第83話 豊久の墓
第83話 豊久の墓
「だめだろフライド丸、墓の主に怒られるぞ!」
子安どんは墓を暴こうとする俺を止めようとした。
俺はそれを振り切って、墓を掘り続ける。
雨が降り出して来た。
「構わん、ここは島津豊久ん墓じゃっど。
こげんとこに豊久ん骨なんか埋まっちょる訳なか、豊久はここんおらん。
空っぽん墓じゃっどね、豊久は怒らん」
「なんで…そんな事」
「…島津豊久はおいが殺した」
俺は髪を濡らす雨粒を振り払うようにして、振り向いた。
「フライド丸…?」
「おいは島津ん退き口から生き延び、庄屋ん屋敷に匿われ、
罪ば覚悟で看病すっ村人らん事、心苦しゅう思もて悩んじょった豊久さあば川ん入れた。
じゃどん豊久さあはけ死に切れんと、流れ着きよった…」
雨は俺たちの上にしとしとと降り注ぐ。
俺の罪もこの雨に洗い流されるだろうか。
「おいは殺してんなお生き延びっ豊久さあが、憎うてたまらんとやった。
例え姿は無うてん豊久さあが生きちょる限り、おいはフライド丸んなれん。
島津ん家から追っ手が来てん、おいは戦っせえ殺したとよ。
豊久さあばうっ殺っすために…おいは豊久さあばうっ殺っせえ、完全にうっ殺っせえ、
ちゃあんとフライド丸んなっために、留っちゃんとずうっと「ねお薩摩」ん暮らすために。
おいがおいであっために、全てはおいが心んために…!」
俺が俺であるために、俺がフライド丸であるために。
俺は島津豊久を殺した。
俺の人生に島津豊久なんか要らない。
豊久を殺して、フライド丸としての俺が始まった。
でも殺した豊久が自分の中でどんどん大きくなっていった。
豊久の影は俺を苦しめた。
島津の追っ手は殺せても、俺の中の島津豊久は殺し切れなかった。
殺そうとすればするほどに死人は鮮やかに甦り、歩きだす。
島津豊久という過去を背中に背負って歩く死体、それが俺の正体だった。
「…そうじゃ」
俺は自分の濡れた髪を数本まとめて引っこ抜いた。
そして、掘って出来た穴にそれを落とし入れた。
髪はひらりと舞って、穴の底に消えていった。
「留っちゃんも」
「えっ、私も?」
「早う、早う!」
子安どんも渋々自分の抜け毛を穴に落とした。
俺は掘った穴を埋め戻した。
「こんな事して何の意味があるんだ、フライド丸」
「こん墓…どうせ豊久おらんし空っぽじゃっど、おいたち島津家先祖代々ん墓んすっと。
清兵衛さあや、なみえばあちゃん、九州味ん『ふぁんたじすた』んおとん、
おいと留っちゃん、いつかは富久…おいたちん記念碑ぞ。
おいたち今ん島津家はこっから始まっとね」
俺は地中深くに眠っているかも知れない、なみえばあちゃんの骨に、
子安家の先祖に、手を合わせて祈りを捧げた。
そして「ねお薩摩」で、子安どんに詠み方を教わった歌を一首詠んだ。
「戦より流れて漂ひし武士の 根付きて見付く我は我なり」。
戦場から逃げ出して、美濃の川に入って、
流れ着いた「ねお薩摩」で俺はようやく、自分を見つけた。
俺はフライド丸、それ以外の何者でもないと。
「武士の漂着すを揚げて今 我が命とし過去を忘るる」、
子安どんも俺に歌を詠んでくれた。
あの日の海沿いの公園で子安どんの拾った変な武士は、子安どんの命になった。
そして今、戦国武将だった過去を忘れようとしている。
もう過去の事なんだ、ずっとずっと昔の事なんだ。
俺はもう忘れていいのだ。
内に抱えて生きて行かなくてもいいのだ。
俺は島津豊久を忘れていいのだ。
雨の山道に、男たちの声が聞こえる。
刀の、槍の重なる音が聞こえる。
見えない目を閉じると見える。
思い出よりもはっきりと、色彩を、体温を、呼吸を感じる。
退いて行く島津の本隊の馬の足音が、
白い陣羽織を着た長寿院盛淳の血の流れる静かな赤が、
迫り来る東軍の追っ手の体温が、今そこにあるように。
敵中にひとりの男を見た。
男は采配を捨て、敵の群れへと飛び込んで行く。
赤い陣羽織の裾が乱れてひるがえり踊る。
息を弾ませ、刀を振るいながら男は燃える。
燃えて、敵中で朱の炎となる。
島津豊久、俺の過去。
敵に囲まれながら、豊久は笑いかけた。
驚く俺の目の前に無数の刀と槍が重なって、朱は燃え尽きて消えて行った。
雨の中へ、水の中へ、「ねお薩摩」へと。
俺は目を開いた。
そこにはしっとりと降る雨があるだけで、島津豊久はもういなかった。
島津豊久は今死んだのだ。
俺の中で今、ちゃんと死んだのだ。
あれほど豊久を憎んで、その死を心底望んでいたというのに、
ちっとも悲しくなんかないはずなのに、
どういう訳か涙が出て止まらなかった。
「…フライド丸」
子安どんが俺の背中にそうっと覆い被さった。
「豊久は今け死んじょっとよ…」
「そうか…」
「ちゃんと、ちゃんとおいが内でけ死によった。
おいはフライド丸、おいはフライド丸…そいでよかとね。
「ねお薩摩」がフライド丸、おいはフライド丸じゃっど…」
俺は振り返り、子安どんの胸に顔を埋めて泣いた。
雨は降り続ける、俺の上に降り続ける。
島津雨として、豊久の、俺の、新しい門出を祝ってくれているのだろうか。
この日も10月22日だった。
翌日、俺たちは電車の時間まで、大垣市内をもう一カ所訪ねた。
子安どんの提案だった。
そこは昨日の墓所からそんなに離れていなかった。
高速道路沿いを走る「薩摩カイコウズ街道」を、墓所の手前、
保育園や体育館のあるあたりで折れて、牧田川に沿うようにしばらく走ったところの、
郵便局や小学校のある付近、何もない田んぼの中だった。
「ここは…」
「このへんには『しちなんさん』という伝承がある。
昔ここには塚があって、関ヶ原の戦いの後に7人の落ち武者がこの近くに逃げて来たのだ。
助けを求めても東軍に通報され、捕まって処刑されてしまった。
その落ち武者たち…島津の兵が埋められ弔われているのがここなのだ」
雨上がりの風の中、子安どんはうつむいて手を合わせた。
俺もその隣で7人の島津の兵士たちに手を合わせた。
すっかり長くなった髪が風になびいて、陽の光を浴びてきらきらと流れて行く。
…大丈夫だぞ、島津家は忠恒性格最悪がつないだぞ。
勘違いデブも天界で仏様となって、今は「ねお薩摩」で俺の保護司をしているぞ、
しかも英語がわっぜえ得意だぞ、心配するな、安らかに眠ってくれ。
それから豊久は昨日死んだぞ。
死んで、「ねお薩摩」のフライド丸が生まれたぞ。
帰りの新幹線の中で、子安どんはふと言った。
「…そういやさ、私に骨髄を提供してくれたドナーの事なんだが。
本来ドナーの身元を調べてはいけないのだが、わかってしまったのだ。
あれ、フライド丸お前だろ?」
駅弁を食べてビールを飲んだ俺はうとうとしていたが、
ぎくりとしてがばりと身体を起こしてしまった。
なぜバレている?




