Z.役目
今回で最終回になります。
読んでくださった方々には感謝しますm(--)m
ZZZZ
道行く人の視線が気になり、皆、噂しているような被害妄想が沸いてくる。釈放された、とはいえテレビでも報道されているかもしれないからだ。こんなことで有名にはなりたくない。
携帯電話の着信は電源を入れている間で十二件あった。そのうち三件が内定した企業からの着信だった。
留守電のメッセージを聞くのが正直怖い。意を決し、再生ボタンを押すと、四月からの研修の案内だったので、安堵する。残りの二件のメッセージも聞いた。一件目は無言だった。刑務所を出たその足で商店街の中に向かった。釈放されたら『密造書展』に来てくれ。もう一件の吹き込まれていた声が言っていたからだ。
商店街のスナック前で、立ち話をしている二人組みがいた。スナックのママと五郎さんだった。五郎さんは人の気配を横眼に察知したのか、口を動かしながら首を曲げる。僕は反射的に目を反らした。
「よう」
聞こえていないふりとは裏腹に、体はピクリと反応した。
「こっち来なさいよ」
いつの間にか、彼らに囲まれる形になっていた。
「大変だったらしいじゃないか?」
「いろいろと」美佐江達は、二人にも協力を仰いでいたらしい。となれば、商店街中に噂が広まっていることが想像に容易かった。
「箔が付いたじゃない」
スナックのママは、入所した経験がのちになって武勇伝になると、励ましてきた。
「はは、男ってもんは、武勇伝を語りたがるからな」
「最近の五郎さんは、喧嘩の話しばっかり。作り話っぽいし」
「ばかやろう、作り話のわけないじゃないか」
若い頃は毎晩飲み歩き、気に入らない連中には必ず喧嘩を売っていた話しをする。はいはい、聞きあきたよ、とスナックのママは諌める。
「どこまで聞いていますか?」
「それは、美佐江ちゃんから聞きなって」
温かく迎え入れてもらっているのは理解できた。そうだ。自分は悪いことはしていない。ただ、ちょっとやり方が不器用だっただけだ。大分気持ちが楽になり、地面を向いて歩く姿勢を正した。
「よし、俺も仕事するか!」
五郎さんの、威勢の良い声が聞こえた。
中央の本棚には、新しい本が補強されているのが見えた。ストレスを抱えた犬のように『密造書展』付近を歩きまわる。入口をノックする。それにも勇気が必要だった。
美佐江が姿を現した。
「お疲れ様」大粒の涙を、目じりにため込んでいる。
「ほんと、疲れたよ」
やっとの思いでほほ笑んだら、彼女は抱きついてきた。肩口に冷たい液体が触れる。僕は抱き返して良いかもわからず、ただ立ちすくんでいた。
「良かった」美佐江の声はくぐもっていた。
「美佐江達のおかげだね」
二階には義男、部筑、そして、紹介された小園由美子は、部屋の隅にいた。こんな形で出会うとは思わなかったので、どう話して良いかわからず目が合わないようにしながらも目線を走らせるという奇妙な初対面になった。痩せていたからだろうか、写真の印象とは少し違い、あどけないのだけれど、シャープな印象の女の子だった。
「お勤めごくろう」
皮肉も含めていつもの部筑だった。彼は一足先に釈放されていた。柄にもなくハイタッチをして、抱き合った。それを見ていた義男は微笑んでいる。
「もう一人くるの」頃合いを見計らった美佐江は言った。誰が来るのかは、聞かなくてもわかっていた。
小園由美子は、『㈱エコノミーテクノ』に荷物を置いた後、資金がなくなるまでホテル暮らしをしていたが、お金が底をつき、美佐江を訪ねてきたらしい。殺人罪は認めていて、この話し合いが終わったら、自首する予定になっていた。
「その前に」
場を仕切る美佐江や、僕の居ない間にいろいろ調べていた義男の口からは、いつくかの新事実が浮き彫りになった。僕らの捜査してきた内容にも、それらを匂わすものが多々あったので、抵抗なく受け止められた。
