第31話 天国の扉
第31話 天国の扉
「おい? なして!」
俺はあせった。
井伊どんの「ぞんび」は俺をじっと見つめた。
「戦国の世の死人でひとり、浄土にも地獄にも行かなかった脱走者がいる、
そういう噂が天界に流れている、それがお前だ…」
井伊どんの「ぞんび」は声を低めてそう言うと、いきなり調子をがらりと変えた。
「なーんてな! 本当は別のやつらを迎えに来た。
この世界は戦国の世以上に物騒なところらしい、新しい仏様がいっぱいだ。
お前は現に生きている、死んではいない。噂は嘘だったようだな」
「よかったあ…おい、け死むかち思もた」
俺がほっとして胸を撫で下ろしていると、井伊どんの「ぞんび」は立ち上がった。
そして、島津の大きいのに礼をした。
「島津の旦那、感謝する。そろそろおいとまさせていただく」
「帰るて…井伊どん、そない自由に天界と俗世行き来出来んのん?」
「出来る」
井伊どんの「ぞんび」ははっきりと答えた。
そして、指で四角を描いて白い今様の扉を呼び出した。
「私は天界の送迎者、どんな時代のどんな国へも自由に行き来する事が出来る。
いずれはお前らを迎えにも行くだろう、また会おうぞ。
もしも生きる事に疲れて天界への扉が見えたなら、叩いて私を呼ぶが良い。
天界はいつでも新しい仏様を迎える用意がある」
井伊どんの「ぞんび」は扉をくぐった。
姿が扉の中へと消えていく。
「二度と来んなやボケが!」
「誰が死ぬか、こんカスが!」
俺と揚弘は扉に向かっていろんな物を投げつけた。
扉は透明度を増し、何も無い空間に溶け込んで消えていった。
でもどうしよう。
俺に天国への扉が示されてしまった。
やっと戦国の世とそれにつながる扉を潰したというのに、
俺の行き先は何もひとつだけではなかったのだ。
天界はいずれは行かねばならぬ場所、避けられない。
井伊どんの「ぞんび」は俺を、浄土にも地獄にも行かなかった「脱走者」と表現した。
異論はない、俺は「脱走者」でいい。
戦国の世界にも死後の世界にも行かず、
「ねお薩摩」という異世界に逃げ込んだ、ただの「脱走者」でいい。
生きるのでもなく、死ぬのでもない。
死にながら生き、天界の与しない異空間をあてどなく漂う男でいい。
「3時に持ち込みのお約束をしている、子安留津…成富信とそのアシスタント1名です」
子安どんは薩摩の森のとある中層建築物の受付でそう言った。
受付嬢は少々お待ちくださいと言って、電話をかけた。
電話なる電気信号を利用した通信手段は、この世界での主流である。
「子安どん、色使たらいけんでね」
「どの顔が言う、なんだそのなりは。チャラくないか?」
襟の帽子の縁に毛皮のついた黒の外套に、胸元の開いた毛織物の一枚になった着物、
それに黒の細身の袴、爪先の少し尖った長靴というなりだった。
昨日、揚弘に選んでもらった着物に装飾品をじゃらじゃらと着けていた。
子安どんが時々くれる小遣いを貯めてはいたが、
今様の着物は高価で、いろんな物を諦めてやっと買えたものだった。
そして出かける前、揚弘に頼んで今様の「いけめん」風の化粧を施してもらった。
子安どんの化粧とは趣が違っており、少々きらびやかであった。
「なんだいい香りまでさせやがって、ホストか?」
「おいが趣味やなかと、揚弘の趣味じゃ。
しかし何ねこん重たか荷物は、しかも何おいに持たせっとか」
俺は重たい手提げ袋を両手に持たされていた。
そう話していると、玄関の奥からスーツを着込んだ男が出てきて、
俺たちを案内してくれた。
上下に移動する籠に乗って、上の階に移動し、
机の並んだ所をお上の役人らに、じろじろ見られながら歩く。
「おい、あれ成富先生だよ!」
「ほんとだ。成富先生だ、『おとぎ草子ラササン・アサシネ』の。
少女漫画のくせに、すっげえバトルですっげえ男臭い作品描く」
「俺あの人の漫画、超好きなんだ! メカすっげえ上手いし、何より圧倒的な暴力!」
「なんでそんなすごい先生がこんなところにいるんだ?」
…俺、子安どんの漫画をまともに読んでなかったな。
ぱらぱらめくる程度で、しかも衆道の場面にしか目が行かなかったし。
それにしても家臣の言う通り、やはり人気のある作家なのだな、ここでも噂されている。
俺のせいで打ち切りとか、傍目には不思議な事になったものだ。
俺たちは応接室に通され、しばらくすると担当の者がやって来た。
「貴重なお時間をいただき、ありがとうございます。
持ち込みの成富信です、よろしくお願いします。
あ…これは荷物持ちで、うちのアシスタントです」
子安どんは挨拶をすると、俺を紹介した。
俺も膝を床に折って正座し、担当者に深々と頭を下げて挨拶をした。
「おいは『ねお薩摩』国、子安家家臣がフライド丸と申しまする。
上様には何卒よろしゅうお見知りおき願いまする」
「あ…いや、そんな…頭あげてくださいよ」
担当の男は慌てた。
それから俺たちは席に着き、俺は持参した「単行本」なる大量の本を机上に広げた。
担当のまだ若い男が子安どんの持参した「ねーむ」を読み、
話し合いが始まった。
「あの…成富先生、なんで持ち込みなんです?
成富先生ほどの人気も実力もある作家なら、移籍のお誘いも引く手あまたなのでは?
しかもなぜうちみたいな大手でもない、小さな会社に…」
「ねーむ」を読んだ担当者はしどろもどろになりながら、子安どんに聞いた。
「はい、御社の規模が大きくない事と、マニアックとも言えるカラーに惹かれました」
やはり俺がお上の者に無礼を働いて、そのせいで連載が打ち切られたなどと、
子安どんも本当の事は言えないのだろう。
担当の男は続けた。
「なるほどね…成富先生さ、前に修学館の忘年会で幹部ともめ事起こしたでしょ?
あれうちでも有名だよ、『成富先生が漫画界に革命の狼煙をあげた』て」
俺も子安どんもその言葉にぎくりとした。
この男、あの事件を知っている…!
「とりあえず、編集部ではこの持ち込みのネームをボツにします。
成富先生、この作品はもう少女漫画とは言えない。
少女漫画誌にこんな男臭過ぎる、圧倒的な暴力と殺戮の吹き荒れる、
画面も作風も真っ黒なバトルアクション作品など掲載する訳にはいかない」
男はそう言い放つと立ち上がり、どこかに電話した。
子安どんは黙ってうつむいていた。
採用されなくて悲しいのだろう。
やはりあの事件の影響か。
「でも成富先生、ちょっと待っててください」
担当の男が電話を終えて、子安どんに言った。
どうしたんだろう、子安どんがここに来た事をお上に通報でもしたのだろうか。
お上の者が子安どんを捕らえに来るとでも言うのだろうか。
こらあかん、こいは子安どんが危機!
おいが出番じゃ!




