三十八章 驚きとドキドキな婚約披露パーティー!?(5)
言われた事を理解するのに、ほんの少し時間がかかった。だって誰かと踊る想定なんて、そもそもしていなかったからだ。
「お、踊る? 私が、ロイド様とですか?」
確認してみると、ロイドはじっとこちらを見つめたままだ。
本気なのだと分かって、マリアは「あの」「その」と慌ただしく言葉を紡いだ。まさか誰かにダンスをここで求められるなんて、本当に思っていなくって。
「えっと、ロイド様もご存知かと思いますけど、私のダンスはアレなので、公爵様でもあらせられるロイド様のお相手は」
「そんなの、俺がリードするから平気に決まっているだろう」
どっから出てくるんだ、その自信。
言っている途中で口を挟まれたマリアは、一瞬言い負かされそうになった。けれど我に返ると「それにっ」と気を取り直すべく声を出した。
「あの、私はメイドですし」
「今は〝令嬢のふり〟の真っ最中だろう」
「うっ、まぁ、その、そうなんですげと……ほら、それに私とロイド様じゃ、身長も違いすぎますし」
マリアは、今の自分とロイドの身長差を、「こんなんですよ」と手で示した。
「私はそももそメイドで、こうして参加しているのも予備の護衛で、臨時班を通して頼まれただけであって。……私は、ロイド様のダンスのお相手には、相応しくな――」
あなたに相応しくない。
そう口に出した途端、マリアは手を掴まれて言葉を遮られた。ハッと見つめ返してみると、そこには真剣なロイドの目があった。
「それが?」
屈み込んできた彼が、問う。
「え……?」
一瞬、彼の返した言葉の意味がつかみかねた。
心まで見透かすような強い眼差しに、どうしてかマリアは目がそらせない。
「本当はメイドだとか、幸いにも参加している身だとか、関係あるのか?」
「だ、だって」
「俺は、お前と踊りたいんだが?」
どうして?なんて、言葉は続かなかった。
気付けばマリアは、そのままロイドに手を引かれていた。それでも、彼はこちらを見つめたままでいて――。
「はい」
どこか、ふわふわとした心地でマリアはそう答えていた。
※※※
ど、どどど……どうしましょう。
十二歳のジョセフィーヌ・ディアンは、大勢の貴族達に溢れた会場の中、おろおろしていた。
無理を言って来てしまったせいだ。だって仕方がない。本日は、リリーナの晴れ舞台である。その天使の可愛らしいドレス姿! そしてはにかんだ笑顔! これを見に行かずにいられようか!?
「はぁ……最高の入場シーンでしたわ」
それを思い返して浸ってしまった一瞬、ジョセフィーヌは現在を忘れた。ふわっふわっの量多い癖毛の髪で、背中がすっぽりと隠れている華奢な彼女が、一人、うっとりしているのを周りの者達がチラチラと見ていった。
既に始まってしまったダンス。
ハッとジョセフィーヌは、続いての目的を思い出す。
「こうしちゃおられませんわ! そんじょそこらの者共など、関係有りませんっ。マイ・エンジェルのダンスを、この目に焼き付けねば!」
鼻息く一人宣言した彼女が、先程まで一人心細さで震えていたのも吹き飛んだ様子で、ぴゅーっと人の間を走って抜ける。
それを、給仕の二人が目で追っていった。
「……あの令嬢、今、『こうしちゃいられねぇ』的な感じの台詞、言わなかった?」
「……俺もそう聞こえた。しかも、『そんじょそこら』ってのも聞こえたぞ」
その二人は、言葉を囁き交わして、同時に首を捻った。
なんとも令嬢にしては、妙な言葉使いも習得しているジョセフィーヌ、ことグイードの遠縁、ディラン男爵の一人娘は会場内を進む。
一層人が集まっている場所があった。ぐいぐい間を割って進んだら、なんとっ、リリーナが〝家族の代表〟と前ダンスを披露してているではないか!