「由美子も、来たらすべて話してよね?」念を押された小園由美子は頷いた。
「――遅いよ」
不機嫌に言う。そこで、小園由美子の声を初めて聞いた。美佐江に案内されてきた沢村の表情は引きつった。
「どういうつもりなんだ?」
「まあ、座ってください」
義男は諌めた。沢村は、失踪していた小園由美子がいると、美佐江から連絡を受けていたらしい。その美佐江は、電話を掛けている。相手は五郎さんらしい。
「君らを誤逮捕させたことを言いたいのか?」僕らはまだ、何も言っていないのに、沢村は口を開いた。
「それもありますけど」
部筑は呆れていた。誤逮捕を証明できたのは、小園由美子の存在も大きかった。逆に、誤逮捕という彼の杜撰な行為がなかったら、僕達はここまで辿りつけなかった。
「沢村さん。あなたが本当の犯人ですね?」
美佐江の口は、そう発した。沢村は当たり前のように、否定する。
「今、五郎さんに聞いたの。沢村さんがここに来るとき、商店街の監視カメラに映っていないって」
とすれば、彼はここに来た証拠も作りたくないように思える。
「偶然だ」
「わたし達が警察に話をしに行ったとき――」
石崎親子の対応をしていたのは沢村だった。『ブビリオフィリア』を見せ、彼は初めて見る本だと珍しがっていた。書かれている内容と、実際に起こっている事件が酷似している説明をし、かなりの驚きを示していた。しかし、美佐江は沢村が以前からその本を手にしていたことを悟った。例の、能力でだ。
「能力って……頭は大丈夫なのか?」
反発する。そして、付き合っていられないと、目を反らす。
「その本は、小園のかわりに私が発行した本です」
原稿をワープロで起こし、全国流通させたことを義男が説明する。そして、彼に内緒であったことも。
「なら、著作権の侵害ですよ」沢村は頬を上げた。しかし、目は笑っていない。
「もう、ちゃんと話そう」
小園由美子は縋るように語りかけた。それは、深い仲にあったものに向ける懇願だった。しばらくしてから、沢村は言った。
「君とは初対面じゃないか」
「やめよう……わたし達は共犯なんだから」
「違う!」顔はみるみるうちに歪んでいく。
「認めよう」
「勝手なことを言うな」
沢村は必至に否定していた。醜かった。それがつづいて、大人をいじめているようで哀れにもなっていた。「わたしが殺したのは田中満高さんと鹿野隆さん」
「ふ、ふざけるな」
「あなたが殺したのは、金子大輔さんと城島博志さん――」
「それと――」
美佐江が何かを言いかけた矢先、沢村は飛びかかった。男三人は、寸前になって彼の勢いを止めた。美佐江は小園由美子に覆いかぶさる形になった。部筑は後ろに回り、羽交い締めにする。
「暴力は良くありませんね」
義男は静かに威圧するような口調だった。「これ以上、罪を重ねるつもりですか?」
最初は抵抗していたが、やがて諦めたのか、沢村は息を整えてから、
「……わかったよ」と肩を落した。部筑が腕を離すと、土下座をする前のような姿勢でうな垂れていた。
小園由美子は静かに語り始めた。鹿野隆を殺してすぐに、遺書を残して自殺するつもりだった。
「酷いことをしようとしたのに、美佐江達は……」
かばっていた。美佐江達が警察へ話しに行った後、沢村から連絡をもらった内容を聞き、彼女は自殺を思い留まった。美佐江と義男は、小園由美子から受けていた脅迫をいっさい取り除いた状態で証言していたからだ。もちろん、僕や部筑が不利になるようなことも話していなかった。
「後は警察がやる仕事ですからね」
義男はそう言うが、どう考えても意図的にかばっていたことがわかる。
「自分の罪を、誰かに押し付けて死ぬなんて……出来なかった」
美佐江が小園由美子の頭を撫でている間、僕は言った。事件現場に置いてあった本に、後から髪の毛を忍ばせておけられるのも、犯人であり、刑事という職業があってこそ可能だ。金子大輔と城島博志を殺し、隠れて通報を待つ。たまたま近くにいた、とされていた沢村がいち早く現場に駆けつけて、本を証拠品として押収する。
