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古桜庵にて待つ  作者: 挿頭 草
第一章:賽の河原
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瞼の裏を光に照らされて、銀次は目を覚ました。

しんと静まり返った庵の中は閉め切っているにも関わらず、あらゆる隙間から外光を通しているせいで思いの外明るい。


いつの間にかに眠ってしまった事を反省しながら、時刻を確認するために隙間から外を覗く。

しかし外も相変わらずの灰色を保っているせいで、今が一体何時なのか、自分がどれだけ寝過ごしてしまったのかも分からない。



「腹、減ったな・・・」



もう二日以上何も食べていないから、腹時計も意味がない。

無意味に主張する腹の音を無視しながら、まず自分の右手で眠る妹の様子を見て、それから次に着物の袂を覗き込んだ。



「・・・いない。」


真っ先に眠っている間に落としてしまった可能性を考え、床を見渡し、それから部屋の中から外まで探しまわる。

しかし、昨晩まで胸に抱いていたはずの嬰児―――金太郎はどこにも見当たらなかった。



「昨晩までは確かにここで大人しく眠っていたのに・・・」



慌ただしく探し回ったせいで巻きあがった埃が、キラキラと光を受けて舞うのを茫然と見ながら、銀次の思考は最も最悪な想定に針を向けはじめる。



―――まさか、眠っている間に外に出ちまったのか



もともと、金太郎は這いずることしか出来ない。

手足を使って、地道にここまでやってきた事を考えると、ちまたで言われているような、空中に浮く幽霊のような移動は出来ないものと思われる。


となると地続きの外にある黒い水たまり、もとい異界への入口を回避することは出来ない。


金太郎自体、異界を通ってやってきた可能性もある。が、もしまた異界に立ち入ってしまったとしたら、目も当てられない事になる。




「異界に、探しに行くべきか・・・」



言っておきながら、己の出した提案に足が震えそうになる。

もしまたあの鬼に出くわすことがあれば、生きて戻れないかもしれない。


しかし銀次にとって、憐れな金太郎が鬼に痛めつけられてしまうのはもっとずっと、許容出来ない事だった。

それに医療も食料もない以上、仮に金太郎が見つかったとしても長らくここにいる訳にもいかない。

いずれにせよ、いつかはここから離れるべきなのだ。


そう無理矢理自分を説得して、決意を奮い立たせる。

お美希を抱え、外へ歩み出す覚悟を決めたその時―――



「だ・・・そこに・・・・か・・」



「・・・!」



囁くような音声に銀次は思わず立ち上がる。



「金太郎!そこにいるのか!?」



「こっち・・・」



どこからともなく聞こえるかすれ声に導かれて立ち止まったのは、土間の壁が剥がれ、桜の幹が部屋の中までのめり込んだ場所。


曲がりくねった桜の幹は、壁にぶち当たった部分から折れていて、庵の内側に向かって痛々しい(うろ)を晒している。

真っ暗な中身を晒す穴の中を覗き込むと、中から微かに白い煙のようなものが出ている。

銀次はそこに向かって声を掛けてみた。



「・・・この中にいるのか?」



「おお、ようやく聞こえたわい。」




―――っ!!



急に洞から噴き出した煙と、どう考えても赤子のものとは思えないしゃがれ声。

もんどりうって倒れそうになる銀次をよそに、洞から次々流れ出る一筋の白い煙が、老婆の輪郭を揺蕩せて浮いていた。


これまで立て続けにいくつもの怪異を見てきたが、これまでと異なる新しい怪異の登場に、もう驚かないぞと銀次は心を強く保つ。


目の前の煙のような姿から、金太郎とは別の種類の怪異なのはみてとれた。しかし肝心の名前が浮かばない。こういうのは―――たしか。



「妖怪、なのか・・・?」



けっして多くは無い知識の中からひねり出した単語は、残念ながら誤りだったらしい。それどころか、老婆は鼻から煙を噴出させて怒りだした。



「ぶ、無礼者!!妾は妖怪などではないわ!精霊!桜の精霊様じゃ!・・・して、貴様は。貴様こそ何者じゃ。何故こんなところにおるのじゃ?」



「あ、ああ。すまねえな。俺ァ銀次ってもんだ。なんていうか・・・そういうの、初めてみるもんで。えっと・・・桜の精サマは、昨日からずっとここにいたのか?気付かなくて悪かった。あとすまねえ。勝手に一晩泊めてもらってたんだ。」



思っていた以上に大層な役職が出てきて、銀次は戸惑いながらも謝辞と礼を述べる。


そんな様子に桜の精は気を良くしたのか、輪郭を緩ませる。

そのまま飛び上がり、洞を離れて室内を一周してみせたが、畳椅子に寝かせられたお美希をみてギョッとする。



「よい。ふむ、僅かだが良質な仁が満ちておる・・・っとと!これはどうした事か。生きた赤子がおるではないか。しかし、ずいぶんと体が蝕まれておる。

おい貴様、何があったのか説明せい。」



「俺たち謀反者に追われて、逃げる途中でお美希は・・・妹は毒を受けたらしい。ずっと眠ったままだ。

だから急ぎ医者と、乳を提供してくれる女人を探している。それと、黒い赤子を探してるんだが、見なかったか?