「うわあああああ、なんってたまらん光景なんですの!」
ジョセフィーヌは、大変興奮した。リリーナの嬉しそうな笑顔、髪の動き、とても美しく仕上げられたドレスの裾の動きの全部、目に焼き付けた。
……あ。お相手はお兄様でしたのね。
短いダンスのお披露目が終わって、ようやくジョセフィーヌは気付く。
まぁそんな事はどうでもいいのだ。とても良きダンスだった。なんという名前だったのかは分からないけれど、ちょっと子供っぽい感じのステップが、リリーナのあの笑顔にバッチリで最高だった。
お兄様、グッジョブですわ。
さすがあの人だ。またしてもすぐに名前が出てこなくて、ジョセフィーヌはそう褒めて思った。あのダンス、あとで調べていつかリリーナと、うふふきゃっきゃっとやってみたい。
そんなリリーナとは、あとで話そうとも約束していた。
だから、本当にとても楽しみである。
でも本日は、フロレンシアも到着が遅れるとことだった。さて、次のクリストファーとのダンスが始まるまで、どうしたら?
今になって、再びジョセフィーヌはその問題へと戻る。
「グイードおじ様のところに行こうかしら。でも、奥様と参加されると、べったべただから話しかけづらいのですわ」
あの家族の団欒を邪魔しても悪い。
ルルーシアとは、あとでタイミングが合えば話そう。
うむと一つ頷いて、ジョセフィーヌは会場を歩き出した。リリーナと会える喜びで、ほんの少しだけ勇気を出してフリル二割増ししたドレスを揺らして歩く。
と、不意に、覚えのある令息が前に出てきた。
「ジョセヌィーフ嬢、俺と踊るかい?」
へへっとちょっと鼻をこすって、相手がフッと決めてそう言う。
――こいつ、誰だ。
ジョセフィーヌは、ここ数ヶ月の数十件のお見合いやら婚姻活動を思い返した。
直後、ふと、あの時々に向けられていた目、その後のひそひそとした噂話を立てられた事が蘇った。
その途端、もう帰りたさで胸がきゅっとした。
「わたくし、踊りませんわ」
嫌だな、嫌だ、とても嫌……それまで、ずっとそう思っていた事が体中に蘇る。
拒否感、怖さ、苦手意識。一気にその全部が思い出されて、ジョセフィーヌはドレスのスカートをぎゅっとした。
「なんだよ、一人だけボッチになるだろうから、父上に言われてきてやったのに」
「…………」
「遠縁とはいえ、あのグイード子爵の血縁だろ?」
あの、と言われても分からない。グイードの子爵家が、貴族としての地位はそこまで高くないながら、強い社交力で色々なところと繋がりがあるのは知っている。
ジョセフィーヌのディラン男爵家も、帝国貴族の血が混じっていた。
お母様、私と違って美しい髪だったわ。ああ、確かそれを嗤っていた一人だったなと、ジョセフィーヌは今になって思い出す。
令嬢だから、いつかは嫁がなくちゃいけない。お姉様達みたいに。
――でも、マリアが、無理をしなくていいと言ってくれた。
リリーナは気にしなかった。フロレンシアもまた、別に早くしなければならないものでもない、堂々としていればいいと述べていた。
今、ジョセフィーヌが思う事を。したいと、笑顔が曇らない方向で考えればいいのだ、と。
でもジョセフィーヌには、その自信がないのだ。
「わ、わ、わたくし、私は」
令息の手が伸びてきて、ジョセフィーヌは、途端に令嬢口調も崩れた。
その時、彼女より随分慎重の高い彼が、ゾッと身を強張らせた。
「その子に、触らないでくれる?」
不意に、掛けられた美しい声。
でもどこか鋭利な刃物みたいに一瞬感じた。振り返ってみると、そこには、やっぱりいつも通りに優しそうなアルバートの姿があった。