26 その思惑、錯綜につき――
「ふざけるなッ!!」
怒声と共に硝子が砕け散る軽快な音が毛足の長い絨毯に吸い込まれていく。
額から滴り落ちる琥珀酒と色素の薄い血液が絨毯に作る染みを見つめつつ、スターシャは主人である老年の夜精人――――セルブスの激情が治まるのをひたすらに待ち続けた。
「ではなにか?たかが一冒険者が我々の提案を蹴り、剰え傭兵共が手を引いたと言うのか?」
「既に〝紅鏡の刃〟が先頭に立ち、他の傭兵団とも件の冒険者が手打ちにしております故、その認識でお間違えないかと。冒険者などにもその噂が広がり、既に話を通していた者たちも手を引いております。以後、彼等の協力を得る事は難しいでしょう」
言い切ると同時にスターシャが首を動かせば、投げ付けられた酒瓶が通過し背後の壁に当たって砕け散る。
一瓶で金貨が数枚は必要となる酒が壁と絨毯の染みに変わるのも気にせず、セルブスは荒れ狂う。
「どいつもこいつも使えん奴らばかりだ!!そもそも貴様が冒険者一人始末できておればこのような事になってはおらんのだ!!分かっているのか?!」
「……我が身が至らぬばかりに、申し訳御座いません」
「分かっているなら、相打ちなりなんなりしてでも冒険者を始末して来い!!」
「それが御命令とあらば成してきますが、この身の死体が見つかれば御身の立場が危うくなられますが宜しいのですか?」
「ッ!!モグラ風情が王を気取りおってッ!!」
入国の出入り口が一つしかない以上、いくら刺客として腕の立つスターシャでもあの門を隠れて抜けることはできなかった。
衛兵は皆勤労意欲が高く賄賂のわの字すら出せず、スターシャは表向きセルブスの従者として入国するしかなかった。
そして人別帖に載ったスターシャの死体が件の冒険者と相打つ形で見つかれば、問題は確実にセルブスまで波及する。
そして敵対一歩手前の微妙な関係を保っている魔導具組合の汚点を見つければ、鉱山都市の王――――鉄腕王ガルバディは鉱山都市支部を潰しに来るだろう。
「どいつもこいつも吾輩の邪魔ばかりしおって忌々しいッ!!」
「……では、今後はどのようになさいますか?」
「貴様に任せる!!とにかくあの汚らわしい混じり者を苦しめ、分不相応な冒険者を始末しろ!!」
「かしこまりました」
再び物を投げつけんばかりに激情を溜め込むセルブスに深く頭を垂れ、スターシャは影の中へと静かに沈み込む。
そして即座にやって来る浮遊感に多足の脚を広げれば、硬質な音を立てて石畳の上に立つ。
セルブスの居た高価な家具が誂えられた部屋とは打って変わり、家具は最低限に控えられて生活感のない薄暗い部屋をスターシャが見渡せば、影が蠕き出して部屋に潜んでいた同族の部下達が音もなくスターシャの周りへと集まってくる。
「おかえりなさいませ、スターシャ様」
「皆、待たせて済まんな」
「いえ、彼の方が長い会話を好まれるのは何時もの事で御座います故。それで彼の方はなんと?」
「変わらんよ。あの職人を締め上げ、与する冒険者を始末しろと仰せだ」
「まったく、彼の方は相変わらずですな」
同族の部下が差し出してくる軟膏を見て額を切っている事を思い出し、スターシャは酒精の臭いが染みついたナイトベールを外し、グラスを投げ付けられた際にできていた傷口へと塗る。
ジクジクと染みる軟膏に辟易としつつも、スターシャは軽口を叩く部下を睨み付けて黙らせる。
しかし注意はそこまでで、わざわざ口頭や物理的に主人を貶める言葉を嗜めはしない。
そもそもスターシャを含め、この場に居る者たちはセルブスへの忠誠や忠義など持ち合わせていないのだ。
彼女らがセルブスに従っているのはあくまでも自分たち――――故郷を追われた一族の為でしかなく、刺客としての腕を提供する代わりにセルブスの財と権力による庇護を受けているに過ぎない。
スターシャの先々代の族長の頃であれば、セルブスも魔道帝国で要職に就き十全に自分達の実力を活かせたために多少の忠義を尽くしていたらしい。
が、スターシャが今の地位に着く頃にはセルブスは凋落の最中にあり、政争に敗れてこの鉱山都市の魔導具支部に飛ばされてからは一族への便宜もなくなった。
最早仕えるに値するのかは甚だ疑問ではあるが、今この時はまだ主人である以上はセルブスの命を断ることなどできない。
