ACT.1 Accel road -Ⅳ- 01 episode7-1 ひとときの休息
ついに、十一月がやってきた。
瓜子とユーリが離別して、丸二ヶ月が経過したのだ。
泣いても笑っても、『アクセル・ロード』はあとひと月ほどで終了する。
ユーリは『アクセル・ロード』で優勝して、《アクセル・ファイト》との正式契約を勝ち取ることがかなうのか――その結果が出るのは、これから四週間後のことであった。
しかしその前に、まずは二回戦目である。
十一月の第一水曜日。自身の試合を四日後に控えながら、瓜子はまたもやメイの部屋で『アクセル・ロード』の放映を見届けることに相成った。
「今日から放映される二回戦目ってのは、先月の第二月曜日に開かれたらしいっすよ。三週間以上もタイムラグがあるなんて、何だかおかしな気分っすよね」
道場における稽古の後、新宿駅で合流した灰原選手とともに三鷹のマンションを目指しつつ、瓜子がそのように説明すると、灰原選手は人の耳もはばからずに「えーっ!?」と大きな声をあげた。
「それって、ミミー情報なの? だったらミミーは、今日と来週の試合結果を知っちゃってるってこと?」
「ええ。魅々香選手は先週の木曜日に帰国したんですからね。もちろん守秘義務があるんで、試合結果は話せないそうですけど」
瓜子にそのような話を伝えてくれたのは、魅々香選手と同じ道場に所属する高橋選手である。右肘を負傷した魅々香選手はまだ稽古を再開できない身であるが、もちろん天覇館まで挨拶に出向くことになったのだ。そこで高橋選手や来栖舞と多少ばかり言葉を交わして帰っていったのだという話であった。
「だからミミーも、メッセージで反応が鈍いのかー! 心配しなくったって、試合の結果を聞きほじったりしないのにさ! それより、合宿所の様子を教えてほしいんだよねー!」
「それは自分も同様ですけど、あれこれ問い質すのは申し訳ないっすからね」
それに、試合結果を知っている相手と言葉を交わすというのは、こちらとしてもたいそう落ち着かない心地であろう。そこを伏せたまま合宿所の様子を聞いたところで、頭に入るとも思えなかった。
「何にせよ、ユーリさんと多賀崎選手の試合結果が出るのは、来週です。今日は他のみなさんの活躍を見守りましょう」
「うん! もちろん、そのつもりだよ! マコっちゃんもいっぱい映るといいなー!」
そんな言葉を交わしている内に、マンションに到着した。
今回は高橋選手も来栖舞のもとにおもむいたので、参加者はメイと瓜子と灰原選手、サキと蝉川日和の五名だ。この寄り合いもついに七回目を数えて、すっかり定例化した感があった。
「ところで、あたしらがこれまで拝見してきた一回戦目ってのは、いつ頃の試合だったんでしたっけ?」
メイが再生の準備をしている間に、蝉川日和がそんな疑問を投げかけてきた。
「一回戦目は、九月の第四月曜日と火曜日のはずっすよ。それがどうかしましたか?」
「あー。それなら二回戦目まで、三週間のインターバルってわけッスかー。よくよく考えると、三ヶ月で四回も試合をするなんてしんどいッスよねー」
「よくよく考えねーでも、しんどいに決まってんだろーがよ。試合を勝ち進めば勝ち進むほど、疲労やダメージが溜まっていくだろーぜ」
そんな不吉なことを言ってから、サキは別なる見解を重ねた。
「ただ、そこで有利になるのは、フライ級の連中だ。そんなスパンで減量とリカバリーを繰り返してたら、カラダのほうがもたねーからな。バンタムの連中は、この二回戦目でも調子を落とすかもしれねーぞ」
「バンタム級って、青鬼と沖縄娘とシンガポールの偉そうなやつだっけ? うーん、そっかー。でも、調子を崩した相手に勝ったって、楽しくないからね! マコっちゃんには、絶好調の青鬼をぶっ倒してほしいなー!」
灰原選手はそのようにのたまわっていたが、そちらの試合が公開されるのは来週だ。本日はマリア選手と宇留間選手、沙羅選手とヌール選手の試合を見届けなければならなかった。
そうしてメイの手によって、『アクセル・ロード』の第七話が再生され――すっかりお馴染みになったオープニング映像の後、思いも寄らない光景が映し出された。中庭のような場所でバーベキューに興じる、日本陣営の姿である。
『こちらの陣営には減量を気にする選手もいないはずですので、大いに食べてください。こういった豪華な食事には、気力を上昇させる効果もあるはずですので』
エプロンをつけた卯月選手が、手ずから鉄板で肉を焼いている。それを取り囲むのは、ユーリ、多賀崎選手、沙羅選手、宇留間選手の四名だ。青田ナナとマリア選手が離脱して、今後はこの四名がチームメイトと相成ったのだった。
『北米の牛肉は赤身が主体ですが、それはアスリートにとって望ましい食事でもあるでしょう。たとえ減量の心配がなくとも、動物性脂肪の過剰な摂取は控えるべきですので』
