二十五章 メイドの後日、ヅラの災難(2)
薬学研究棟の一階裏手にある扉をくぐって、ルクシアの研究私室に入った。すると作業台で、珍しく組んだ手に額を押し当てているルクシアの姿があった。
それを目に留めたマリアとアーシュは、「あれ?」と目を丸くした。速やかに珈琲を用意した後、どうしたのか尋ねてみた。
どうやら護衛の部隊軍が出来たうえ、例の面白い馬の持ち主である騎馬隊将軍バレッド・グーバーが、本日よりルクシア専属の護衛として決まったらしい。本人と部下全員一致で、『国王陛下に直談判』があったのだとか。
バレッド将軍は、馬の風邪薬の件でファンになったらしい男だ。恐らくは、その件で護衛を申し出たとは推測されるのだけれど……。
「それにしても近衛騎士隊が身を引いて、あのムキムキ騎馬隊が護衛に就いたんですか……よくそれを上が認めましたね」
同じく首を捻っているアーシュの隣で、マリアは思わずそう感想の声を上げた。そもそもなんで騎馬隊なんだろうな、と話を聞かされた二人は同じ疑問を抱いていた。
バレッド将軍がかなり熱い男なのは、短い交流だけで分かっている。恐らく彼を含む当人たちが、護衛の件をゴリゴリに推したのでは、とも推測された。
「うーん。ようは、そんなにファンなんだろうなぁ」
「おいマリア、口調からメイドらしさが削れてんぞ」
隣から、アーシュがすかさず突っ込んだ。彼は「ったく」と口の中で呟くと、目の顰めを半ば解いてルクシアを見やる。
「それで部隊単位での護衛というは、一体どんな感じになるんですか?」
「現在の護衛の『形』に関しては、変わらず『引き続き』なのだそうです。私が嫌がるだろうからそうしろと、引き継ぎの際にきつく言い聞かせてあるのだとか」
思い出しながら、ルクシアがそう口にする。ゆっくりと少しだけ首を傾げた際、王妃と同じ赤みかかった栗色の髪がさらりとかかっていた。
気を張っていないせいもあってか、十五歳にしては幼い外見がぐっと増す。マリアとしては、ますます庇護欲をかき立てられた。
やっぱりツンな子供も可愛いよなぁ。
いやそこがまた、子供らしい愛らしさの一つでもあると言えるだろう。ふふふ、と微笑ましくなって素の柔らかな笑みを浮かべる。
ルクシアが、そんなマリアに不審そうな目を向ける中、アーシュが「『きつく言い聞かせてある』、か……」と思案気に宙を見やった。
「じゃあルクシア様が許可したら、あの将軍、喜々として堂々と踏み込んできそうですね」
「あははは、まさかそれはないだろう」
マリアは、つい素の仕草で笑った。アーシュにジロリと視線を向けられて、口調を直してからこう続ける。
「だって今のところ、近衛騎士隊の代わりに『今の護衛体勢』に入っているんでしょ? ストーカーみたいにじっくり建物に張り付いていないと、室内の声も様子も分からないわよ」
「まぁそうだよな。ストーカーかなとか思っちまったけど、ちゃんとした軍人の将軍だもんな。さすがにそれはないか」
アーシュは長い足を組んで、警戒を解き珈琲を口にする。ふっと思い出した様子で、安心出来るかもという目をルクシアへ戻した。
「そういえばあの将軍、噂を聞く限りでは、仕事熱心な実力派らしいですよ。演習試合で地上戦、馬上戦でも周囲を圧巻していたと、ジークも言っていました」
「ああ、あたなは兄上の親友でもありましたね。なるほど、ジーク兄上はその時に、既に賛成派に回っていたというわけですか」
ルクシアが、ふぅっと小さな息をつく。
その様子をじっと見つめていたマリアは、珈琲カップをテーブルに戻した。カチャリ、と小さく音が上がった事に気付いて、彼がふっと視線を返してくる。
「私としても、あの将軍様は悪い男ではないと思います。護衛を任せるとしたら戦力面でも安心出来るのですが、ルクシア様は大丈夫ですか? バレッド将軍の事、少し苦手そうな感じがありますよね」
