三十二章 公正な警備隊長&異端な神父(3)下
ニタニタしている男たちが、次第に近付きながら言う。
「ちょっとばかし肝が据わってるお嬢ちゃんみたいで、助かるわぁ。ほら、いきなり叫ばれたりでもしたら、俺ら一瞬でその喉をかっ斬らなきゃならないからさ」
「は?」
「でもそうすると、やっぱり少なからず騒ぎの音が外に聞こえちまうだろ? 買収した警備隊に頼んで人払いはしてあるが、その向こうまで聞こえたら、契約違反で配当金が減らされちまう」
配当金、と聞いて、マリアは「なるほどな」と強張った笑みを浮かべた。
ここの大司教が、色々と問題のある闇稼業のグループと取り引きしているのは聞いて知っている。どんな風に仕事分けがされているのかは知らないが、その数があまりにも増えすぎたのだろう。
だからこのように、配当金目的でグループ同士の潰し合いも起こる。
王都から数日の距離で、そういう場所も久々だ。一体その阿呆な大司教は何やってんだよ、余計な利益目的にまで手を出してんのか、とかマリアは色々腹立たしくなった。
すると男たちが、こちらへと歩みより始めた。
ハタと思考を中断して、マリアは警戒して後ずさる。
「私を、すぐに殺すつもりですか……?」
「だって子供相手だと『楽しみ』もないじゃん?」
他の旅行者に、とっくにそんな事してるわけじゃねぇだろうな!?
それを聞いたマリアは、怒りでカッとなった。その少し赤らんだ顔をなんと取ったのか、男たちが愉快そうにケラケラと笑いながら、全員が刃物を持つ。
「怖くて動けなくなるタイプのガキは嫌いじゃないぜ。始末が楽だ」
「この町の人間じゃなきゃ、好きにやったって司教様側が片付けてくださるからな」
こいつらッ、マリアは喉までそんな言葉が出かけた。そんな事を大司教が許して、それでいて彼らみたいな男たちを『自由に』させているとか、信じられないくらいド阿呆だ。
そうか、後ろの通りに人がないのは、さっきの警備隊の巡回班のせいか。
マリアはチラリと確認して、入る前に気付くべきだったな、とこっそり舌打ちした。叩きのめすにしても目立ちすぎる、ここで戦闘をしていいものかどうか――。
そう思って、スカートの上から剣に触れた時、上から降ってきた黒衣が目の前で舞った。
それは、漆黒の薄地のローブに身を包んだ男だった。顔には白い面がされており、横へ伸ばされたローブの先からは、長い剣先の刃が覗いていた。
舞う衣が、ふわりと揺れている中、不意に仮面の男が動き出した。
「あっ、逃げ――」
気付いて咄嗟に口を開いたものの、マリアの声は間に合わなかった。
仮面の男の剣は、一瞬にして一番近くにいた男の喉を一突きで貫いていた。白眼を向いた彼が、潜血を噴き出させるそばで、男たちが驚きと警戒を露わに武器を構える。
「一体なんだ!」
「どこのもんだッ」
彼らが初めて声を荒上げた。
剣を喉に刺したまま白い仮面が、不意にマリアを見た。
「もう、危ないなー。こういうのは時間をかけちゃダメ」
仮面の向こうから出された、場違いなくらい緊張のない声。
まさか、とマリアは目を見開いた。しかし、そう思っている間にも、仮面の男は動き出していて、飛び込んでくる男たちを次々に斬っていった。
その動きには容赦がなかった。雄叫びを上げて飛びかかろうとした男が、開いた口に「煩くしないんでしょ?」と剣を突き刺される。心臓を一突き、次の男も後ろから心臓を――そして最後の男は、喉を『キレイ』に斬られた。
その間、僅か数十秒だった。
五人の新しい死体が出来たところで、使い捨ての剣を放って「ふぅ」と男が仮面を外す。
「相変わらずなんだから、オブライトさん。いきなり飛び込んだりしたら危ないよ?」
もっと警戒しなきゃ、と笑いながら言ったその男は――ジョナサンだった。
血まみれになったローブを、もう用なしと言わんばかりに過ぎ捨てる。それから仮面を、ゆったりとした神父衣装の上衣の間に適当にしまう間も、彼は笑顔だった。
「この仮面ねー、結構インパクトあったでしょ? 少し前の聖騎士団が使っていたものなんだよー」
「…………おまえ、なんで……」
マリアは、唖然としてうまく声が出ない。
なんでいきなり殺した?
