第十一章(下)
少々短いですが、ここで止めます。
この恵の証言、さらにそのテレビ中継で出たマラソン大会の記録、またその日前後の新聞等による裏付け調査により、あの写真の女性の身元が判明した。
氏名、アリシア・ミラー。国籍、アメリカ合衆国。大河内製薬所属のマラソン選手。種目、フルマラソン。
年齢、21歳。享年。
そう。彼女はすでに、死亡していたのである。それも、あの国際マラソンで記録を叩き出した、わづか数週間後に。
死因は、急性心不全。場所は、彼女の自宅だったそうだ。
このことは、新聞でも小さな記事ではあるが、取り上げられていた。当時、大河内製薬自身も監督責任等々で相当叩かれたようだ。
また、薬物乱用を疑ったのは恵だけではなかったようだ。無理もない。あのようなインタビューの映像が残っているのである。見る人が見れば分かろうものだ。
それらに押された格好になって、アリシアの両親が弁護士を伴い、アメリカからやってきた。そしてどうも、色々と各所にはたらきかけを行ったようだ。
そして、いったいどういう方法を取ったのか分からないが…、彼女の遺体は解剖にかけられ、詳細に調べられたようだった。
しかし、そんな彼女の両親のはたらきは、早々に暗礁に乗り上げることとなる。
彼女の死因は間違いなく、急性心不全だった。
外傷は見当たらない。部屋も、荒らされた形跡は無い。その他の状況を見ても、事件性は全くと言って良いほど、見当たらなかった。…そして、
彼女の身体からは違法薬物はおろか、ドーピングに引っかかるような物質すらも、何も検出されなかったのである。
「これは、『検出されなかった』んやなくて、実際は検出されててんけど、それが検出対象の物やなかった…ってこと?」
と、雪乃が紙切れの前に思案している。
「多分、そうやと思う。少なくとも、覚せい剤はやってなかった、ってことは確かなんやろね。」
恵も、雪乃の視線の先を覗き込む。
それは、週刊誌の記事のようだった。
ここから後の新聞やら週刊誌、その他もろもろ見てみたが、この記事以降、アリシア・ミラー関連の記事は一切見当たらない。ご両親はしぶしぶ、引き上げたのだろう。
大河内製薬についても、その後信頼を回復しているようだ。アリシアについてここまで調べ上げられた事で、彼らの身の潔白が証明されたような恰好になったらしい。
それに、この一連の事が進む間の、大河内側の態度も、信頼回復の一助となったようだ。
そう。かれらは進んで、捜査に協力していたのである。
(まぁ、よっぽど自信があったか…ほんまに、それが危険な薬物やて知らんかったか…)
恵は考え込んでいた。
と、そこへ。
「あ、カズさんおかえり。…おっ?」
畑野の姿を認めた雪乃が、その後ろにのっそりと現れた大柄なメガネ男を見かけ、怪訝な顔になった。
「ただいま。」
畑野が応え、「紹介するわ。…第四班の、入谷将史君や。」
二人が慌てて立ち上がる。
「あぁ、そのままで大丈夫ですよ」
入谷も慌てて、声をかけた。
「ありがとうございます。森雪乃です。」「塚本恵です。」
二人はぺこりぺこりと頭を下げた。
「こちらこそありがとう。調べて下さっていたのですね。」
入谷はメガネの奥で、微笑を浮かべていた。
机の上は、新聞やら雑誌、週刊誌の切り抜きで、下の机の模様が分からぬほどごちゃごちゃになっていたのである。
その後。
第二班の三人は、入谷の口からさらに詳しい話を聞くことが出来た。
荒松とまどかが、菅原玲奈と高知で再会したこと。そこでの話により、大河内製薬が実は黒幕ではない、という可能性が浮上している、ということ。
これには三人とも、少々驚かされていた。
「まだ、大河内が今回の主犯であるという可能性がゼロになったわけではありません。が、極めて低くなっている、と見ていいと自分も思います。」
入谷は言った。
第四班の方針がそうなのだから、良いだろう。と、雪乃はおもった。
「つきまして…」
入谷は話を続けた。「僕たちはこれから二手に別れて、調べを進めていきたいと思います。
まず、金枝さんから聞いてらっしゃると思いますが、大河内製薬への内偵。…これを、畑野さんと雪乃さん。」
「了解。」
「そして、僕と恵さんで、この写真の女性の調べ…の予定だったのですが」
「おっ?」
恵は当てが外れたような顔になった。
「正直、ここまで分かっていれば充分かと思います。
彼女は、アメリカ国籍の無名のマラソン選手、アリシア・ミラーで、無くなる数週間前、脱法ドラッグとおぼしきものを摂取して大会に参加していたと考えられ、非公式とはいえ世界新を叩き出し、死因は心不全で事件性は無い。…あと調べるとすれば、解剖のデータと、彼女のご両親の消息でしょうが、今の所はそこまでやる必要は無いでしょう。
というわけで、恵さんには別でお願いしたいことがあります。あなたにしか、出来ない事です。」
「…なんかヤぁな予感するなぁ…ひょっとして、売人時代のツテを利用した何か?」
恵の一言に、入谷は黙ってにっこりと笑った。
「…うげぇ…」
恵は心底、嫌ぁな気分を全面に顔に出し、ソファの背もたれにのけぞった。




