第2話:面倒な人助け
トーエンの町より、少し離れた森の中。
日も傾き始めたそんな刻。
今日も今日とて、林道を歩く男がいた。
「今日は子鬼4匹か。ぼちぼちだな」
男の名は、ランドウ。
この男、
「む、外套に少し返り血がついていやがる。くそっ、早く落とさないとシミになるな」
……少し潔癖症である。
外套についた子鬼の返り血を水ですすぐために、ランドウはまっすぐ町に帰らずに、林道を脇道にそれたところにある川に向かっている。
「はやく、はやく落とさねぇとシミになる!」
そうブツブツひとり言を言いながら、早足で獣道を抜けていく。
しかし、草木の泥がなるべくつかないように、足場を選んで歩いているため、普通に歩くのとそう変わりない速さであった。
ランドウは普通の人から見れば、無駄に鍛えられたその観察眼で、器用に獣道を最小の被害(汚れ)で歩いて行く。
もうすぐ、目的の川に着くかというところで、静かな夕刻間近の森とは相反した声が聞こえてきた。
「じいや! じいや! しっかりして!」
「お嬢様! 早くお逃げなされ!」
「ぶもももぉぉぉ!」
ランドウはその声を聞いて、どうやら最後に聞こえた鳴き声からオークに襲われている者たちがいるとすぐに今までの経験から判断した。
「面倒だな」
ランドウは決して聖人君子ではない。
面倒事が待っている場所にわざわざ飛び込んだりはしない。
しかし、ランドウは自分の外套を見る。
薄汚い子鬼の返り血が少しついたこの外套を着たまま、町まで耐えられるのか。
いや、耐えられまい。
「あー、面倒くさい。面倒くさい」
そうブツブツ呟きながらも、足早に件の声がした方向に駆けていった。
聖人君子ではないが、お人好しなのである。
ランドウがまず目にしたのは、大きな装飾の飾られていただろう倒れた竜車であった。
場所は川に隣接した林道であった。
その竜車の傍らには、倒れた甲冑を着た3人と同じく倒れた1体のオーク。
おそらく護衛の者で、倒れたオークはその者らに倒されたのであろう。
そして、傷を負っているが、手に持った棍棒を持って、倒れた竜車を破壊しているオークと、「いやあああ!」と倒れた竜車の中か下から聞こえてくる悲痛な叫び声。
姿は見えないが、オークはその者を害するために竜車を破壊していると見受けられた。
「さて、どうするかな」
ランドウは不用心に攻めたりはしない。
切迫した状況ではあるが、今までの経験から、限りなく勝率をあげる算段を組み上げる。
状況、場所、装備、敵の強さ、可能性を考え、そして、最も「汚れない」勝利を考えた。
作戦を組み上げると、ランドウは行動に移った。
腰に装備した投げナイフを2本取り出して、茂みから出ると同時にオークに投げつけた。
投げナイフは、オークのその膨よかな皮膚に刺さったが、浅い。
しかし、気を逸し、注意を向けるには十分であった。
「ぶももももぉおぉぉお!」
ただでさえ興奮していたオークは、それだけで怒り狂いランドウに敵意を向けた。
「こっちだ!豚野郎!」
ランドウはあえて大声で挑発して、オークをおびき寄せる。
オークは突進するかのようにランドウに襲いかかる。
ランドウはすぐに川の方へと逃げた。
そんなランドウをオークは追いかける。
川に着くと同時にランドウは、川の中へと足を進めていった。
オークもその後を追う。
ランドウは器用に足を滑らせないように川の中へと足を進める。
オークは興奮しているのもあるが、石についた苔などに足を滑らせながらランドウを追う。
ランドウは足を止めて、武器を抜いた。
オークもなんとかランドウを捉えて、鼻息を荒くしながら今に襲いかからんという殺気を放つ。
一瞬、両者の間に静寂が流れた。
「ぶももももおおおお!」
オークが棍棒を振りかぶり、ランドウに襲いかかる。
ランドウは目を開き、その動きから目を離さない。
そして、棍棒が頭を捉えるかという一瞬で、ランドウは身を避け、紙一重で棍棒をかわす。
棍棒を叩きつける動作と足場の悪さからオークは転倒しそうになる。
その隙を逃さずにランドウは回し蹴りをオークの背中に当てた。
体勢を崩したオークはそのまま川の中に倒れた。
そして、倒れた先は、川の淵であった。
川の淵は流れは緩やかだが、その深さは思ったより深い。
その深さから、オークは溺れるように水面上がったり下がったりする。
すぐに命の危機を察してか持っていた棍棒も手から離す。
