二組目の来訪者 壱
時間を掛けて大きく息を吸い、吐く。
そうすることで心はいくらか静まり、少しずつ頭を切り替えることができる。
冷静に考えていけば、金太郎との別れは悲しむべきことではない。金太郎の為だけでなく、自分たちの為にも必要なことだった。
銀次は自分自身にそう言い聞かせながら、桜の精の言葉を思い出す。
『とにかく仁を集めよ。訪れる者に、貴様が餓鬼にしたようにするのじゃ。少なくとも3人。さすれば妾は再び力を取り戻し、助けとなろう。いざとなれば妾の力を使え。』
仁、つまり愛を集めよという抽象的な指示ではあるが、言い換れば金太郎のように成仏できるようにしてやれ、というのが銀次の認識だ。
また、あの会話から読み取れたことは、この隔離世には餓鬼―――金太郎のような幽霊がまだたくさんいるという事だ。
銀次は決意を胸に、もう一度深呼吸をする。
それから盥の水に着けていた旗を洗って広げ、室内の壁に留めた。
火鼠の旗。
貧しきを救う火鼠の一人として、俺にも出来ることがあるなら―――。
銀次がまず始めたのは、室内の清掃だ。
まず眠るお美希の沐浴を済ませ、畳み椅子の上に寝かせてから、銀次は土間の掃き掃除に取り掛かった。
「一体、どれくらいの間使われていなかったんだ?」
土間は箒が滑る度に土煙が巻き起こる。
むせ返りながら泥を掃きだした後は、台所で見つけた不思議な素材の盥に水を溜めて流した。
取っ手付きの水色の盥は底が深くて軽いので、使いやすい。
今後も掃除の際はこの盥を使うことに決めた。
次に、板間や机の拭き掃除をはじめる。
こちらも埃だらけで、拭う布が真っ黒になるほど汚れていた。
しかし再び水色の盥に水を溜め、布を洗いながら何度も磨いてまわると、ピカピカになった。
キレイにしてから気が付いたが、板間や机には漆のような光沢のある塗料が使われていて、汚れやささくれが出ないようになっていた。
このような漆の使い方は初めてみたが、現世に戻ったら生かしてみようと決意する。
それから最後に台所。
大小様々な鍋に、急須や食器や包丁、調理器具は一通りそろっていた。あとは奇天烈な色の盥が複数。
一見何に使うか分からない金属の器具もあったが、調理器具と同じ場所に収納されていた様子から、料理に使うものなのだろうと推測した。
あとは例の無制限に水や湯を吐いてくれる筒のほか、何かを燃やしたような煤の付着したカラクリ、白と黒の大小様々な重い箱がある。
おそらくこれら全てに役割があるのだろうが、銀次には使い方が分からない。
―――もしかすると、これが桜の精の言っていた『力』か?
だとすれば本人に聞いてみるのが一番なのだが・・・当の桜の精が消えてしまって久しい。
様々な釦を押しすぎて壊してしまわないように、慎重に掃除しながら確認していく。
そう考えながら、銀次は手始めに、紅色でひらがなの【あたため】という釦が付いた黒い箱から調べてみる。
金属の取っ手を掴むと、金属の扉が手前に倒れた。その奥には、空っぽの茶碗と皿がポツンと置かれていて、他にはなにもない。
かすかに食物の匂いが残っている以外に、おかしな点も見当たらなかった。
食器入れにしては余りにも無駄な空間の使い方に首を傾げながらも、銀次はそのまま取っ手を戻し、今度は紅色の釦を押す。
あたためというからには、何か熱に関係するものが現れるかと期待していたが・・・
ブン!という異音を放って箱の中が光り出し、幾秒も満たないうちに甲高い音が鳴っただけで装置は止まってしまった。
もしかすると、壊れているのかも知れない。
銀次がそう思いながら、今度は白色の箱に手を伸ばした時。
半開きにしていた入口の引き戸が動いた。
ガタガタ――――!!
