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第32話 魔法の時間

第32話 魔法の時間


俺は立ち上がり、担当の男をぎろりと睨みつけた。


「貴様、おいが主君の作品ば没んすっと?

おいが主君をお上ん捕り方ん引き渡すっと?」

「まさか! あ…ひょっとして君が『揚丸』のモデル? そうだよね? 変な関西弁だし。

いや、これはかっこいい、これなら…」

「…おいはかっこよかと?」


俺は手を伸ばして担当の男の顎に触れた。

さあ魔法の時間だ、戦国の乱世で鍛え上げた俺の魔法にかかるが良い。


「どうや、俺んかっこよかとこもっと見たかろが?

見しちゃる、戦国仕込みんおいが魔法っちゅうもんば」


俺は男の体にねっとりと絡み付いて頬を軽く吸い、

手は体をまさぐり、上から歩くようにゆっくりと下へ降りて行った。


「え…あ…こんなところで…」

「おいはよかとよ、こんまま続きしても…ほれ、もう反応しちょる」

「そんな、恥ずかしいです…フライド丸さん。あ、でも気持ちいい…」

「もっと触って欲しかね?」


俺が見つめると、男は俺にがばりと抱きついた。

…堕ちたな。


「敵陥落完了」

「…見事だな。それがお前の本職か、フライド丸。

そして今のを島津の退き口で、井伊直政にもしようとした訳だな」

「おいは戦国ん武将じゃっどが、どちらかっちゅうと衆道の相手をさせっためん男ぞ。

本職のもんがこん素人んごた男落とせんでどうすっと」


俺は男に絡み付かれながら、子安どんに笑った。

そこに小太りの初老の男が部屋に入って来た。


「こんにちは成富先生、これはこれはわざわざの起こしありがとうございます」

「敵襲か! 何ね貴様!」


すると、俺に抱きつく男が慌てて口を手で塞いだ。


「うちの青年漫画誌の編集長す、俺が電話しました」

「あれ…津軽くん、何してるの?」

「『津軽』…! 津軽為信か! なしてこん『ねお薩摩』におっとか!」


俺は担当の男、津軽どんに詰め寄った。


「為信て地元でよく言われるよ。

俺は津軽鴇郎(つがる ときお)、少女漫画部の編集部員。

あ、青年部の編集長、俺たち仲良くなっちゃいました! ラブラブなかよし!」


津軽どんはやって来た男に片目をぱちりとつぶって見せた。

やって来た男は子安どんの前に座って、しばらく「ねーむ」を読みふけり、

そしてやっと口を開いた。


「ネームを読んだ津軽くんから、成富先生の新作はすごい、

これはもう少女漫画にはしておけない、青年部で見るべき、そう電話が来た。

今ネームを拝見しましたが、キャラは明るくて生き生きとよく動いて魅力的です。

しかしまだストーリーの練り込みが足りない、なんで主人公がいきなり追われているとか…

これはこれから一緒に練っていきましょう。

うちは青年誌と言ってもちょっとマイナーだし、しかも月刊誌ですけど、

成富先生、うちで描いてみませんか?」


少年部の編集長は「ねーむ」の紙の綴りを閉じて言った。


「ありがとうございます、謹んでお受けいたします」


子安どんは姿勢を正して、それから頭を深く深く下げた。

子安どんの次の連載が決まった…。

俺は嬉しさを爆発させて、子安どんに抱きついた。

津軽どんも一緒になって喜んでくれた。


「おめでとう! 子安どんおめでとう!」

「よかったですね、成富先生!」


それから会社の上層部を交えて、子安どんの移籍と契約の話に移った。

子安どんの漫画家としての籍は今でも前のところにあるので、

そこを辞めてここに移って来る事と、青年部は人手が不足しているので、

発掘者の津軽どんが少女部から移って担当に当たる事、

「ぺんねーむ」なる筆名は、今の「成富信」で既に十分な人気があるので、

そのままの名前で行くことなどが話し合われた。


俺と子安どんが家路についた頃には、もう日が落ちて夜が始まっていた。

俺が津軽どんをこました事は、あまり役には立っていなかった。

結局、子安どん自身の実力だった。


「…ごめん子安どん、俺あんま役ん立たんかった」

「別にいい、でも嬉しかった。私を思ってしてくれた事だから…」


頬を少し染めて言う子安どんは、もういい歳こいた擦れっ枯らしのおばさんのくせに、

驚くほど初々しく、若い処女などよりもずっとずっと可愛らしかった。

だから俺もつい動いちゃうんだよ。


「子安どん…」

「ありがとう、フライド丸」


子安どんは振り向いて笑った。

長い髪が春近い夜風に舞った。

…俺はこの女を愛してる、この女にめちゃくちゃ狂っている。

俺の守る女はこの女ただひとりだ。

残りの全ての女たちが殺されても、俺は子安どんだけを守る。

俺はこの女と夫婦になりたいと思った。


だが、俺には戦国の世界に妻がいる。

政略結婚の、愛してもいない女だが、世に認められた妻だ。

子安どんを愛人などにする訳には行かぬ、俺は彼女を妻に欲しい。

…俺は行かねば。



その翌日の昼近く、俺は隣の島津家に駆け込み、寝ていた揚弘を叩き起こした。


「何やねんフライド丸」

「相談があっと、揚弘」


揚弘は小じゃれた南蛮風の寝室の、夫婦が使うでかい寝台の上に座った。

島津家は子安家とは違って、間取りも広く調度にもたっぷり金がかかっている。

ヤクザとやら職業は相当に儲かるらしい。


「戦国ん世界に行きたか」

「なんでや、俺ら潰したやん。もう行かれへん」

「どうしてんせんといけん事があといっこあっと!」


俺は揚弘の足にすがりついた。


「やめ、お前足フェチか」

「ああん! 頼むう!」

「そない言われてもなあ…あ、そうや」


揚弘は足を俺の手から抜いて、ふとひらめいたように言った。


「あのゾンビに頼もや」

「井伊どんに?」

「あのゾンビ言うてたやん、俺はどの時代のどの国にも行けるみたいなん。

つまり、天界を経由して戦国の世界にも行ける言う事や、しかも行き来自由」

「ほほう、じゃどんどげんして井伊どんの『ぞんび』呼び出すね。

死にそやないと扉来んで」


俺は揚弘の隣に腰掛けて、つい癖で彼の内股に手を入れた。

揚弘は兄さんに怒られる、と俺の手を叩いて撥ね除けた。

すぐ反応したくせに。


「死にそな奴ようさんおるとこあんで」

「えっ、それどこ?」

「病院」


病院、傷ついた者を収容して治療する医療施設の事か。

確かにそこなら死にそうな奴がたくさんいる。

天界への扉もぱかぱか開き放題だ。


「行こか、戦闘準備やフライド丸」

「天界経由て…おいたちけ死んでしまうとよ」

「構わんよ、そんなん」


どうして、簡単に死んでもいいなんて言えるの。

戦国の武士たちも同じ事言ってた。

俺もそう思ってた。

でも今は死にたくなんかないよ。

子安どんとずっと生きたいよ。


「…天界に会いたい人がいてんねや」


揚弘は立ち上がって、そうつぶやくように言った。


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