『うわぁ。確かにこの牛さんは赤身ばっかりなのに、とってもやわらかくてジューシーですねぇ。すっごくユーリの好みですぅ』
ユーリはほくほく顔で、旺盛な食欲を満たしている。
美味しい食事を前にして、よそゆきの笑顔を忘れてしまったようだ。それで瓜子は、存分に心を満たすことがかなったのだった。
『ふん。こんな平日にも酒が許されるやなんて、豪気な話やね。この合宿所は、もっと堅苦しい場所やと思うてたわ』
『きちんとコンディションを保てるならば、多少のアルコールも英気を養うのに有効でしょう。それで深酒をするような人間は、どのみち勝ち残れないでしょうからね』
『へいへい。コーチのありがたい忠告を肝に銘じて、楽しませていただくわ。多賀崎はんは、飲まへんの?』
『試合の二週間前には酒を控えるようにしてるんで、遠慮しておくよ』
何だか瓜子が想像していた以上に、その場は和気あいあいとしているように思えた。
内向的なタイプである沖選手と魅々香選手が帰国して、卯月選手に反感を抱く青田ナナが陣営を移籍した影響なのであろうか。あとは多賀崎選手を除く三名がきわめてマイペースな人柄であるため、思い思いにバーベキューを楽しんでいる様子である。
それに、エプロン姿で甲斐甲斐しく肉を焼いている卯月選手もだ。
瓜子としては、その姿から赤星大吾の存在を連想せずにはいられなかった。
(もしかして……赤星道場を離れるまでは、卯月選手も合宿稽古なんかではそうやって大吾さんの仕事を手伝ったりしてたのかな)
そんな想像をすると、瓜子はむやみに感傷的な気分になってしまった。
「なんだよ、もー! 楽しそうにしちゃってさ! ……ま、楽しくなさそうにしてるよりは、百倍マシだけど!」
灰原選手もにこにこ笑いながら、そのように評していた。
『やっぱり大事なのは、肉ですよね。肉だけで必要な栄養を取れたらいいのになって、あたしはいつもそう思っています』
と、沖縄語で語られた宇留間選手の言葉が、そのように字幕で表示されている。誰よりも大きな身体をした宇留間選手は、ユーリ以上の食欲を持ち合わせているようであった。
『宇留間さんも減量などはせずに試合に臨んでいるそうですが、それでもウェイトはリミットぎりぎりでしょう? 他の方々よりは、節制が必要であるかと思います』
『こんなご馳走を目の前にして我慢をするのは、無理ですね。食べた分は稽古で消費しますので、心配はご無用です』
卯月選手の忠告も聞かばこそ、宇留間選手は次から次へと肉塊を腹に収めていく。大柄と言っても一見は電信柱のような体格であるため、外見にそぐわぬ大喰らいといった印象であった。
そして画面は、シンガポール陣営のダイニングに移行される。
そちらでは、コーチのジョアン選手によって野菜を主体にしたヘルシーな食事と山盛りのフルーツがふるまわれていた。
『強き肉体を育むのは、正しい稽古と正しい食事です。肉も野菜も炭水化物も適切なバランスで摂取しなければなりません。そして多くのファイターは、野菜と果実の摂取が不足気味であるように思います』
『《アクセル・ファイト》や《JUF》で活躍されていたジョアンコーチのお父様や叔父様も、野菜と果実を食事の主体にしていたそうですね。現在のスポーツ科学と照らし合わせると、いささかそぐわない面もあるように思いますが……でも、あれだけの活躍を見せつけられたら、文句を言うこともできません』
長い黒髪をポニーテールにしたイーハン選手が、朗らかな笑顔でそのように応じる。おさげ頭のヌール選手は静かな面持ちでサラダをついばみ、青田ナナは仏頂面、マリア選手は「お肉をもっと食べたいなぁ」と言わんばかりのしょんぼり顔だ。
なんとなく、自由奔放な日本陣営に理知的なシンガポール陣営の対比といった風情である。それもきっと、番組プロデューサーか何かの考案した演出なのだろうと思われた。
しばらくして、画面は寝室に移行される。
そこは、ユーリの寝室であり――しかもユーリは、スポーティーなインナー姿だ。どうやらシャワーあがりらしく湿った頭をしており、ベッドに座したユーリは白い手足に美容液を塗りたくっていた。
『本当にこっちは、空気が乾燥してるみたいですねぇ。お肌のコンディションを保つのが大変ですぅ』
そのように語るユーリは、よそゆきの笑顔だ。
バーベキューの会場ではあんなに楽しそうだったのに、瓜子はまた出来の悪い芝居を見せつけられているような気分であった。
どうやら選手が半分になったことで、多賀崎選手とは部屋が分けられてしまったらしい。その場には、ユーリとカメラクルーしかいないようだ。
そしてカメラが、ゆっくりと壁のほうに移動していき――そこで瓜子は、息を呑むことになった。ユーリが持参した二枚のイラストが、そこに飾られていたのである。