玄関の前にいたのは、やはり人ではなく影だった。
金太郎とは違って、今回は立ち上がった姿の黒い影が、2体。
「ようこそ、えっと・・・ここは古桜庵ってんだ。」
咄嗟に入り口へ出迎えにまわり、看板の名前を口にしてはみたものの、改めて客人を迎えるのにどんな口上を掛ければ良いものか思い浮かばず、ドギマギしてしまう。
しかし、緊張する銀次を他所に、2体の餓鬼が言葉に反応することはなかった。
どちらの影も大きく背中を曲げていて、身の丈は分かりづらかったが・・・やはり子供だった。
大きい方は六歳に届かない位だろうか。敷居の前で小さいほうの手を引いている。
小さいほうは三歳ほどで、歩行がおぼつかない。だから大きい方に手を引かれているのだろうか――――二人とも不思議な文様の着物を纏ってはいるが、その隙間から見える体は真っ黒でも分かるほど骨と皮しかない。
そんな小さな影は小刻みに震えながらも、身を寄せ合っていた。
見ているだけで、胸が苦しくなるような光景だった。
「お前ら・・・名前はなんてぇんだ・・・?俺は銀次だ。」
銀次は痛む胸を堪えながら、しゃがんで目線を合わせてから話しかけた。
怖がらせてしまわないように、出来るだけ微笑んで。
しかし、二つの影にはそれでも刺激が強かったらしい。
分かりやすい程震えが強くなり、一歩後ずさった。
その反応を見て、銀次は確信する。
この子供たちは、大人に痛めつけられた経験がある、と。
だから銀次は自分の身体的欠点を最大限に活かす方針に切り替えた。
「・・・俺はこの家の子供でな。今は親が出払ってるんだが、好きにして良いって言われてる。お前たちとりあえず、湯でも飲んでいきなよ。」
唐突に考えた不自然な嘘を並べ、二つの影の前で小柄な体を強調してするように、背を曲げる。
こうでもしないと、このまま去ってしまうのではないかと思っての台詞だったが――――目論見通り、二つの影は、敷居をまたいで入ってきてくれたのだった。
『わたしはサエ。五歳。この子はミヨって言うの。』
頭の中に響く声は、大きい方…サエの声らしい。
湯呑に入れた温かい湯を二人の前に出すと、ゴクゴク飲み下した後、漸く言葉を発してくれるようになった。
銀次はおかわりを注いでやりながら、話を聞く。
「二人は姉妹なのか?仲が良さそうに見えるな。お前たちは何処から来たんで?」
『ミヨは妹なの。だから、二人で河原から逃げてきたんだ。』
「河原?」
『外をまっすぐに行ったら、赤い川があるの。そこは罰としてみんなで石を積まないといけなくて。わたしたちも気が付いたらそこにいたの。
でも、積んでも積んでも鬼に叩かれて壊されちゃうから、それでいやになって逃げて、走ってたら・・・ここに着いた』
―――賽の河原。
神仏や地獄など信じていなかった銀次でも、その地獄の名前は聞いた事があった。
親より先に死んだ子供が、罰として延々と石を積まされる地獄の名だった事を記憶している。
銀次は最初にその話を聞いた時の感想を、再び声に出すことになる。
「なんて馬鹿げた罪と罰だ」―――と。
そもそも何故子供が親より先に死ぬことが罪だと考えたのか。
それは子供が親孝行をせずに世を去ることに起因している。
つまり、子が親に利益をもたらすことを前提とした経典が、それを否定する事象を罪に仕立て上げているだけだ。その証拠に―――
『私たちにはどんな罪があるの?』
脳内に返された幼く素直な言葉は、今の今までそれが罰だということすら自覚していないのだ。
