三十五章 まさかの私も参加ですか!?(1)
とある日の正午前、王都にある中央軍部、最下の地下牢。
扉の外には、厳重な警備体制。その〝特別な尋問部屋〟には、早々に移送され到着した大司教アンブラの姿があった。
中央に置かれて古びた机と椅子。その大司教アンブラを取り囲むようにして、中央軍部の男達が軍式の姿勢で立っていた。その腰には剣、他にも軍服には武器が携帯されている。
真っ青な顔色をした彼は、ガタガタと震えて椅子に座らされていた。鎖や縄をされたわけではないが、本人に逃げを考える意思は全くない。
それは、この円形状の部屋に周囲に置かれた、使用感漂うあらゆる拷問器具によるところもあった。
――だが、到着して数十分、彼はずっと黙り込んだままだ。
机の向かい側立って質問にあたっていた二人の軍人が、ふと足音に気付いて目を向けた。
それから間もなく、重々しい音を立てて扉が開く。
「これは、陛下」
その二人の軍人が、キビッとした様子で即敬礼をとる。他の者らも、直後にはならうようにして一糸乱れずそれに続いていた。
その名が出された途端、大司教アンブラが弾かれるように顔を上げた。
「な、なぜ、国王陛下がここに」
そう大司教アンブラが口にした直後、質問係りの男の一人の手が、ぴくりと反射的に警棒へと伸びる。
だが、それを止めたのは国王陛下――アヴェインの声だった。
「どうだ?」
たった一言で、現状を問う。
その場に強い緊張が張り詰めて、誰もが恐れ慄くように唾を呑み背を伸ばす。質問を投げられた軍人が、ゾッとしたように警棒から手を離し敬礼で答える。
「いえ、今のところ全く喋りません。これから段階を踏んで対応にあたっていく予定です」
やや早口だ。カラカラに喉が渇いているような声だった。
立ち合わせている中央軍部の上層部の屈強な男たちも、彼らと全く同じく極度の緊張を張らせていた。
アヴェインが、カツン、カツンと足音を響かせて大司教アンブラのもとへ向かう。
成人した子がいるとは思えない、真珠のように白くなめらかな肌。さらりと揺れる金髪、その下には金緑の目。美しい顔は無表情ゆえにより際立つ。
机の前に立つ軍人の隣で、アヴェインの足が止まった。
「そうか。まだ、話す気がないか」
口調はひどく冷静。そして呟くような言葉だった。
考えをまとめるような独り言の一つなのか、自分に言われたのか判断がつかない。国王として命令された場合を想像したのか、大司教アンブラが急ぎ考える表情を浮かべる。
しかし、冷静をどうにか貼り付かせている軍人らは、心臓が縮こまった様子を顔に滲ませていた。
「お前、右利きか?」
不意に、アヴェインが問う。
唐突な質問に、大司教アンブラが、一瞬思考を止めて固まる。
「は……? え?」
「利き手は、どちらかと聞いている」
やや強めの声だった。機嫌をやや損ねたらしいと感じたのか、大司教アンブラが、ようやく質問の内容を理解したかのように慌てて答える。
「み、右利きでございますっ」
――直後、つんざくような悲鳴が響き渡った。
この世の地獄を見るような絶叫だった。切断された左腕。椅子から転がり落ちた大司教アンブラが、肩を押さえて冷たい床の上をのち打ちまわる。
それを見下ろすアヴェインの手には、隣にいた軍人の腰から、目にも止まらぬ速さで〝拝借した〟剣が握られていた。
「利き手があれば、字は書ける」
告げるアヴェインの声が、冷たく降り注ぐ。
大司教アンブラが、すぐそこまで歩みを進めてきた彼に気付いた。はくはくとどうにか呼吸をしながら、血飛沫を受けた顔面を恐怖に強張らせる。
「正直に全部、速やかに話して我々に協力していくんだな。そうでなければ、次は使う必要がない足を、一つずつ斬り落としていく」
「ひぃっ」
「話さなければ話さないで、その時点でお前に価値はない。反逆、そして〝殺害協力〟でその場で俺が処刑する」
価値はない、とは残酷で容赦のない言葉だった。
大司教アンブラが、苦痛に涙と涎を垂らしながら、ひぃひぃと床の上を這って絶望した目で軍人に助けを乞う。
――完全に恐怖に呑まれた。根から心を折られたのだ。
「なん、でもっ、話します、からぁ、ああ」
ああ痛い、ああああ痛い、いたい、いたい死んでしまう……がくがくと震えた声が、響き渡る。
しかし、まだ誰も動かなかった。ただただ大司教アンブラを機械的に見ている。アヴェインが許可を出していないからだ。