「君の推理はだいたい合っている」
「僕らを犯人に仕立てようとしたのは何故ですか?」
「君達が知り過ぎていたからだよ」
沢村と初めて会った横浜の事件現場を思い出す。僕はあのとき、神社で殺されてから公園に運ばれたのではないかと尋ねた。
「もちろん、それだけではない」
新横浜で事件が起こった日、沢村は終始、城島博志を尾行していた。金子殺しの疑いを掛けられていたから、彼の単独行動は警察内部で怪しまれることはなかった。そして、僕達が事件捜査に執着していることも手伝っていた。
それとは別に、小園由美子は新横浜の殺害現場にいた美佐江を目撃していた。
「美佐江を攫うつもりだった」
沢村と小園由美子は、田中満高が殺害された日、ここにいた。商店街に監視カメラが設えてあることも、それには死角が存在していることも仲間内の情報から把握していた。小園由美子は合鍵を持っていたので、侵入は容易い。小説『ブビリオフィリア』通りに殺人事件が起こることを知っていたのは義男だけだ。攫おうとしたのは、黙って見ているようにと脅迫したのが嘘じゃないことを証明しようとしていたのだ。
当初、殺人犯を美佐江親子に仕立てる計画があった。『㈱エコノミーテクノ』に入社し、凶器となる『U―130』を盗み出した。だが、計画の矛先は僕達に転じた。小園由美子が勝手に脅迫するという行為を二度もしていたからだ。しかも、自ら犯人ですと告白しているような内容だ。まず、脅迫されていた者を犯人にするわけにはいかない。鹿野隆を殺した後、連絡を受けるまで、小園由美子は誰かに犯人を押し付ける計画を知らなかった。
「美佐江はいつも両親の話しをしていたの。大好きだって――」
小園由美子は美佐江と義男に視線を走らせ、俯いた。
「家族の話をされるのが許せなかったの」
美佐江は声を詰まらせる。
「……ごめん」
「ううん。本当はわたしがいけないの」
親と上手くやっているように振る舞っていた。普通の家庭があってこそ、上手く人間関係を構築できると考えていたのだろう。嘘の上塗りが、彼女を苦しめる結果になってしまった。
「由美子」
「父親を恨んだ。恨み続けた。子供と思ってくれない父親を」
小園由美子は、学校で自分だけ母親がいない現実に失望し、夜な夜な泣くようになっていた。小園猛はその姿をみて、一緒に寝る日が多くなっていった。
ある日、過ちを犯してしまった。
親子の関係が崩れていった。彼は娘に対し、悪戯をし始めたのだ。太い指が体へと侵入してきたり、舌が這いずり回ってくる。それがエスカレートし、ついには体の関係を持った。
「体を求められていたの」
自分がどんどん普通からかけ離れていっていることを察した。中学生になり、やっとの思いで体の関係を拒んだ。いや、その前から拒もうとはしていたが、少しの反抗では動じなかったのだ。ただ、 流石の小園猛も、警察に相談するとまで言われたら、逆上したらしい。
「父さんは、とても怖い顔をして言ったの。あんな怖い顔は見たことがないぐらい――お前は自分の子じゃないって」
小園由美子の声は、乾いていた。まるで、他人の遠い過去の話をするように。
彼女は高校に入学し、父元を離れて一人暮らしを始めた。彼の呪縛から逃れられるのなら、いくらお金に困っても耐えられそうな気がした。小園猛は過去を清算しようと努力はしていたが、心は通じ合うことはなかった。信用出来るのは人間ではなく、動物だけだと思い始め、大学では動物学を専攻した。
「それで?」部筑は先をせかした。
反抗の寿命は短かった。仕送りをしてくれる父親の有難味がわかるようになり、胃を悪くして病院にも通っていたのを心配し、年に数度は父元を訪れるようになっていた。
ただ、主目的は他にあった。いくら探しても、自分の出生届けが見つからなかったので、彼女はある決心をしたのだ。