昨晩まで一緒にいたんだが・・・」



なるほど、と呟いたのち黙り込む桜の精。

どうやら何か思い当たる節があるらしく、考え込んだまま台所のあちこちを覗き込んでやはり、と頷いた。


自分の理解の及ばない所で納得を始める桜の精に、そわそわしながらも解答を待つ。

やがて小屋の中の散策を終えた桜の精が、ようやく口を開いた。



「色々説明せねばならんが、時間がないので手短に話す。まず、お主の妹とやらは死なせたく無ければここに置いていけ。」



「置いていくってどういう事だよ?そんな事をした方が死んじまうじゃねえか。」



「・・・ふむ。どうやらお主は此処どういう場所だか、分かっておらぬようじゃな」



どういう事だ、と続ける銀次に桜の精は霧を揺蕩わせながら庵の外へと出た。

桜の精ら遠く地平を臨む灰色の世界に目を細めて、言葉を続ける。



「ここは貴様ら生者が過ごしてきた現世(うつしよ)ではなく、隔離世(かくりよ)と呼ばれる、時と死から隔絶された世界じゃ。

地獄から流れ入る人間どもの感情が瘴気となって空を覆っておる。

その瘴気によって痛みや苦痛、経過によって飢餓を伴い続けるが、死ぬことは叶わぬ。

本来は死した者のみが訪れるのだが・・・貴様らのように稀に生者もやってくる。


そして重要なのが―――生者はこの世ですべてに優先される。」



そう宣言した桜の精の目が、真っ直ぐに銀次を見つめる。

その意味を図りかねて言葉を失っていると、桜の精は再び視線を外して己の分身である桜の倒木に腰掛けた。



「血を失い過ぎた貴様も、毒に侵された貴様の妹も今、時が止まっているからこそ生きていられるのじゃ。

そして、隔離世では自然治癒は出来ん。今、戻れば間違いなく死ぬ。」



「俺が死にかけだって?!」



言われて初めて自らの体を見下ろしてみると、確かに、全身に無数の刀傷や打撲があった。

死にかけているという自覚はなったが、冷静に考えればこんな状態で動き回れたことこそ異常かもしれない。




「しかし貴様は幸運だ。その血のおかげで地獄の鬼の鼻から逃れ、ここまで辿り着くことが出来たのだからな。」



「地獄ってのはもしかして、あの水たまりの世界の事か?だとすればあの角の生えた奴が鬼か・・・確かに血の付いた旗を口元からずらした途端、追いかけられたんだ。

だったら血を全身に塗りたくれば、出し抜けるという事か・・・。」



「さよう。しかし、今はそれ以上血を失うようなことはやめておけ。

幸いなことに、妾、地獄桜は仁と瘴気を糧に望むものを具現化ことが出来る。死者なら霞程度の効果じゃが・・・生者なる貴様ならば完全な物質を創り出すことも出来よう。

手を貸すならばこの力で貴様らを治療してやる。さすれば現世に戻ったとて死ぬことはあるまい。」



なるほど、と相槌を打ちながら銀次は状況を整理する。

時の止まったこの世界で、現世に戻るにはまず桜の精に治療してもらう必要があるということ。そして、それまでは地獄に近づくのはやめた方が良さそうだということ。

問題なのは、何をすればいいかだが・・・。



「手を貸すって、何をすればいいんだ?」



「時間がない。とにかく仁を集めよ。訪れる者に、貴様が餓鬼にしたようにするのじゃ。少なくとも3人。さすれば妾は再び力を取り戻し、助けとなろう。

いざとなれば妾の力を使え。

―――しっかり励むがよい。」



まだ聞きたい事が山ほどあるというのに、桜の精の形が、見る間に解けて崩れていく。

煙が消え去る間際に、一番欲している答えを求めて声をはり上げた。



「待て!餓鬼って金・・・黒い赤子のことだな?!どういうことだ!あの子はどこに行ったんだ!?」



「―――その餓鬼は飢餓を捨て、苦痛の無い極楽浄土へ昇った。成仏というやつじゃな。案ずるな。縁が廻れば、いずれまた会えよう―――」




そう告げた桜の精が消えた後も、銀次の頭の中にはいつまでもその言葉が反響していた。







「極楽っていう事は。・・・そういう事か。よかったな。金太郎。」



灰色の空に向かって、呟く。

浄土へ昇る。つまり成仏。


慣れない単語を頭の中に浮かべながら、銀次は昨晩の触れ合いを回顧する。

金太郎とはほんの一晩だけの付き合いだった。



本当に、俺の行いで金太郎を楽にしてやることが出来たんだろうか。

本当に、苦痛や悲しみを払拭してやることが出来たんだろうか。

銀次の疑問は尽きない。


出来ればもっと色々してやりたかった。清潔な温かい環境で、腹いっぱい乳も飲ませてやりたかった。

そして誰に言われずとも、これからもずっと一緒にいるつもりだった。



「でも、成仏出来たなら祝ってやらないとな。」




そう口にしてみたものの、うまく笑えない。

良かった。本当に嬉しい事なのだ。

それなのに、心の均衡は失われ、心が、体が震える。うまく表現出来ない涙が込み上げてきて、銀次は少しばかり嗚咽した。


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