アヴェインが、全く動じた様子もなく、ふいっと踵を返す。
「傷口を〝焼け〟」
「はっ」
剣を返された軍人が、それをキビキビとした動きで受け取った。ようやく軍人たちが動き出して、大司教アンブラの体を起こし上げる。
「知っていることは全部吐かせろ」
そう告げたアヴェインが、そのままそこから出ていく。
重々しい扉が、再び閉まったところで、誰もが詰まっていた息を吐いた。気付けば額に汗をびっしりとかいていた大男が、連れて行かれる大司教アンブラの哀れな呻きを聞きながら、言う。
「相変わらず、陛下は容赦ないですな……」
「この件に関しては、徹底していらっしゃるからな」
白髪交じりの男が、同じく軍服の帽子を取って額の汗を拭った。
※※※
十歳の第四王子クリストファーと、侯爵令嬢リリーナの婚約披露パーティーの日が迫っていた。王都に戻ってきて数日、屋敷内もにわかに慌立たしさが出始めている。
この日、早朝にアーバンド侯爵によって全使用人が集められた。
当日へ向けての動きが改めて発表された。王宮の方から、パーティーの段取りも正確な日程の決定があったようだ。
「当日は、サリーがリリーナの一番そばで護衛にあたる。私とアルバートも参加するから、フォレス達は留守番を頼んだよ」
「それは承知しております。まだ少し先の話ではございますが、この日もお屋敷の事はお任せくださいませ」
サリーは、リリーナの騎士だ。一番の護衛の位置も、当然の人選だろう。
そう思ってふむふむと聞いていたマリアは、次のアーバンド侯爵の言葉に、呑気な思考をガツンと吹き飛ばされた。
「ああ、それからマリアは、私達と同じくパーティーに参加するから」
「ごほっ」
マリアは、思わず咽た。アルバートがにこにこ見つめている視線の先を追って、とくに見習いコックのギースと庭師のマークが同情の目を寄越していた。
その間にも、説明を引き継いで執事長フォレスの言葉が続いていた。
念のための護衛の予備群だ。何かあれば対応する。サリーは、基本的にリリーナ達が過ごす王族側を。マリアは一般会場側にて、参加者に紛れて待機の護衛業にあたる。
確かに、一般参加者に紛れた方が動きやすい時だってある。
――しかし、しかしだとマリアは思った。
「あの、でも、参加者としてでなくてもいいと思うんですよ」
諦めきれない望みを託して、そうアーバンド侯爵らに言ってしまった。リリーナと会場入りできるのはすごく嬉しいのだけれど、護衛ならメイドとしてでもいいような――。
すると、アーバンド侯爵が却下してくる。
「せっかくなんだから、マリアもパーティーに参加しよう。護衛の一人として貸してあげるからと、王宮側にも返事をしてしまったし、変更は不可だよ」
ははは、とアーバンド侯爵が青年みたいな柔らかな口調で言った。
え、もう確定済みなの?
嘘だろ、とマリアはよろめきそうになった。王宮側ということは、臨時班と同じく総隊長ロイド経由か……なら、断れないだろう。
「ダンスも、念のため想定して準備しておこうか」
「ダンス!?」
思わずマリアは大きな声を上げてしまった。
すると、フォレスがじーっと見てくる。
「何か問題でも?」
マリアは、すぐに答えられず「ははは……」引き攣り笑顔だった。
「その、ダンスなのですが、ほら、だって私、踊る必要もありませんし?」
「マリアさんは、王宮では顔が知られていますからね。リリーナお嬢様のメイドとして恥ずかしくないよう、そして参加者として自然を装うため踊るかもしれないことを考えると、備えていた方がいいことです」
「花嫁修業にも良い機会です」
侍女長エレナが、意見に同意するように頷いて言った。
その言葉が、マリアの耳を素通りしていった。作法は身についたが、もともと裁縫だめ、料理だめ、女性らしい溢れ出る品もなし……。
確かに良い機会かもなと、使用人仲間たちの間にそんな空気が漂う。
――が、マリアは全く喜べない。
とんでもないことになった。
先日まで、リリーナの新作のドレス姿が見られる!と幸せと期待一色だったというのに、まさか、そのパーティーに自分まで参加させられることになろうとは……。
マリアは、登城したのちの打ち合わせのスケジュールを聞きながら、ダンスか、と悩み込んでしまったのだった。
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