「DNA鑑定を受けたの。父とはあまり似ていないし、もしかしたらって思って」
小園由美子は寝ている父親の口内から、指定された麺棒で細胞を採取した。
検査結果は一致しなかった。
――お前は自分の子じゃない。
自分のことのように、その言葉が頭を駆け巡る。
「本当のお父さんとお母さんは誰なのか……」
当然、殺されている母親のDNAは調べようがなかった。「まだわからないの」
「由美子ちゃんの母親は佳代さんだ」
沢村は小園由美子の肩に触れた。
「どうして言い切れるの……沢村さんだって、他人でしょ?」
小園佳代が母親であることは、前から聞かされているらしかった。
「答えてよ!」
「由美子ちゃんの、本当の父親だからだ」
「――沢村さんが?」
義男が訊く。一同の視線は、沢村に集中した。
「隠していて悪かった」
ただでさえ色白の小園由美子は、血の気が引いていき、真っ青になっていた。
三ヶ月前、沢村は小園猛が他殺だと疑い始めた。小園由美子と知り合ったのは、その頃からだった。
「彼とは、鹿野隆さんが逮捕されたあたりから、話すようになってね。T村によく取材しに来ていたから」
僕はふと、思い浮かんだことを口に出していた。『希林寿』で沢村を待っていた黒岩が、はぐらかしていたことだ。
「大人の事情とか言って、教えてくれませんでしたけど」
「黒岩さんとは、時効の話をしていたんだ」
「時効?」
小園佳代の殺人事件は二〇〇五年の一月二十日になり、公訴時効が成立するはずだった。しかし、公訴時効期間は、二〇〇四年十二月の刑事訴訟法改正により二〇〇五年一月一日施行され、十五年から二五年へと改正されていた。つまり、今現在であっても、時効までは時間が残されているのだ。
「あの人には、事件捜査を続行するように言われていたんだ」
「なるほど」話しの腰を折るなと部筑は突っ込んでくる。
「いや、けっこう重要なんだ――」
小園猛は沢村が刑事という身分を知り、腹を明かした。妻が殺され犯人が捕まっていないこと、金子を殺したのは鹿野隆じゃないかもしれないと考えていたこと。
「それらを証明するまでは、絶対に死なないだろうと思っていた」
だから、他殺を疑っていたのだ。
「ただ、鹿野隆さんを誤逮捕したのは沢村さんですよね?」
美佐江が確認する。すると、沢村はあっさり容認した。鹿野紀子が沢村について詳しかったのは、不倫していたわけではなく、鹿野隆逮捕の前後から知り合いになっていたからだった。我ながら、浅はかな思考を持っていたことに赤面する。
「そうだ!」僕は手を叩いた。
僕達が『希林寿』の二階からこっそり聞き耳を立て、沢村が鹿野紀子に謝っていた理由。それは。
――●●●の●●●に●●●は申し訳ありません。できれば●●●●を●●にお願いしたいのですが。
は、
――ご主人の誤逮捕については申し訳ありません。できればこのことを内密にお願いしたいのですが。
――ええ。○○○○はしません――
は、
ええ、訴えたりはしません。
だったのか? を問うてみたら、沢村は頷いた。
「良く覚えていたね」
「いや、まあ」
満更でもないと思っているうちに、部筑は咳払いをした。
「生前の彼に、謝っておくべきだった」
「誤逮捕以外にも、小園猛さんに謝るべきことはあるんじゃないですか?」
美佐江が言う真意は彼の書いた小説をなぞり、殺人を犯していたことだと思っていたが、違った。
「ああ。佳代さんを殺してしまったことか」
小園由美子は虚ろな目になっている。フラついた上半身を、美佐江が抱きかかえた。
二十年以上前、大学生だった沢村と小園佳代は不倫関係にあった。小園猛は仕事で帰らない日も多く、彼女の寂しさを紛らさすような恋から始まったらしい。二年つづいた関係だった。その間、体の関係を持って生まれたのが小園由美子だ。
しかし突然、終わりを切りだされた。いずれ離婚するのではないかと考えていた沢村は納得がいかず、予定していた夫婦旅行に着いていったのだ。