罪の意味も分からず、刑務を重ねること程ほど無意味なことはない。
だから銀次は自分の中にある答えを、サエに分けてやる。
「いいや、違う。お前らは何も罪なんておかしてねえ。だから、何の罰もねえ。ただ・・・誰かの鬱憤晴らしに使われただけなんだ。」
幼子相手に優しく話すつもりが、内に秘めた怒りがつい口調に現れて出てしまう。
慌てた銀次は取り繕って笑ってみせるが、サエは黒い影を揺蕩わせたまま黙って聞いていた。
怖がらせてしまったかも知れない。
そんな憂慮から銀次は話題を逸らせることにした。
「・・・そういやお前らの着てる衣、すげえ綺麗な文様してんな。」
全身が真っ黒な二人の装いの中でも、はっきりと個性が見える着物だ。
銀次は少しでも二人を元気づけたくて、明るい口調で褒め散らかす。
元々黒色ではなかったのであろう下地の上に、白っぽい鮮やかな幾何学模様の紋様が刷られている着物は、素人目に見ても手間をかけて作られたことが伺える。
そんな気付きにサヨは気を良くしたらしく、初めて声をあげて微笑んだ。
『へへ、ありがとう。このべべはね、柱になる為におっとぉとおっかぁが着せてくれたんだ。橋の神様に会っても失礼の無いようにって。・・・あっ!!』
柱、という言葉にようやく二人の死の背景が読めた。
この子供たちは橋の柱、生贄。つまり新築の橋の人柱とされたのだ。
農村では幼子、特に農作業の役に立たない力の弱い女子がよく人柱に選ばれる。サエとミヨは大人の都合によって勝手に命の使い道を決められ、さらに死後は訳も分からぬまま地獄で責め苦を受けていたのだ。
こんな理不尽なことがあってたまるものか。
静かな怒りを湛えながら微笑む銀次をよそに、サエは何かに気付いたように押し黙ってしまう。
「ん、どうした?」
『えっと、えっとね。お兄さんは、橋の神様ですか・・・?』
ん??
一瞬、何を言われているのか分からず固まる。
しかし、急によそよそしくなるサエの態度を見て、銀次は小狡い案をひらめいた。
「そうだ、俺様が橋の神様だ。だから二人とも、俺の命令はよ〜く聞くんだぞ。」
『・・・やっぱり!分かりました!!』
素直な童子の心に付け入ることに、若干良心の痛みはあったが、銀次は半ば開き直った。
その思惑が功を奏したのか、これまでずっとサエの後ろに隠れていたミヨが初めて、重々しく口を開いた。
『かみさま・・・・おなか、すいた』
たどたどしく紡がれた要求に銀次は笑い出し、反対にサエは怒りだす。
『だめよミヨ!神様にしつれいよ!ねぇねと一緒にがまんするの!』
『いや、ミヨ、おなかすいた・・・っ』
ふえ~んと泣き出すミヨ。
するとこれまでサエも我慢してきたのだろう、辛さが堰を切ったかのようにつられて号泣しはじめた。頭の中を席捲する大音量に頭を抱えながらも、銀次はその場にしゃがみこんでしまった幼子たちの頭を撫でる。
「よしよし、二人とも仲良くしろよ。神様命令だ。とりあえず二人とも、おかわりをやるからそこで待ってろ。」
畳椅子と茶卓に二人を座らせ、熱い湯で場を持たせてから銀次は台所を再び漁りはじめた。
空腹の誤魔化しは出来ても、湯だけではそのうち限界がくる。
銀次は焦っていた。
台所には食料がないことは、掃除した段階で薄々気付いていた。
「なにかせめて、空腹を紛らわせることが出来るものはないか・・・。」
米一合、いや、キビや粟でもいい。
幼子二人に食わせてやれるもの。
なんでもいい。出てこい―――!!
