25 黒い雲
座標、1126.59、359.872。
出発から1時間25分後。
飛空艇は突風に襲われる。
大きく揺れて、ソラがキリンから離れたタイミングで、刺す。
算術は、役に立つ。雲や気圧や、風の強さ。それを計算すれば、近い未来に何が起こるか、かなり正確に予測できる。
心臓を狙う。でも、外れてもいい。
この毒は、短時間で全身を回る。30分もあれば、ソラは死ぬ。
飛空艇の貨物室は、乗客用ではないから当然だが、振動が体に良く響く。
このナイフを、毒の刃を、ソラの体に。
かつての同級生の体に。
右手が震えていた。
キリンは、コテツの力で守られてる。黒男の言うとおりだった。
だから、二本目以降の矢は、安心して放つことができた。
どうせ、当たらないから。
ソラが一人になった隙に、後ろに回り込んで、刃を突き立てれば。
ーやる気が、ないのかな? 契約違反だと思うのだけどー
ー殺せ、殺せー
黒男の言葉が、脳の中を支配していく。
もうすぐ、座標の地点に到達する。
ドレイクと、スパナは船尾の2カ所、コテツ、キリン、ソラは船首の甲板に。
ソラを殺して、隙が出来たところを、キリンも。
懐から、黒男にもらった木の実を一粒取り出し、飲み込む。
風操りの種。
何だったっけ。
私が、本当にしたかったこと。
なりたかったもの。
***
「ほんとに不思議ね、スパナ君じゃなくても、興奮しちゃう」
キリンが、ニコニコしながら、強風の吹き荒れる飛空艇の甲板で手を左右に振っている。
「本で読んだことあったけど、やっぱり体験するのって大事なんだな……風がこんなふうに避けていくなんて……」
ソラも、腰に結んだ命綱を握りながら、船首付近まで近づき、騎士の国方面の山脈や、前方に広がる巨大な雲を観察していた。
俺たち三人は、高速でマルカンティアに向かう飛行艇の甲板に配置されていた。まもなく、空鯨達が結婚式を繰り広げる、巨大な雲の中に飛び込んでいく。
***
空鯨達が襲いかかってくる可能性がある飛行をする場合専用の飛行マニュアルが、リレニア商会には用意されていた。過去にも何度か前例があり、成功確率は……五分五分とのことだった。
結婚式を邪魔された空鯨達に突撃されれば、飛行艇は高い確率で墜落する。それを回避するために、飛行艇の甲板で、周囲から接近する空鯨を追い払う必要がある。
「なるほど、これは面白いですね」
スパナが楽しそうに、軽い金属で作られた筒型の小型砲台を見つめている。握り拳半分ほど弾薬を砲身の後方から装填し、肩に担ぎ、持ち手の引き金を引くことで弾薬を発射する。
弾薬の内側に練り込まれてるのは、なんと、俺たちが運んできた香辛料である、閃胡椒と、強い臭いを発する巣種類の香草粉末。打ち出された弾薬は、一定距離を飛んだ後、閃胡椒の作用で内側から破裂し、広範囲に衝撃ときつい臭いをまき散らす。
これが、空鯨には極めて不快らしい。空鯨の接近に気づき次第、その経路を塞ぐように発射すれば、空鯨は反転して逃げていく。
これを航行中、甲板に配置された者数人で、高い精度で繰り返す。
しかし、高速で飛行する飛行艇の甲板は、強風が吹き荒れている。命綱を付けても、強風で身動きすることは困難。
「そして、これが風操りの実ですか……ひ、一つ研究用にいただくことは……」
「貴重品で、今回5個使うのも特例なんだ。申し訳ないが……」
スパナのあからさまに残念そうな顔に、イースターさんも心底申し訳なさそうな表情になる。こういう時のスパナって、誰よりも図々しいというか、何というか、交渉に向いてるよな……。
「とはいえ、風避けの効果を確かめられるのは、素晴らしい機会です。存分に試させていただきます」
***
「いや、素晴らしい効果ですね。風が、本当に私たちの体と、体に触れている物を避けていく。これなら、「空鯨撃退砲」も安定して撃つことができます。では、まもなく時間ですね」
持ち場の最終確認に、一度船首の方の甲板に来たスパナは、非常に上機嫌だった。
リレニア商会から支給された撃退砲は3つ。
ドレイクは右後方、スパナは左後方、そして俺が船首。この3人で砲撃を持つ。ソラとキリンはそれぞれ、空気砲と電撃という遠距離攻撃が可能なので、最も注意が必要な船首に配置することとなった。
後方からの襲撃より、正面方向からの衝突の方が、船体へのダメージが大きく、撃退への時間的猶予も少ない。仮に砲撃でひるまなかった場合、ソラの電撃とキリンの空気弾で追い打ちをする。空鯨は雷を嫌う。日頃からその危険性を味わっているから。
そして。
「ちょっと、どれくらいの威力になるか、想像つかないわ。閉じこめる分量に注意しないと……」
キリンが、やや緊張した顔でそうつぶやく。
キリンの能力は、「閉じこめる力」。普段は、その辺の空気を閉じこめているだけ。
この飛行艇の上で閉じこめるのは、空の上の強風。
風を圧縮して、解き放つ。さっき、ほんの少しだけ風を集めて実験したキリンが、飛行艇の外に放った反動でよろけていた。
「そろそろだ、持ち場に」
巨大な、黒い雲に接近していく。
まるで巨人の背中の様だ。押しつぶされそうな威圧感。
「キリンちゃん、電撃を撃つときは合図するね」
「うん、合わせるわ」
キリンとソラが、お互いの右手を軽く叩き合わせた。
「?!」
俺は飛空艇の船室の方を振り返った。
一瞬、何か、危険を知らせる光が灯ったような。
「どうしたの?」
「いや……気のせい……か?」
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