そして、ランドウはその隙とオークが水面から出るタイミングを見計らって、跳躍した。
ランドウが構えた剣は吸い込まれるようにオークの喉笛に刺さった。
オークとともに水中に入ったランドウ。オークは剣を外そうと足掻くが、ランドウはさらに力を込める。
そして、数秒後……。
オークは息絶えた。
「ぶはっ! しんど! もう二度とやらん!」
川の淵から上がったランドウはそんな文句を発しながら、ずぶ濡れ自分を見て、ため息を吐く。
「……あの状況で最良の手を取ったとはいえ、くそう」
ランドウはブツブツ言いながら、剣を収め、当初の目的であった子鬼の返り血をすすいで洗っていく。
やがて喉笛を裂かれたオークが水面に浮いてきたが、その血は川の流れに緩やかに沿って下流に流れていく。
もちろんランドウはそれより上流ですすいでいる。
すすぎ終わるとランドウは川の瀬に引っかかったオークの亡骸から牙と耳を、いつもの手袋をつけて切り落とす。
苦労はあったが、オークほどの獲物になるとそれなりに報酬が期待できるからである。
素材収集を終えて、ランドウは竜車のあった場所へ向かう。
粉々になった竜車の側で、慣れない手つきで懸命に、礼装を着た老人を手当する少女がいた。
少女はオークに襲われて、かなり乱れていたが、身なりの良い格好をしており、どこぞの令嬢のようであった。
髪も長く美しい金髪。
汚れているが、なお白く透き通ったような肌に、人形のような整った顔立ち。
さぞ、大切に育てられていたと考えられる。
ランドウが側に向かうと、少女は警戒したように体を震わせる。
しかし、ランドウを見て、少し落ち着いたかのような雰囲気を見せた。
「あ、あの。オークは?」
「ん? ああ、もう仕留めたぞ」
「そう、そうですか――!」
少女は安堵したように、息を吐いた。
「あ、あの。助けていただいて、あの、ありがとうございます」
「気にするな。手負いの金になる獲物を仕留めただけだ。それより、そいつは大丈夫なのか?」
ランドウはそう言って、礼服を着た老人を指差した。
「は、はい」
「うっ、た、助けていただきありがとうございます」
そう言って、老人は声をだした。
「何度も言うが気にするな。それより、まずは安全な場所へ移るぞ。血の匂いに誘われて獣が集まるだろうからな」
「はい。じいや立てる?」
「お嬢様。申し訳ございませぬ。足をやれたようで動けませぬ。どうかそこの御人とともに行ってくださいませ」
「そんな! そんなことできないわ!」
「しかし、このままでは!」
ランドウは長くなりそうなので、とりあえず近くに倒れていたオークを解体し始めた。
そして、甲冑を着た者たちの様子を見る。
残念ながら、3人のうち2人はすでに事切れていた。
残りの一人は、息はしているが、頭を打たれたらしく、気絶している。
おそらく、早急な手当が必要だろう。
「おい。こいつはまだ生きている。甲冑外すの手伝え。――あ、ああ爺さんはそのままでいろ」
ランドウが少女にそう指示を出すと、礼服の老人が立とうとしたので、遠慮させる。
少女はランドウに素直に従い、甲冑を外す手伝いをしていく。
甲冑を外しているとわかったことがあった。
「こいつ女だったのか」
甲冑の者は凹凸は少ないが、それが女性とわかる程度には、特徴づいていた。
ランドウは手袋をした手で器用に出血部位を締め上げて、女性を担ぐ。
「よし。行くぞ。爺さんはお前が手を貸してやれ。できないなんて言うなよ。死ぬ気でやれ」
「は、はい!」
ランドウにそう言われて、少女は礼服の老人に方を貸す。
身長差があって、覚束ないが、気を失っている人間を支えるよりは楽だろう。
「あ、あの。ガークとジョンは……」
少女は控えめに恐る恐るランドウにそう聞いた。
「あいつらはもう死んでいる。さすがに今の状況で死んだ者まで連れて行けん。今は自分たちが生き残ることだけ考えろ」
「……はい」
ランドウに言われて、少女は影を落とす。
「遺品ぐらいなら、獣や他の者に持っていかれなければ、明日取りに来てやる。いいから考えず歩くんだ」
「はい。……はい」
そうして、か細い返事をして、ランドウと少女と手負いの2人の4人は、すでに暗くなり始めた林道を進む。
ランドウは多少無理でも、町まで一気に行ったほうがいいと判断した。
そして、どうか背中の女性の血が、服に染み付かないことを考えたりしていた。
誤字脱字は気づいたら直します。