空腹に喘ぐ泣き声を聞きながら、自身も腹が減っていることに気付く。
よく考えれば、惨劇の夕餉から何も食べていない。
最期に、皆で食卓を囲んだ夕餉から。
「そうか。親父とお袋が死んで、もう三日も経ったのか・・・。」
思い返せば、両親には何も孝行など出来なかった。
そればかりか、いらぬ心配ばかりさせてしまっていた。最期の時でさえ。
話の途中で席を立ってしまった自分。
困った顔のお袋に、怒り顔の親父。
最期の会話ですらまともにしてやれなかった不甲斐ない自分に、嫌気が差す。
なぜ、もっと大切にしてやれなかったんだろうか。
空腹で弱った心に圧し掛かる、後悔と自責の念。
空っぽの台所で食料を探すこの状況は、罰なのだと銀次は思う。
火鼠の元に生まれ、救貧だなんだと謳って首領の息子の立場に甘え、具体的なことは何もできなかった。
その挙句、民衆はおろか家族すらも大切に出来ないまま、そしてかたき討ちも果たせぬまま、こんな所で追い詰められているのだ。
これが情けない、何も出来なかった自分への罰でなくして、なんなのだろうか。
「すまない。二人とも腹が減ったよな。」
心の底から申し訳ないと思いながら、ふと一つの言葉を思い出す。
「この世界では生者は死なない、んだよな」
桜の精の言葉の裏を返せば。
食料が無いなら、自分の肉でも切り刻んでーーー食料として提供しても死なないんじゃないのか。
幸いにして恐ろしい閃きに取り憑かれ、自分でも狂ってると思いながらも、震える手で包丁を取る。
痛みはあるだろうか。いや、あるに決まっている。
しかし、二人の飢えを癒すにはもうそれぐらいしか方法が・・・
恐ろしい決断に尻込みし、座り込んだその時。
ピッ!ブーーーン。
銀次の背後、なにかが唸りをあげ始めた。
「うわっ?!」
飛びのいて背後を振り返ると、先ほど中身をあらためた金属の箱の蓋と釦が、異音を立てながら光っていた。
先ほどまでは無音を貫いていたはずの、『あたため』とひらがなで記された紅色の釦。どうやら座り込んだ拍子に肘が触れてしまったようだ。
「しまった、ついに壊しちまったか?」
先ほど釦を押した際には、異音と光は瞬く間に止まった。しかし今度はいつまでたっても音と光を止まらず、唸りをあげ続けている。
それどころか、透けた蓋の内側、黄色に照らされた食器の中から煙が出ているではないか。
―――なんなんだ。一体何が起きている?
不気味な音に冷や汗をかきながら、銀次はジリジリと距離を取った。
すると―――
チーン!
唐突に鈴のような音が鳴り、すべての光は消えた。
余りの音の大きさに銀次は飛び上がりそうになった。
茶卓の幼子たちも驚いたのか、泣き止んでいる。
そして、箱の中から漂うのは一昨晩、夕餉でも嗅いだ香り。
「ウソ、だろ・・・そんな訳が・・・」
おそるおそる蓋に手を伸ばし―――開く。
先ほどまで空だったはずの茶碗には味噌汁が、皿には山盛りの玄米が湯気を放っていた。
誰かが、俺たちを見ていて。桜の精が・・・いや、たぶん違う。
話を聞いたほかの誰かが、恵んでくれたとしか思えない。
じゃないとこんなに都合のいいことなんて、起こるはずがない。
震える手で茶碗と皿を取り出した。
出来立てを思わせる湯気を放つ玄米を、手づかみで一口ぶん、くちもとへ運び頬張る。
「うまい。」
咀嚼した玄米を飲み込み、幼子達に分ける分を残しながらもう一度掴み、頬張る。
誰もが知る、一般的な普通の玄米ではない。
暈増しにキビや粟、刻んだ野菜の茎が入っている。
幼い頃から何度も何度も、ウンザリするほど味わい尽くした粗雑な味。それを何度も噛み締めるうちに、涙が止まらなくなった。
「お袋・・・・・」
嗚咽を重ねる銀次の傍ら。
もう二度と、味わえるはずのなかった安っぽく愛しい母の味の香りが、泣きじゃくる背中を抱きしめていた。




