第1章
ここは自宅から一番近い最寄りスーパー。
仕事帰りに寄るのが私のルーティンだった。
アラサー独身の私にとって、ここのお惣菜は癒し。
今日は金曜。
明日は休み。
こういう日は少しだけ贅沢をする。
少し前よりも高くなったお肉たち。
心の中で値段を呟きながら、お肉と値札を交互に見る。
鶏むね、100g 98円。
豚こま、398円。
黒毛和牛……
……ん?
もう一度値札を見る。
「いちじゅうひゃくせん……
10万?!!!」
また独り言言っちゃった、と思うのと同時に、
信じられない値段のお肉に目を見開く。
いつの間にか隣に立っていた小柄なおばさんも、
お肉の値段に驚いていた。
「びっくりよねぇ、ゼロがひとつもふたつも多いじゃない?これじゃ誰も買わないわ」
周りを見回す。
誰もいない。
ふわふわの白髪にはカラフルなヘアバンド。
うっすら紫の色の入ったサングラス。
花柄のスカートに、なぜか別の花柄のカーディガン。
柄と柄が喧嘩している。
いや、もしかしたら仲良しかもしれない。
私には判断がつかなかった。
あんまりジロジロ見ないようにしながら答える。
「そ、そうですよねぇ…さすがに間違いかと」
「店員さんに言わないと!」
「あぁ、それなら向こうにさっき…」
言い終わるより早く。
私とおばさんの間から、
ぬうっと黒い腕が伸びてきた。
その手が、何の迷いもなく10万円のお肉を持ち上げる。
思わずふたりで、そのお肉を目で追った。
そこにいたのは――
全身を黒に包んだ男だった。
もじゃもじゃのくせっ毛の前髪が顔の半分を覆っていて顔がよく見えない。
凝視してしまっていたことに気づき、はっとして視線を泳がせる。
隣に目をやると、
おばさんはまだ男を見ていた。
男はくるっと回れ右して歩き出す。
きっと店員さんに報告してくれるんだろう。
そう、おばさんに話しかけようとして、私は急におばさんにがっと腕を掴まれた。
びっくりしておばさんの顔を見ると、目はずっと男を追ったまま
「見て!!あなたっ!ほらあの人!!
あの人レジにあのお肉持って行ったわよ?!」
レジの店員さんに言いに行くのは効率的じゃないかと思いながら、私も視線を男に戻すと、
彼はどうやらお会計をしている様子だ。
よりにもよって、セルフレジ。
なんの疑問もなくお会計するなんて、よっぽどセレブなのかな…あんなかっこうだけど。
そんなことを考えながらぼーっと見ていると、
「大変!!追いかけて教えてあげないとっ!!」
と言うが早いか
おばさんはそんな小柄な体のどこに力があるのか私の腕を引っ張って駆け出した。
「えっ!!」
男はもう既に店外へ出てしまっている。
おばさんは私が手にしている買い物カゴを奪うと
素早くカゴ置き場へ戻し、
そのまま私を連れて店外へ飛び出した。
夕陽に染まった街並みには、少しずつ夜の空気が滲み始めている。
夜にまぎれこむように、男はレジ袋に10万円のお肉をぶら下げて、数メートル先を歩いていた。
「いたわ!」
おばさんは私を引きずるように、男の方へと小走りで向かっていく。
「ちょっとぉー!!あなた!!そこのおにいさぁぁああん!!」
やだっ!そんな大きな声で叫ばないで!!
道を行く人が何事かと振り返っているではないか。
私はおばさんの勢いに物申す気力も失せ、なるべく周りに顔が見えないように縮こまるようにして引きずられていった。
男との距離が手を伸ばしたら届きそうなくらいになると、急に男は足を止めた。
「良かった…やっと…たどり着いたわ…」
肩で息をしながら、おばさんが男に声をかける。
「あなた、さっきあのスーパーで買ったお肉、値札が間違ってたのよ?気づかないで買っちゃうなんで驚いたわ…一緒に行ってあげるから、お金返してもらいに行きましょう?」
男はゆっくり振り返った。
前髪の隙間から覗く目が、
私たちではなく、
まるで何か別のものを見ているように感じる。
表情は変わらない。
なのに、
ぞわり、と背筋が冷えた。
とんでもない変な人へのお節介に巻き込まれている疑念がどんどん確信に近づいていく。
「ありがとうございます」
……え?
低くて、思ったよりずっと穏やかな声だった。
私は勝手に警戒していたことを少し恥ずかしく思う。
なんだ。
普通の人じゃない。
そう思った瞬間――
「あなたがたのような人を探していました」
……やっぱり変な人だ。
怪しい何かの勧誘か…?
身構える私をよそに、おばさんはニコニコしながら応戦する。
「あら?こんなおばあちゃんナンパしてもなんの暇つぶしにもならないわ。それにこの子は私の大事な孫だからダメよ」
いつの間にか私はおばさんの孫になっていた。
「すみませんが、そういったことに興味はありません」
男は丁寧に断る。
なぜか私たちが断られている。
「事情を、説明させてください」
「ふぅん……」
おば様は男を頭のてっぺんから靴先まで眺めて、
腕を組んだ。
「事情ねぇ。…そこの喫茶店でなら少し話を聞いてあげてもいいかしらね」
「えっ!!聞くの?!」
いつもなら我慢できる人間観察のツッコミも、今日ばかりは反射的に声に出してしまっていた。




