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思考の檻に、星を飾る  作者: サバ味噌饅頭
第五章:相互称賛都市の孤独

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後編 出口なしの円環

足の裏の皮が剥け、血が乾いてはまた裂けた。

カナタは、地図にも載っていない未開の原生林へと分け入った。そこにはルミナスのセンサーも、アサイラムの狂った契約もない。

あるのは、ただ無機質な自然の循環だけだ。


標高三千メートルを超える山頂に辿り着いた時、カナタは崩れるように座り込んだ。

目の前には、どこまでも続く雲海。太陽が、冷たくも美しい光を放ちながら地平線から顔を出した。

「ここなら……」

カナタは呟いた。ここには自分を定義する他者はいない。

風が吹けば寒いと感じ、腹が減れば苦しいと感じる。その感覚だけが、混じりけのない「自分」だ。彼は初めて、心の底から深呼吸をした。


しかし、その静寂は不意に破られた。

背後から、文明の音が聞こえてきたのだ。ヘリコプターのローター音と、複数の人間の足音。


「発見した! 座標304、行方不明の聖・市民、カナタ氏だ!」


現れたのは、レスキュー隊の制服を着た男たちだった。彼らの瞳には、ルミナス特有の、あの「過剰な善意」が宿っていた。

カナタは逃げようとしたが、体力は限界だった。男たちが彼を取り囲み、優しく、しかし抗いようのない力で彼を拘束した。


「ああ、なんて無茶をしたんだ、カナタさん。こんな過酷な環境で生き延びるなんて、あなたの生命力は奇跡だ! 全市民があなたの無事を祈り、感動していますよ!」

一人がカナタの肩に毛布をかけ、もう一人が彼の顔の汚れを丁寧に拭った。

「見てください、この逞しい顔。苦難を乗り越えた者の美しさだ。あなたのこの冒険は、新しいルミナスの伝説になります」


カナタは絶望した。

彼らが自分を見る目。それは、カナタという人間を理解しようとする目ではなく、自分たちの「称賛システム」を補強するための「素材」として消費する目だった。

どれほど遠くへ逃げても、人間に出会った瞬間、カナタは彼らの宇宙における「役割」を強制的に割り振られる。

サルトルが言った通りだ。「地獄とは、他人である」。

それは他人が邪悪だからではない。他人が「自分ではない視点」を持っているというその事実だけで、私の絶対的な自由は侵害され、私は固定された存在(物)へと貶められるのだ。


「……殺してくれ」

カナタが掠れた声で言った。

レスキュー隊員は、慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、カナタの手を握った。

「辛かったんですね。その苦しみさえも、今は尊い経験です。さあ、帰りましょう。みんなが、あなたを褒めるために待っています」


ヘリコプターの中で、カナタは窓の外を見た。

雲海の下には、再びあの「薔薇色の檻」が広がっている。

彼はふと、自分の内側にある「まなざし」に気づいた。自分自身を「絶望している哀れな男」として眺めている、もう一人の自分。

たとえ世界にたった一人になっても、意識という構造を持っている限り、人間は自分を客体化せずにはいられない。自分自身さえも、自分にとっての「他人」であり、地獄の番人なのだ。


ルミナスに戻ったカナタを待っていたのは、かつてない規模のパレードだった。

街中のモニターに彼の顔が映し出され、数千万の「いいね」が網膜を焼き切らんばかりに明滅した。

「おかえりなさい、英雄カナタ!」「あなたの孤独な戦いに、全市民が涙しました!」


カナタは、ステージの中央で微笑んだ。

もはや、顔の筋肉を調整する必要もなかった。彼の心は完全に死に、中身のない空虚な「標本」と化していたからだ。

彼は、自分を見つめる無数の眼差しの中に、永遠の出口のなさを確信した。


地獄には、燃え盛る炎も、鋭い針も必要ない。

ただ、誰かに見られ、定義され続けること。

そして、それを受け入れるしかない自分自身が存在すること。


「……ああ、これが幸せか」


カナタがそう口にした瞬間、ルミナスのスコアは史上最高値を記録した。

彼は、誰一人として本当の自分を見ていない世界で、完璧な「物」として永遠に生き続けることになった。

出口のない、薔薇色の地獄の中で。


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