……まあ、にこにこと笑いながら本心の見えないお人のほうが、自分は苦手だと思います」
古くは、《カノン A.G》の徳久一成や秋代拓海や一色選手や――最近では、イーハン選手やアメリア選手あたりに、瓜子は警戒心をかきたてられることになった。それに比べれば、言動の荒い山垣選手や対抗心を剥き出しにするラウラ選手のほうが、よほど好ましく思えてしまうのだ。
(ただ、ラウラ選手がフライ級の王座を戴冠するなんて話は、聞き捨てならないけどな)
現在の《フィスト》の女子フライ級王者は、多賀崎選手であるのだ。灰原選手が居合わせたならば、さぞかし眉を吊り上げていたことだろう。
しかし瓜子は、そこでも腹を立てることにはならなかった。自分が憤慨するまでもなく、多賀崎選手であればラウラ選手に後れを取ることはないと、そのように信じていたのだ。
(ラウラ選手に時任選手っていうトップファイターが、二人も階級を上げることになって……ユーリさんたちのいない間に、フライ級が賑やかになってきたな)
《アクセル・ファイト》と正式に契約を結べるのは、『アクセル・ロード』で優勝したただひとりとなる。であれば、ユーリや多賀崎選手や沙羅選手のうち、何名かはまた日本で試合を行うことになり――そこで、時任選手やラウラ選手を相手取る可能性が生じるわけであった。
それに、すでに敗退してしまった沖選手や魅々香選手やマリア選手も同様である。奇しくもそれは、かつて日本のトップスリーと称されていた顔ぶれであった。
やはり、フライ級の身でバンタム級の相手と試合を行うのは、過酷なものであるのだろう。彼女たちにはまた本来の階級で活躍してほしいと、瓜子はそのように願ってやまなかった。
(そう考えると、バンタム級のトップファイターを下したユーリさんや多賀崎選手は、本当にすごいんだな。……まあ、今さらの話だけど)
瓜子がそのように考えたとき、赤星弥生子と逆の側からサキが頭を小突いてきた。
「妄想にひたってねーで、試合に集中しろや」
「やだなあ。サキさんは、自分の心を覗けるんすか?」
「はん。そんな見え見えのアピールをされりゃあ、心なんざ読むまでもねーだろ」
瓜子は一瞬きょとんとしてしまったが、自分が無意識に左手首のリストバンドを撫でていることに気づいて、赤面することになってしまった。
すると背後から、レオポン選手が「はは」と笑いかけてくる。
「そりゃあ瓜子ちゃんにしてみれば、ユーリちゃんのことが気になってしかたねえよなぁ。次回はついに、シンガポール陣営のナンバーワン選手と対戦なんだからよ。……ただ、多賀崎さんと対戦するナナも、正念場だ」
「うん。ナナと多賀崎さんは、合宿稽古で手を合わせているからね。きっとおたがいに、やりにくい面はあるだろう」
そんな風に言ってから、赤星弥生子はまた静かに微笑んだ。
「……と、こういう会話は試合の後までつつしむべきだろうね。私やハルキまでサキさんに叱られてしまいそうだ」
「そうっすね。よかったら、また打ち上げをご一緒にいかがっすか? 自分も、必ず勝ってみせますから」
「うん。こちらこそ、お願いするよ」
そうして瓜子たちは、目前の試合に気持ちを切り替えることになった。
会場では客席の設置が進められつつ、マイクや照明のチェックも始められている。フェンスの内側では、すでに何名かの選手がマットの確認に勤しんでいた。
このひと月半、瓜子は他者の試合を見守るばかりであったが、ついに自分の出番が巡ってきたのだ。
心の片隅にユーリの存在をそっと据えながら、瓜子はあらためて血がたぎっていくような思いであったのだった。