すると、察したように、ジョナサンが美しい笑みを浮かべて正面から見つめてきた。口許に付いた血を、赤い舌先でぺろりと舐める。
「ここでは、これが普通なの。殺すか殺されるか。それに僕は、ロイドみたいに真っ直ぐじゃないからね。それでいて騎士でもない。剣一つに重みを感じた事はないよ」
手に付いた血を、捨てる布でごしごしと拭って、彼がにこっと笑う。
「この町が今そうなってるのも全部、例の大司教が好き勝手しすぎたせいなんだけどね。金をもらった犯罪グループ同士が、配分金欲しさに互いを潰し合ったりする。それを大司教側は必死になって隠し、そうすると彼らは、ますます好き勝手にやる――馬鹿みたいでしょ?」
悪循環だ、犯罪グループにとっては温床みたいなものだろう。
マリアは信じられない気持ちで、頭の中を整理していた。だから放っておいていい、すぐに処理係りがくると思うから行こう、とジョナサンに誘われるがままそこを出る。
太陽の日差しが溢れる道を歩き出したところで、ようやく頭も回ってきて理解が追い付いた。
「これも全部、大司教の行動が招いた現状、なのか……」
遠くなっていく現場の方へ目を向けて、思わずチラリと呟いた。
するとジョナサンが隣で、呑気で軽い口調で「そうだよー」と答えてきた。
「放っておくと、もっと目に見える形でこの町はヤバくなるかもね。まっ、そうなったらなったで、聖職機関も国も黙っていられないとは思うけど」
「……だろうな。あれだけ野放しにされていたら、それも時間の問題か……」
そう口にしたマリアは、ふと疑問に気付いて彼の横顔を見上げた。
「でも、ここ十数年ずっと派手な動きはされていなかったんだろ? だから『外』からは気付かれる事がなかった――いつから、こうまで大胆になってきたんだ?」
「ふふっ、たった一年だよ」
「一年!?」
マリアはびっくりして、慌てて口を閉じる。たった一年で、グループ同士の殺し合いが日常茶飯事になるくらいの土地になるものなのか……?
あやしげに美しく微笑んだ彼が、気持ちはよく分かるよという目を返した。
「信じられないとは思う。僕だってそうだ。でも、僕は『約一年前』からここにいるから、その変化もよく分かるんだ」
「そうなのか……」
「おかげで町の住民にも被害が出そうになり始めてさ。それで仕方なく、僕が個人的にこうして仮面を付けて、正義のヒーローのごとく神父業外にも活躍しているわけ」
「そうか。お前なりに、考えて動いていたわけなんだな」
彼は自分たちよりもこの町の事を知っている。こっそり活動するため、そして住民や旅行者を守るにも、経験も踏まえてあの方法を取っているのだろう。
するとマリアの視線を受け取ったジョナサンが、「やめてよ」と手を振って言った。
「そう露骨に『見直した、感心した』みたいな目を向けてこないで」
「ああ、ごめん。そういうところ、昔と変わらないんだなぁって」
マリアは目を離して、困ったように素の表情で笑った。
ジョナサンが「全く」と吐息をもらす。
「オブライトさん、ほんと、ころっと騙されるところもあるから心配だよ」
「何が?」
「べっつにー。まぁ聖騎士団もいるから、案外仮面だけしちゃえば気付かれないものでね。大司教側の隠蔽のおかげで、僕も今のところは知られないまま動けてる、とだけ教えておくよ」
マリアは先程の衝撃が大きくて、それ以上の事を考えられないまま「ふうん」と相槌を打った。部屋で落ち合ったら、治安については真っ先ジーンに報告しておかないとなぁと思う。
ひとまず考えがまとまった。
目を戻したら、待っていたみたいに、ジョナサンがにこっと笑いかけてきた。
「この町の現状は分かったでしょ? 早々に解決してもらわないと、一般人の被害者が増えるよ」
町は大きい。旅行者の被害人数については、正確なところは分からないものの、一年以上前と比べれば圧倒的に増えているだろう。
それもまた真実で、変えようのない現状なのだと、ジョナサンは少しだけ寂しそうな表情で語った。普段はSっけたっぷりな問題児だったばっかりに、マリアは胸が痛んだ。
元々、寂しがり屋の優しい子ではあった。
そうして大人になった今も同じなのだろう。きっと友人たちも町の現状について情報を持ってくるはずだ。だからこれ以上はもういい、と伝えるようにして腕を軽く叩いた。
「ふふっ、ありがとう、オブライトさん――やっぱりあなたは優しいね」
目を戻したマリアの横顔を見下ろして、ジョナサンがにんまりとした。