「……まぁ、そうですね。しかし護衛を選べる立ち場ではないですし、今の状況で断るのも得策ではない…………ココにいるのは、今は私だけではありませんから」
マリアもアーシュも、そして来てくれるようになったライラック博士だっている……とルクシアは口の中に言葉を落とす。
珈琲カップの中をぼんやりと眺め、ぼそぼそと話された言葉の方は聞こえなかった。二人はきょとんとして目を合わせ、それからアーシュが一つ頷いて問い掛けた。
「ルクシア様、どうかされましたか?」
「いえ……、なんとも不思議な感じがするなと思いまして。付き合いは煩わしいだけだろうと思っていたはずなのに、今は、手放すのが怖いのです」
そう独り言のように呟いたルクシアが、揃って首を傾げる二人の気配に気付いてハッと顔を上げた。小さくぎこちない苦笑を浮かべると、話をそらすように元の話題へと戻してこう言った。
「ですから、別に挨拶くらいあったとしても驚いたりしませんよ。護衛という立場にある将軍ですから、必要になれば部屋に入る事になるのも、私のとしても仕方がないと思っておりますし――」
その時、扉が勢いよく開いた。
話していたルクシアの声が、バコンっという開閉音に遮られた。突然の大きな音にびっくりして、彼が言葉を途切れさせてビクリとする。マリアとアーシュが素早く目を向ける中、そこから一人の屈強な大男が踏み込んできた。
「なんと! 入っていいのであれば是非ッ、ご挨拶をしたいですぞ!」
そう言って「がははははは!」と上機嫌な野太い笑い声を響かせ、入室してきたのは熊のようにデカい男――バレッド・グーバー将軍だった。騎馬隊の見栄えがするマントが、そのムッキムキの大きな身体の後ろでふわりと揺れている。
マリアは呆気に取られた。アーシュも「嘘だろ」という目をし、ルクシアも「は」という形に口を開ける。
その間も、バレッド将軍が床を踏み鳴らして、こちらに向かって来ていた。
「いやぁ~、良かった! 陛下たちには『挨拶は無理だろう』『不要だ』と言われてしまっていたが、こうしてご挨拶のチャンスを頂けるとは、このバレッド・グーバー至極光栄!」
「…………」
あのルクシアが、すぐには声が出ない様子でゴクリと息を呑んだ。明らかに気圧されている。そして、その強張った表情は『慣れない苦手意識』も出ていた。
作業台の前まできたバレッド将軍が、ぐるりと室内を見渡した。
「うむっ、良き部屋である! 普段ルクシア様がまとっている珈琲の匂いもするな、なんとも心地良い!」
というか、あなたはいつ『ルクシア様』の毎日の香りを嗅いでいるんですかね……?
三人はほぼ同じ感想を抱いていた。アーシュが、怖々とこう口にする。
「やっぱりストーカーなんじゃ……」
「………………」
しかしやっぱり、ルクシアは相槌を打たなかった。二人と同じく、やけに大声で話す彼を見つめたまましばし動かないでいる。マリアとしては、なんだか声の煩さがポルペオを彷彿させるなと思ってもいた。
すると、バレッド将軍が不意にキリリと表情を引き締め、こちらに向き直って軍人式の最敬礼を取った。
「本日より正式に、このバレッド・グーバー、そして我が騎馬隊第三部隊が『ルクシア様の』護衛を務めさせて頂きます! 『リボンのメイドさん』と『文官助手さん』、是非ルクシア様共々、今後ともどうぞよろしくお願い申しあげます!」
そう大声で熱血といった風で言い切った。その表情は使命感に燃え、野獣のような武人そのものといった切れ長の目は、やる気に満ちて輝いている。
どうして良いのか分からなくて、マリアとアーシュはひとまず部屋の主を見た。そこには、摩訶不思議な珍妙生物か、幽霊とでも遭遇したような表情を浮かべているルクシアがいた。
「――…………すみません。あの……ひとまずご退出ください」
ルクシアがぎこちなく手を動かして、困惑と苦手がない混ざった様子でそう促した。