「佳代さんは、旅行中なのにも関わらず、金子の経営していた旅館で小説執筆に夢中になっている小園猛を取ると言いだしたんだ。信じられなかった――」
執筆していた小説は、『ブビリオフィリア』の原型になるものだ。その内容を期待に満ちた顔で話す彼女を見て、溢れんばかりの衝動が生まれた。その衝動とは、彼ら夫婦の関係を、告げ口という形で壊すのではなく……
「殺意が芽生えていた」沢村の目は、憎しみを映し出していた。
僕は唾を飲んだ。
二人が話し合いに使ったのは左近字図書館だった。公衆電話で旅館に連絡を入れ金子が電話に出た。当時、二人の間で連絡をする際、フルネームを明かさないという決まりがあり、沢村はこうやりとりをしていた。
『宿泊客で、佳代さんという方がいると思うのですが? おつなぎください』
『佳代さんですか? 小園佳代さんでよろしいですか?』
『はい』
『失礼ですが、あなたのお名前は?』
『たかしです。本人におっちゃってもらえば、わかると思うので』
『……わかりました。少々お待ちください』
と、彼女を呼び出した。
小園佳代は散歩に出かけて来ると言っていたらしい。不倫の負い目があったので、夫である小園猛に左近字図書館に行くとは言えなかったのだろう。
沢村がいくら説得しても、彼女の心は変わらなかった。妊娠を打ち明けられたとき、沢村は戸惑ったまま答えを出せずにいた。おろしてほしかったのが本心だ。しかし、小園猛は躊躇いもなく産もうと言った。それが大きな分岐点だった。と沢村は語る。
小園佳代は沢村と別れてから、阿武隈川の下流に行き、一人で物思いにふけっていた。散歩に出かけた証拠を示す意図があったかもしれない。
「殺害には、図書館から盗まれた本を使っていたらしいですね?」
「盗んだのではなく、焼却用に束ねられたものを拝借しただけだ」
沢村はどうせ捨てられる運命の本なら、もらった方がましだと思っていたのだ。
本に夢中になっていた恋敵への当て付けとして、沢村は盗んだ本を使って小園佳代を殺した。そのとき、彼女はなぜか抵抗しなかった。
捜査の手から逃れた沢村は、刑事になった。刑事は事件を追う側の人間である。社会的な信用も得られる等、殺人犯にとって打って付けの隠れ蓑になった。
警察で事情徴収を受けた金子は、死の直前に『たかし』という男から小園佳代に連絡があった事実を証言している。沢村はT村への委任を自ら志願し、金子をマークした。
他方で、T村には不穏な空気が流れつつあった。
金子の経営していた旅館は、阿武隈川の水を使っていた。経営が危ぶまれてきたのは、T村に『希林寿』が建つもっと前であり、誰かしらが阿武隈川で殺人事件が起こったという噂を広め始めたからだと疑っていた。
「金子さんにそんな噂を広めた奴を探せと言われたときは驚いたよ。捕まえて、名誉棄損で訴えるとも言ってた。警察にそれを依頼する住民も可笑しいし、普通は犯人を探せって思うだろ?」
部筑は頷いてから、
「あと、殺人事件の犯人に依頼していたんですからね。それは驚きですよ」
当然、噂を流したやつなんてものは見つからなかった。
「金子さんは、鹿野隆さんを憎んでいたからね。『ホテル・旅館ソムリエ』の本を使って、怒りの矛先を『希林寿』にぶつけていたんだ」
同時期、刑事訴訟法改正があり、時効に安住しようとした沢村の計画は狂った。そして、都合良く金子は何者かによって殺された。
聞き込みを行っていくうち、沢村は自分と同じ名前である鹿野隆を犯人にしようと企てた。彼は『ホテル・旅館ソムリエ』が出版されてからというもの、金子とは話し合いをしていたし、金子の死亡推定時刻の前後にアリバイがなかった。誤逮捕の末、小園佳代を殺した犯人としても疑いがかかるかもしれないと考えたのだ。
誤逮捕までの計画は上手く遂行された。鹿野隆が誤逮捕されてから、沢村は小園猛と出会うようになる。彼は自作『ブビリオフィリア』を紹介してきたり、読んで感想を述べたりで仲良くなっていた。
