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第14話 ねお薩摩に生きる男

第14話 ねお薩摩に生きる男


俺は子安どんに連れられて、『ねお薩摩』の森の外れ、海のある方へ行った。

彼女の腕に掴まりながら、強い風の中を歩く。


「…お前は目がよく見えないから、それで錦江湾や桜島に見えたのだろう」


俺たちが初めて出会った、小道のある海沿いの庭で、

子安どんは沖の方を指差して言った。

今日も桜島は噴煙をあげて、風になびかせている。


「この海は東京湾、あそこに見える煙のみえる島は、ごみの埋め立て地と資源の再利用施設」

「ごみん島…!」

「『ネオ薩摩』はその後繁栄し過ぎて、人工も過密、当然ごみも大量に出る。

ちなみにあと少しでこの埋立処分場も満杯となる」

「…あん美しか薩摩がごみん国になったち言うとか」


俺は子安どんの腕にしがみついて泣いた。


「…もう帰り、フライド丸。今度また扉が開いたら帰り。

お前には待っとる家族もいてる、仕える主君もいてる、やらなあかん仕事かて待っとる。

もう帰り、薩摩へ帰り、薩摩が恋しいんやろ、

うちの勝手な都合で引き止めて悪かったな…」


子安どんは標準語で話した。

確か子安どんの悪いおかんも標準語やった。

子安どんは上方の出なのだろう、だからこうして時々上方の言葉になるのだ。

隼人の女ではなかったのだ。


「子安どんが都合ち…ここにおっとは俺が都合じゃっど、

おいが自分の都合で勝手にここにおっとね」

「いや、うちの都合や…自分がひとりで淋しいからて、

別の世から来たばっかで何も分からへんお前を、都合良く家臣に仕立て上げてん。

おかしいやろ? 笑たらええで、淋しい女やて…」


そんなのちっとも笑えない。

淋しいのは俺の方だ。

いくらあのデブ殿が後見して、いろんな意味で可愛がってくれても、

うちのくそおとんはもう死んでもうたし、

妻とは形ばかりで、あのデブ殿の手前愛してもいけないような、実の無い政略結婚だし、

務めもあのデブ殿の顔で抱えてもらってるような、さして功名も無い、

武芸も成長せず、教養もなく政治面でも使えない家臣だったし。

戦国の世界での俺は生きている意味もわからなかった。

俺は心の淋しい男だった。


淋しい男だから、淋しい女の淋しさが堰を切ったように心に流れ込んで来る。

水中に泥を踊らせ、勢いを持って、満たすように流れ込んで来る。

こんなに強い感情に触れた事はなかった。

俺は生きている、ちゃんと目的を持って、この「ねお薩摩」で生きている。


「おいは帰らん! 殺されても帰らん!

扉が開いてんそげんもんぶっ壊しちゃる、どうしてんおいば連れてくちゅうとなら、

おいん帰るところなぞ、ここ以外みいんなみいんな無くしちゃる…!」


俺は子安どんに抱きついた。


「…おいは…おいはフライド丸、こん『ねお薩摩』が男じゃ」


子安どんの目が揺れる。


「生きっ意味も見いだせん心ん淋しか男は、淋しかおなごと出会うて、

こん『ねお薩摩』で互いの心ば持ち寄って、一緒に生きて行くんじゃ。

一人より二人じゃ、おいたちはもう淋しいなか、子安どんはもう淋しか女おなごなんかやなか。

おいがおっと、ひとりやなか。おいは一生を子安どんと生きるから。

おいが必ず、子安どんの残りの人生ば幸せなもんにしちゃるから…」


この人と一緒に生きたい、この人を幸せにしたい。

こんなに誰かを思うことはなかった。

…これが愛か。

なんと強く、なんと深い気持ちなのだろう。

子安どんの揺れる目から涙がこぼれ落ちる。

俺は改めて子安どんを抱きしめた…強く、強く。


「…ひとりは淋しいねん」

「構わん、淋しか言うたら良か。俺は子安どんのもんや、なんでん思い切り甘えたら良か」

「ひとりで死ぬのんを待つんはこわいねん! 誰かそばにおって欲しいねん!

このままひとりで死んでいくんはこわいねん、こわいねん…!」


…子安どんはもうおばさんだ。

老いて誰にも相手にされなくなる事が、ひとりのまま老後を迎えて、

ひとりのまま死んでいく事が、相当怖かったのだろう。

彼女は俺にしがみついて、ずっと小さな子供のように泣いていた。



子安どんが俺を愛してくれているかどうかまではわからない、

ただ、俺を必要としてくれているのはわかった。

それだけでもう十分だった。

その夜、俺は子安どんを抱いた。


ちゃんと見つめ合って、「目合い」の言葉通りにいろんな目を合わせる。

目と目、口腔と口腔、口腔と皮膚、皮膚と皮膚、皮膚と粘膜、粘膜と粘膜、心と心。

結ばれるとはそういう事なんだと思った。

そうして結ばれてしまうと独占欲が湧いて来て、俺は嫉妬に苦しめられた。

俺は闇に浮かぶ白い肌に残る男たちの足跡を消そうと躍起になった。



「…お前の腕の中は暖かいな、気持ちいい」


終わった後、子安どんはかすれた声でそう言うと俺の胸に顔を埋めた。

でもすぐに起き上がって小さい灯りを点けた。


「それ、どげんして吸うと」


子安どんが隣で吸い始めたのを見て、俺はたばこを彼女にねだった。

彼女は自分の吸うたばこをそのまま俺に回してくれた。

たばこは戦国の世界にも存在しており、あのデブ殿の兄さんがよくきせるにして吸っていた。

俺は見よう見まねで吸ってみたが、煙にむせて咳き込んでしまった。

でもすぐに慣れ、子安どんと回しっこしながらたばこを吸ったり、

互いの唇を重ねたりして、俺たちは夜が明けるまで寝台にいた。

…夜伽とはこんなにも温かで幸せなものだったとは。


俺はどちらかと言うと、衆道の相手をさせるための男だったから、

女は例の形式上の妻だけで、側室を置く事もなかった。

子安どんは俺が初めて自分から求めた女だった。

それだけに彼女が愛おしくてならない。


でも子安どんはそうではないらしく、時々俺を突き放すようなところがある。

彼女は俺を受け入れながら拒むのだ。


「子安どんはおいとこげん事なって後悔しちょっとか?」

「いや、後悔はしないが…ただすごく悩む」

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