『あ、それですかぁ? それは思い出のよすがに飾らせてもらったのですぅ』
一枚は、鞠山選手からプレゼントされたイラストだ。三頭身のデフォルメタッチで、楽しそうに笑うユーリと口をへの字にした瓜子が描かれている。昨年の終わり頃、ユーリが《カノン A.G》の舞台でチャンピオンベルトを獲得した報酬として、鞠山選手が準備したものであった。
そしてもう一枚は、瓜子が円城リマから贈られたモノクロのイラストだ。
墨絵のようなタッチで、瓜子の姿がとても写実的に描かれている。それと対で描かれたユーリのイラストは、今もなお瓜子の寝室に飾られていた。
『こちらはご家族か何かの肖像画ですか?』
女性スタッフがそのように質問すると、ユーリが『いえいえぇ』と穏やかな声で応じた。
『そちらはルームメイトの、うり坊ちゃんでございます。公私ともにユーリを支えてくれる、大切な大切な存在であるのです』
『あなたのパートナーということですか?』
『こちらで言うパートナーというのは、恋愛関係を含んだりするのですよねぇ? そういう意味のパートナーではございません。……でも、ユーリにとってはそれ以上の存在であるのです』
そうしてカメラが、ユーリのほうに移されると――ユーリは天使のようにあどけなく微笑みながら、左手首の白いリストバンドを撫でていた。
それで瓜子は呆気なく情緒を乱されて、大量の涙をこぼしてしまう。これは、あまりの不意打ちであった。
『うり坊ちゃんも、日本では絶大な人気を誇るMMAファイターなのですよぉ。《アクセル・ファイト》には、まだストロー級がないそうですけれど……二人で一緒に《アクセル・ファイト》に出場できたら、きっと幸せでしょうねぇ』
そんな言葉を聞かされては、瓜子も涙の止めようがない。
そしてこの際は、周囲の人々も冷やかしの声をあげようとはせず――サキは無言で頭を小突き、灰原選手は腕を抱き、メイはそっと肩に触れてきて、蝉川日和はおずおずとシャツの裾を引っ張ってきたのだった。
そうしてさらに、残りの七選手のプライベート映像も順番に公開されていく。
やはり選手が半分に減ったことで、ひとり頭に割り振られる時間が増えたのだろう。これまで以上に念の入った紹介映像であるように思われた。
多賀崎選手は寝室で、『トライ・アングル』のメンバーからプレゼントされたフットマッサージャーを使用している。
沙羅選手はベッドに寝そべって、ヘヴィメタルの音楽を大音量で響かせながら、インタビュアーを適当にあしらっていた。
宇留間選手は、備えつけのデッキでカンフー映画を観賞している。彼女にとっては、これも重要なメンタルトレーニングであるのだそうだ。
青田ナナは寝室のソファに座し、面倒くさそうな面持ちでインタビュアーの質問に答えていた。
マリア選手はにこにこと笑いながら、父や兄や赤星道場について語っている。それに彼女は宇留間選手を除くすべての日本人選手と対戦経験があったため、各選手の印象などをインタビューされていた。
ヌール選手は薄暗い寝室で、家族写真を見つめている。彼女は三人姉妹の長女であり、父親とはすでに死別しているようであった。
イーハン選手はひとりだけトレーニングルームで、エアロバイクを漕いでいる。何となく、他の選手が休息している間もイーハン選手だけは懸命にトレーニングをこなしている――という演出であるように感じられた。
「こういったプライベート映像で選手を深掘りするのが、『アクセル・ロード』の醍醐味ってわけだなー。鰐いわく、北米でもけっこうな盛り上がりを見せてるみたいじゃねーか」
「うん。北米出身のロレッタ・ヨークが敗退したこと、残念がる声が多かったけど、番組の人気は落ちていない。ユーリ、シャラ・カモノハシ、チハナ・ウルマ……それに、イーハン・ウーが注目されている印象」
「そこでどーして、マコっちゃんの名前があがらないかなー! ロレッタってセレブ女をやっつけたのは、マコっちゃんなのにさー!」
「どこの国でも、派手な選手がもてはやされるってこったろ。地味女と青鬼女は、どっちも判定までもつれこんでたしな。それで地味女同士の潰し合いがマッチアップされたってわけだ」
「ふーん! 感じ悪ーい! ま、地味だろうと派手だろうと、優勝しちゃえばこっちのもんだけどね!」
灰原選手の言う通り、ファイターにとっては試合とその結果がすべてである。
ただ瓜子は、視聴者の気持ちもわかるような気がした。やっぱり選手のバックボーンなどを事前に知っていたほうが、いっそう試合を楽しめるのではないかと思うのだ。
さまざまな事情を抱えて、さまざまな生活環境にある八名の選手が、これからしのぎを削って頂点を目指す。ユーリに優勝してほしいという気持ちには一点の乱れも生じないものの――瓜子はこれまで以上の熱意でもって、彼女たちの戦いを見届けたいと願った。