鹿野隆は四年で出所した。沢村にとっては意外な結果だった。
小園猛は金子殺しの真犯人を突き止めていたと共に、獄中の彼へと手紙を送っていることも沢村は知った。
「佳代さんを殺した事実を掴んでいそうな関係者全員を、殺してしまうしか残されていなかった。金子の息子である金子大輔、元従業員であり金子殺しの城島博志、鹿野隆、そして小園猛」
この四人は鹿野隆の無罪をはらすため、いつか繋がりを持つ可能性がある。計画を練り、実行のときを待っていた矢先、小園猛は低雲丘で遺体として発見された。
通報したのは小園由美子であり、それから沢村と繋がるようになった。唯一、他殺の可能性を示唆していた沢村に、小園由美子は心を許した。話をしていくうちに、彼女は酷い仕打ちをしていた父への愛情を取り戻していることがわかった。
「自分が父親だと打ち明けられずに居た状態が歯がゆかった」
沢村はそう言うと、拳を握り絞める。僕が思うに、二人の間では自然と親子の絆が形になっていたのかもしれない。
部筑は言った。小園猛が雪の残っている低雲丘で殺されたトリックだ。
「なかなかの推理力かもしれないけど、違うな。小園猛さんの死亡推定時刻は、発見される三日前じゃなかった」
「嘘をついていたのね?」
美佐江の体から離れた小園由美子が言った。沢村は頷いた。地元の警察は、小園猛が発見された日を死亡推定時刻として断定していた。
「死亡推定時刻は地元の警察の言う通り、由美子ちゃんが発見した日だった」
焼失によって死亡する人の死亡推定時刻を正確に判断するのは難しい。しかし、三日も誤差が生じることはまずないと言う。小園由美子は沢村を睨んだ。
「鹿野隆さんが殺した話しも嘘だったの?」
「ああ――」
沢村は阿武隈川の事件が描かれている『ブビリオフィリア』を小園猛から教えてもらっていた。読んだ沢村は驚愕した。自らが犯した殺人が克明に描かれていたからだ。彼はそのとき二十一歳、犯人と同じ年だ。しかも全国流通されている。
小園由美子は不正を確かめる意図があったが、実際『㈱エコノミーテクノ』に入社するよう指示したのは、沢村だった。小説内に唯一実名で登場し、手直し前の原稿を持っていた義男を監視するためだ。
小園猛の他殺説は、鹿野隆を殺すためのこじつけだった。
「小園猛さんは、子供と一緒に心中したんだ」
「意味がわかりません?」部筑は言う。
「彼にとっての子供は小説『ブビリオフィリア』だけだった」
病的なまでの書物愛者は、自らが作り出した本を、本当の子供と言い切る者がいる。もちろん、作家の中でも、自分の生み出した作品を子供と形容する人間はいるが、本気で思っている人間は極小だ。その極小の人達は心理学でも証明されていて、精神異常と判断されるには微妙な位置にある、と沢村は講釈した。大人しく聞いていた義男も、美佐江も、そして小園由美子も、皆一様に現実を受け入れられないでいた。
「小園猛さんはあるとき、『ブビリオフィリア』がたったひとりの子供であると打ち明けてきたんだ。それを聞いて、殺意は鈍った。自分と同じく常人から逸脱した人間かもしれないと、心躍ったよ」
沢村は自らを精神異常者だと告白した。殺人に味をしめてしまったサイコパス。心の中で飼い慣らしていた。もし、この殺人計画に支障をきたす者がいたら、すべて殺すつもりだった。僕の腕には鳥肌が立ちはじめた。
しかし、小園猛は、沢村の犯した不正にも気がつき始めている様子だった。鹿野隆の誤逮捕。小園佳代の殺人。もしかしたら、これから行う殺人事件、そして、その犯人を誰かに仕立て上げ、出世する道を歩もうとしている計画までも知られてしまったかもしれない。と沢村は言う。
「関係者全員、殺してしまう以外に、そんな魂胆があったんですね?」部筑は言う。
「ああ――本気なのかを確かめるため、いや、彼を殺す前提で、借りていた本を低雲丘で燃やした。それが、小園猛さんが死ぬ三日前だった」