「……兎に角、今は指示に従うしかあるまい。件の冒険者達について得られた情報はあるか?」
その問いに部下の男達は顔を伏せる中、年若い少女と呼ぶべき百足人が手を挙げた。
「……拙の関わる者達の中に件の冒険者達を知る者がいた」
スターシャと同じ赤いインナーカラーを持つ百足人の発言に何人かの者が額に手を当てる。
仮面のように表情の変わらない少女にスターシャも溜め息を吐き出し、顎をしゃくって先を促す。
「母の肋を砕いた女冒険者は〝赫の狼〟レイラ・フォレット。相方の男は〝銀の葬儀屋〟ヴィクトール・ガルメンディア。アルブドル大陸で冒険者をしていて、〝重撃〟や〝破城弓〟なんかを仕留めたのも彼女達」
「そうか、破城弓らを討ったのはあの二人であったか」
何度か仕事を共にし、時には味方として時には敵として相対したこともある四腕人を思い起こすスターシャ。
ただ正確に記憶を漁ろうとするが、それをするには気になることが一つあった。
「……ところでツィーイ、いい加減母と呼ぶのは辞めないか?」
「辞めない。母が母と呼べと言ったから呼んでる。少なくとも母が恥ずかしくなって悶死するまで呼び続けるって決めてる」
最近冗談めかして言った事を間に受け今なお続けている娘の頑固さに呆れ、娘の妙な所で意地を張る性格は誰に似たのかと溜め息を吐く。
そんなスターシャに母方に似たのでしょうねと笑いながら宣う部下を睨み付け、どうせ言っても変わらんと諦めたスターシャは緩んだ顔を真剣な物に戻してツィーイを見る。
「あれ程の腕だ、誰も手を伸ばしていないことなどあるまい。どこの息が掛かっている?」
「それが、はぐらかされた」
「はぐらかされた?」
「そう。拙が詰めても譲らず〝答えられない〟としか答えてくれなかった」
「答えられない、か……」
ツィーイの言葉にスターシャも含め、全員が眉間に皺を寄せる。
協力者が今更スターシャ達を見捨てたとは思えないが、かと言って全てを答えて貰えるほど信用されていないということなのだろう。
本来なら複数ある情報源を当たり、自分達で情報の裏取りも行うのだが、生憎と活動地域外のアルブドル大陸の事情を知るための情報源は一つしかない。
そして唯一の情報源がそんな態度ではスターシャ達も迂闊には動けない。
さて、どうしたものかとスターシャが思考に意識を傾けようとした時、真剣な目をしたツィーイが自分を見つめている事に気付く。
「どうした?」
「それより母、折られた鼻と肋は大丈夫?」
「ん?あぁ、クソが付くほど痛い。鎮痛薬を使っていなければ泣き喚いて居るだろうさ。それに折られたというよりも砕かれたに近いからな。これ程の傷を負わされたのは久方振りよ」
「……拙でも勝てない?」
「お前は確かに歴代で一番の才はあるが、まだ経験が足りん。どんな手を使ったのか知らんが、アヤツは妾らの魔術を意に介しておらなかったし、妾ら百足人との戦いに慣れておったわ」
「……そう」
どこか悔しげにしているツィーイの頭を一つ撫で、スターシャは方針を決める。
「魔具師への締め上げは今まで通り奴の部下から要請があった時だけ協力するに留めろ。ただし強引な手は使わず穏当に済ませるように。あの冒険者相手には適度に襲いつつ、深入りはするな。アヤツが何かしら言ってきたとしても妾がどうにかする。くれぐれも先走ることのないように。良いな?」
「「「承知」」」
「では各自、持ち場に戻れ」
スターシャが手を叩けば、集っていた部下達は陰の中へと戻り直ぐにその気配が消えていく。
今のような程度の低い仕事と呼べるような物にも愚痴を溢さず、素直に従ってくれている配下の姿に感謝しつつ、スターシャも自分の仕事に戻ろうと身を翻そうとした。
ただツィーイが立っていた場所には一輪の花が置いてあることに気付き、拾い上げる。
「……ん。これは鳳水仙か。まったく、素直に渡せば良いものを」
鎮痛と回復を促進させる効能を持つ花が置かれている事に微笑み、しかしかつての自分も似たような態度をしていた事を思い出して苦虫を噛み潰すした物に変わる。
スターシャは鳳水仙を懐に仕舞い、新しいナイトベールでなかなか元に戻らない口元を隠しながら自分の持ち場へと戻っていく。
例えどんな仕事に就く者であろうと、例えどんな経歴を持つ者であろうと、子供の時に自らが行っていた過ちというものはいつ迄も耐え難いほど苦々しい物なのだ。




