五十五章 私が「あの頃」好きだったことを(17)
十二歳のジョセフィーヌ・ディアンは、今日〝彼女〟との時間をめいっぱい取ることを計画していた。
王都には、昔から家に仕えてくれているうちの一人である専属御者も連れてきていた。彼は昔からジョセフィーヌの兼付き人でもあったからだ。
(ふふふ、彼を連れて行くと言えば、説得できると思っていたのねっ)
彼は人をあまり雇う余裕がない田舎貴族のジョセフィーヌの家にとって、護衛も兼ねて受け入れられた人物だった。
おかげで心配性な親族だけでなく、他に同行させる使用人も無しにできた。
ここまで彼女を行動的にさせたのは人生で〝その子〟が初めてである。
(――つまり私はっ、私の天使との時間がすぐに取れるはずだわ!)
保護者がいるとどうしても挨拶や、時には大人同士の歓談にまずは同席――などあったりする。
しかし、今日は実質ジョセフィーヌ一人のようなものだ。
「お嬢様、かなり楽しみみたいですね」
「ディーゴのおかげよ」
「俺ですか? お役に立てているのなら嬉しいですっ」
専属の御者であり、昔からよくジョセフィーヌの付き人兼護衛にもなっていたディーゴが喜ぶ。
なかなか友達ができなかったか、話し相手に大人達が『仕事、まだあまりないでしょっ』とジョセフィーヌのそばにつけた、というのも理由にある。
そこは……堂々とは人に言えない。
(でも、ディーゴも待機時間は楽しいみたいで、よかった)
ジョセフィーヌが彼の同行を選んだのは、退屈に待たせてしまうという心配もなかったからだ。
ディーゴはいい人なのに、田舎者っぽさが強いと一方的に毛嫌いされることがある。
そんな中、アーバンド侯爵邸では、庭師や警備兵などが休憩時間中に彼の話し相手になっているようだ。
馬の手入れの知識を共有し合ったり、銃や剣の手入れの話しなど盛り上がっているとディーゴには楽しそうに報告された。
(たぶんそれは警備の人でしょうね)
ディーゴはよく庭師の名前を出すが、恐らく武器の手入れ云々は別の誰かが話していることだろう。
「リリーナ侯爵令嬢の都合が空いていて、よかったですね」
王都を出ると、アーバンド侯爵家が思い出されるのかディーゴが言った。
「今週は二度目なので、どうかと旦那様は心配しておられましたが」
「今週はまだ二回目よ」
そう、ジョセフィーヌの目的は、同じ年齢のリリーナである。
友達作戦が成功して友人になれた。しかも、二人目の令嬢友達までできてしまったのだ。
(王都に来て、よかった)
領地の外に行くと、ほとんど独りぼっちだった。
これまでは社交シーズンで必要だと言われても貴族も多い王都に行くのは苦痛だったが、今では手紙を忙しなく交わせる二人の令嬢友達がいる。
いつでも来ていいと話してくれた通り、アーバンド侯爵は自分を介してリリーナに手紙を渡してくれて、そのうえ十二歳のジョセフィーヌに丁寧な返事までくれた。
侯爵様と文通なんて緊張しかなかったが、初めての返事はそれを見透かしたような飾り気をかなり少なくした言葉だった。
『緊張しないでいいよ。手紙を送る練習だと思って、まずは書くことを楽しんでみよう』
手紙を書き慣れていないことは見透かされていたようだ。リリーナも、君から手紙をもらったら喜ぶだろう、と。
――えーっ、天使が喜んでくださるのなら喜んで!
というわけで、もう一人の年上みたいになんでも知っている完璧な王都の貴族令嬢、フロレンシアに恥ずかしながら経験がほぼないのだと打ち明け、貴族同士の文通の仕方など学びつつ友人同士、三人で手紙を送り合っている日々だ。
リリーナの今週の都合については、アーバンド侯爵が教えてくれた。
今日は早帰りとのことで、ジョセフィーヌは数日前から計画を立てたのだ。
(今日はいつもより長く過ごせる!)