小園猛は子供に母の死因を知られないため、阿武隈川の事件を書き直したのかもしれない。彼にとっての子供は『ブビリオフィリア』だ。小説に事件を書いている、ということは、子供の心に、母の死因を刻んでいることにもなる。生まれて一年なら、記憶には残らないと考えていた。
「私が悪いのです」義男は懺悔するように言った。「私が、別バージョンの本を出版しなければ…… 小園は自殺しなかったかもしれない」
「いや」
沢村は否定した。
「小園猛さんは一冊の子供が死んだことを知り、絶望した。そして、残った子供と心中した」
「ですが。別バージョンの『ブビリオフィリア』を読んで、小園が涙を流していたと聞きました」義 男が目を向けると、小園由美子も同意した。
小園猛にとっての子供は『ブビリオフィリア』なら、別バージョンを発見した瞬間は相当精神的なダメージを受けていただろう。義男はそれを嘆いている。
「泣いていたのは、そのせいじゃない――小園猛さんに送った別バージョンの『ブビリオフィリア』の中に、脅迫状を挟んで置いたからだと思う」
「えっ。じゃあ……」小園由美子は、驚愕した。
子供が燃やされたくなかったら、低雲丘に来いと沢村は脅迫状を書いていた。しかし、指定日よりも三日前に、沢村は『ブビリオフィリア』を燃やし、そのときに残していた油をつかって、小園猛は自らの命を絶った。
だから、別バージョンの本を出版し得る義男さんに問い質そうとしなかった。
『ブビリオフィリア』の内容通りに殺人を犯そうとしたのは、小園由美子に対する、せめてもの報いだった。沢村は、小園猛の人格を変えてしまった人物を金子大輔と城島博志に、殺してしまった人物を鹿野隆だと嘘をついて、彼女を利用していた。
「殺人を犯していくうちに、父としての、由美子ちゃんに対する愛情が強くなっていった。異常者だった自分が変われるかもしれないと」
殺人を犯し続ければ、二人の関係は持続していく。二人で共有していた秘密がいつしか彼女の心をも支配できるのではないかと、沢村は思っていた。
「……沢村、さん」
小園由美子は潤んだ瞳で、彼の姿を映し出していた。
「終わりだ。これからすべてを話しに行くよ――へへ、心配しなくていい。こうなってしまったら逃げも隠れもしないから――いつかは殺人を隠しきれなくなってしまうと思っていたよ。本当なんだ。由美子ちゃんと同じ運命を辿れるなのだから」
「由美子でいいよ」
「えっ?」
「お父さん。行こう」
「由美子、今度、スリランカに行こう」
戸惑いながらも、彼女は頷く。美佐江と小園由美子の約束だった。
沢村と小園由美子は肩を並べ商店街を歩いていた。その姿は小さくなり、曲がり角で消えた。彼らがどこに向かっているかはわからない。警察かもしれないし、どこか遠くかもしれない。心中も考えられた。彼らが行き着く場所まで見送る選択だってあっただろう。しかし、僕達には僅かな親子の時間を邪魔することは出来なかった。
「失踪した話しを打ち明けてくれたとき、僕の白髪を抜いてくれたの、覚えてる?」
「うん」
「あれってすぐに捨てたの?」
「当たり前でしょ」
美佐江は母親の白髪を見つけると、随時抜いてあげる習慣があったらしい。
「すごい気にしていたの。老けて見えるから」
「そういうことか」僕は声を上げて笑った。
「変なの」
書斎に戻ると、部筑は表面が真っ黒になった布巾を、義男は叩きを持って作業をしていた。
「お前達も手伝えよ」
「私の書斎だぞ。綺麗に扱ってもらわないと」
僕達四人は、『密造書展』の掃除をした。
◆参考文献
『本の歴史』ブリュノ ブラセル著 「知の再発見」双書
『書物の敵』ウイリアム・ブレイス著 八坂書房
『売文生活』日垣隆著 ちくま新書
『鑑識の神様』須藤武雄監督 二見書房
『本 (あたらしい教科書2)』永江朗著 プチグラパブリッシング