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五月の水仙は枯れない  作者: 柳田望海
第一章 好きになる

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三日遅れ

 月曜日の朝、教室に入ると、今里くんはもう席に着いていた。


 机に突っ伏して、腕を枕にしている。窓から入る光が、寝癖のついた後頭部を照らしていた。


 私は鞄を机の横に掛けて、椅子を引いた。


 その音で、今里くんが顔を上げた。


「……おはよ」


「おはよう」


 今里くんは大きく欠伸をして、また腕の中に顔を戻しかけた。


 言うなら、今だと思った。


 土曜日も日曜日も、ずっと頭の中で練習していた。玄関で思いついた言葉を、何度も口の中で転がして、角が取れるまで磨いた。


「今里くん」


「ん」


「……ありがとう」


 今里くんは、腕の中から片目だけ出して、私を見た。


「……何が?」


「金曜日の。帰りの」


 今里くんは、二度、三度と瞬きをした。


 それから、ゆっくりと体を起こした。


「……あ。しゃべるの遅いってやつ?」


「うん」


「え、今?」


「うん」


「三日かかった?」


「……土日、挟んだから」


 今里くんは、机に肘をついて、両手で顔を覆った。


 肩が、小刻みに震えていた。


 笑っているのだと気づくまでに、少しかかった。


「ごめん、違う、馬鹿にしてるんじゃなくて」


 顔を覆ったまま、今里くんが言った。


「なんか、すげーいいなと思って。三日かけて、ちゃんと来たんだなって」


 顔が熱くなった。


 私は前を向いて、鞄から教科書を取り出した。一時間目は数学だった。取り出したのは、英語の教科書だった。


 隣で、今里くんがまた小さく笑った。


「どういたしまして」


 少し遅れて、そう聞こえた。


 今度は、今里くんのほうが遅れていた。


 


 昼休みになると、亜美が廊下側の席から弁当を持ってやってきた。


「ねえ、今日こっちで食べていい? 前の席、空いてるし」


 私の前の席の子は、いつも部活の友達のところへ行っている。亜美は返事を待たずに椅子を引いて、後ろ向きに座った。


 それとほとんど同時に、教室の前の扉が開いた。


「裕太ー、購買のパン、コロッケしかなかった」


 背の高い男子が、ビニール袋を二つぶら下げて入ってきた。隣のクラスの、萩原くんだった。今里くんとよく一緒にいる、声の大きい人。


「え、焼きそばパンは」


「瞬殺。……あ、どうも」


 萩原くんは、私と亜美に気づいて、軽く頭を下げた。


 それから、何のためらいもなく、今里くんの前の席の椅子を引いて座った。


 四人で、机を囲む形になった。


「萩原朔です。裕太の保護者」


「保護者じゃねえだろ」


「こいつ、一人にすると昼飯食い忘れるから」


「食い忘れたことねえよ」


 亜美が吹き出した。


「小野寺亜美です。渚沙の保護者」


「え、そっちも保護者いんの」


「いる。この子、一人にすると返事に三日かかるから」


 私は、弁当の卵焼きを箸で持ったまま固まった。


 今里くんが、飲んでいたお茶でむせた。


「……なんで知ってんの」


「え、何が?」


 亜美がきょとんとした顔をする。今里くんは咳き込みながら、なんでもない、と手を振った。


 私は、卵焼きを口に入れた。


 甘かった。いつもより、ほんの少し。


 


 それから、昼休みに四人で食べる日が、ときどきあるようになった。


 毎日ではない。亜美が他のクラスの友達のところへ行く日もあるし、萩原くんが部活の集まりに呼ばれる日もある。でも、週に二回か三回は、窓際の後ろのほうで、四つの机がくっついていた。


 萩原くんはよくしゃべった。亜美もよくしゃべった。二人は最初の三日で打ち解けて、一週間後には、お互いを遠慮なく呼び捨てにしていた。


 今里くんは、二人の話を聞いて笑っていることが多かった。


 ときどき、私のほうを見た。


 私が何か言いかけて、飲み込んだときに。


 萩原くんと亜美の会話の速さについていけず、口を開いたまま次の話題に置いていかれたときに。


 今里くんは、何も言わずに、間を作った。


「……で、山吹さんは?」


 二人の会話の切れ目に、そうやって話を振ってくれる。


 そうすると、萩原くんも亜美も、ちゃんとこちらを向いて待ってくれた。


 ずっと、自分のことを「会話に遅れる人」だと思っていた。


 でも、この四人の机では、私の番がちゃんと回ってきた。


 


 五月に入って、中間テストが近づいてきた。


 放課後の図書室で、今里くんが現代文の問題集を広げて、頭を抱えていた。


「なんで『このときの主人公の心情を答えよ』に正解があんの。心情なんて人それぞれじゃん」


「……本文に、書いてあるから」


「書いてある?」


「ここ」


 私は、問題文の三行前を指で示した。


「『窓の外を見た』って。前の場面で、窓の外にいたのは、お母さんだから」


「……え、それだけで?」


「それだけで」


 今里くんは、問題集と私の顔を、交互に見た。


「山吹さん、なんでそれわかんの」


「……わかんないけど。なんとなく」


「なんとなくで正解すんの、ずるくない?」


 私は、少し考えた。


 どう説明すればいいのか、言葉を探した。


 今里くんは、シャーペンを置いて待っていた。


「……言葉にしてないことも、書いてあるから」


「言葉にしてないことが?」


「うん。どこを見たとか、何を言わなかったとか。……そういうの」


 今里くんは、シャーペンの頭を顎に当てたまま、黙っていた。


 それから、ふっと笑った。


「それ、山吹さんっぽい」


「……どういう意味」


「いや、なんか」


 今里くんは、問題集に目を戻した。


 戻しながら、小さな声で言った。


「言葉にしてないとこのほうが、ちゃんと聞こえてそうだなって」


 私は、自分の問題集に目を落とした。


 文字が、うまく頭に入ってこなかった。


 


 図書室の窓から、西日が斜めに差し込んでいた。


 ページをめくる音。遠くの運動部のかけ声。誰かが咳払いをする音。


 ふと顔を上げると、今里くんがこちらを見ていた。


 問題集ではなく、私のほうを。


 目が合った。


 今里くんは、窓の外に視線を逸らした。逸らすのが、少しだけ速すぎた。


「……今里くん」


「な、なに」


「問三、そこ、違う」


「え、どこ」


 今里くんは、慌てて問題集を覗き込んだ。耳の先が、赤くなっていた。


 私は、自分の頬に手を当てた。


 同じくらい、熱かった。


 


 下校のチャイムが鳴って、図書室を出た。


 昇降口で靴を履き替えていると、先に外に出ていた今里くんが、振り返って言った。


「山吹さんってさ、帰り、どっち?」

お読みいただき、ありがとうございます。


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