ジョセフィーヌはるんるん気分だった。
事前に、アーバンド侯爵にはもちろん訪問について確認した。
彼は用があって外出している時間だそうだが、いつでも来ていいよと快い返事があった。
(リリーナ様の欠けた元気が戻る、というようなことをチラリと手紙でおっしゃっていたけれど……今日は、何かあるのかしら?)
王宮での勉強が、かなり難しい科目の日だったりするのだろうか。
とにもかくにも、そんなことを知ったら、ジョセフィーヌはますます計画を成功させるべく、今日、御者との自由外出を勝ち取ったわけだ。
(時間はいっぱいあったからクッキーも数種類焼けたし、順調だわ!)
しかも今日は――アーバンド侯爵だけでなく〝その息子〟も、不在らしい。
いや、王宮の仕事でいないのだとか。
(そうよね、こんなに早い時間だもの。社交ではなく、王宮でのお仕事――リリーナ様にサプライズで喜んでもらえるように落ち着いて準備もできそうっ)
ジョセフィーヌは、隣に置いていた菓子箱をそっと持ち、膝の上に置く。
自分で包装した表面を撫でる彼女の笑みが、柔らかなものに変わる。
(――誰かが美味しく食べてくれるのは、素敵ね)
幸せを噛み締める。
菓子作りは、一人の時間を過ごしていたから得意になったものだった。
贈る相手はいつだって家族か屋敷の人たち、そして親族。友達の誰かに持っていくなんて、想像もしていなかった。
「お嬢様、喜んでいただけるといいですね」
「『また作って』と言われたものっ、きっと喜んでくれるわ」
ジョセフィーヌは御者席と繋がった窓に、笑いかける。
ディーゴが嬉しそうに笑い返してきた。
「俺、お貴族様が多い場所で、お嬢様が領地みたい笑ってくれて嬉しいです」
「ふふ、大袈裟ね」
「本当ですよ。仲のいいご令息までできたじゃないですか」
ジョセフィーヌは途端に「うぐ」と言葉に詰まる。
「旦那様たちも関心しておられましたね。王宮に行きたいという理由が、手紙を渡したいだなんてっ。あ、詳細は聞きませんよ。俺みたいな人間は王宮に入れる身分でもないですし、お嬢様がようやく乗り出してくださった交友関係の構築について、緊張されてはいけませんからね!」
「…………」
アーバンド侯爵家の跡取り、長男で十九歳のアルバート・アーバンド。
確かにジョセフィーヌは、彼にも何度か手紙を渡している。
あれは、アルバートが『王宮にいるリリーナにそのまま渡してあげられるよ?』なんて、きらきらな笑顔で提案してきたからだ。勉強を頑張っている天使、いやリリーナに応援の言葉を届けられると思ったら、
『でしたらぜひ!』
――なんて、前のめりに答えてしまうに決まっている。
しかもおかしなことに、周りからは仲がいいように見えるらしい。
(私の目的は、リリーナ様ですけれど?)
ジョセフィーヌは心の中で疑問符をたくさん浮かべる。
親族以外の異性は、ちょっと苦手だ。年齢も七歳離れているし、アルバートはリリーナの兄だ。
兄、と付くとなんとも高い壁があるような存在にジョセフィーヌには感じる。
だって仲良くしているのは妹のほうで、兄も父もそう顔は合わせない相手で――。
(まあいいわ。今日はっ、数日ぶりにまたリリーナ様に会えるんだもの!)
アーバンド侯爵邸に令息のほう、アルバートはいないのだ。
目的はリリーナなので、ジョセフィーヌはただただ彼女を思ってるんるんと、アーバンド侯爵邸に到着するまでの時間さえ車内で楽しんでいた。
――のだが、馬車がアーバンド侯爵邸の前で停まったあと、ディーゴに菓子箱を持たせて下車を手伝われたジョセフィーヌは、数秒固まってしまった。
「いらっしゃい」
屋敷の玄関までにこやかに挨拶してきたのは、優しさしか感じない端正な顔に、甘やかすような眼差しと笑みがよく似合うアルバートだった。




