幕間 金枝昭一という男
― 一か月でまどかちゃんを解放してご覧に入れられると思います。
この一言を口にした数分後。
金枝はメルセデスベンツの後部座席に身を沈め、携帯を操作していた。
「…まどか?」
低い声。先ほどの女性のようなかん高い声の金枝はどこへ行ったのだろうか。
まるで、恋人に対するそれ、だった。
―ここ半年、大河内製薬には裏社会との関係が取りざたされている。
今回、金枝が利用した情報は、これだった。
関係とは、取引である。
…おそらく、薬物。それも、現行の法律にはまだ引っかからない、薬物の取引だ。
(あちらさんは、気ぃ付かんかったんやろか…)
日本の上流階級の、社会の狭さに。
それは裏社会では"もっと"であることは、言うを待たない。
そして…、
"北島まどか"という名前に。
まどかの養家、北島家はただの製菓会社ではない。
彼らもまた、裏の者である。
正確には、北島製菓の背後に裏の組織が居て、彼らを大事に守っているのだ。
それも、日本の組織ではない。中国である。
正直、日本のそれと比べると、中国のそれは月とすっぽんである。無論、中国が"月"だ。
こうなったきっかけは、本当にただの偶然だった。
まどかの養父、北島満がたまたま出品した飴細工お世界大会の審査員の中に、その中国マフィアの幹部の愛人が居たのである。
その愛人は一目見るなり、その見事な鳳凰を描いた飴細工を絶賛した。
まさに、鶴の一声だった。
数日後。
神戸は元町の、海沿いに聳える地上35階建ての四つ星ホテルのパーティー会場に、一人の老人が姿をあらわした。
渋皮をなめしたような色合いの着流しの着物に、同系色の羽織。さし色に、白金色の帯を締めている。
どうやら、色合いを暗めにすることで、そのでっぷりとした体格を上手くカバーしているようだった。
堂々とした出で立ちの中にも、どこか、何かが洗練されている。とんでもないオーラだった。
会場が一瞬、はっとしたようにどよめく。そして、あっという間に彼は人々に取り囲まれ、慇懃な挨拶合戦は始まった。
金枝の双眸が、線のように細くなった。眼の色を消したのだ。
あの着物姿の老人こそが、大河内製薬の会長。
大河内清偵、その人だった。
しばらくすると、場内が徐々に、薄暗くなった。
奥にしつらえてあった舞台にスポットライトが当たり、そこへしずしずと、着物姿の女性が現れる。
彼女こそが当夜の主役…宮原奈津子。女優である。
"本日は、わたくしのお誕生日会…もういい加減歳はとりたくないんですけれどもね、(笑いが巻き起こった)お越しいただきまして、ありがとうございます。"
するりと、頭を下げる。
何とも言えない色香に、一同、ほぉという声とともに、さざ波のように拍手が巻き起こった。
"早いもので、今年で芸能生活も40年を超えてまいりました―…"
と口上を述べる宮原の裏で、何か、箱に入った大きな物が、スタッフによって運ばれてきた。
"―…それでね?先日、とあるお方から、このような素晴らしい贈りものを、いただきましたの。
わたくし、とっても感激いたしまして、それで、是非ともこの感動を、みなさまと分かち合いたいと思いましてね?今日、お持ちしましたの。"
スポットライトが、その赤いビロードの布で覆われた箱に当たる。
移動式のテーブルに載せられているとはいえ、結構な大きさだった。高さは2mを優に超えているのではないだろうか。
"それでは折角ですから、みなさま。3,2,1とわたくしと一緒にお声をいただけますかしら―…"
その後、一度練習のようになって、笑いが巻き起こったりした後、
"3,2,1…!"
布が取り払われた。
少々大げさな音楽が流れ、それが姿を現した。
何の気なしに注目していた大河内清偵の顔が、こわばった。
それは、北島製菓がその技の粋を結集させたあの―…
飴細工の鳳凰だった。
おお…。あれ、北島製菓さんの…。
そんなどよめきと共に、大きな拍手が起こった。
"この北島満さんの鳳凰には、ジンクスがあるそうなんですの。"
うふふ、と笑みをたたえながら、彼女は言う。
"この鳳凰を見た者には、良き出会いが訪れる―…縁結びですわね。
みなさま。今後とも、良き出会いを。そしてわたくし宮原奈津子との縁の結びがどうか今後も切れることがございませぬよう。祈願いたしまして、本日のあいさつに代えさせていただきたく存じます。本日は、ありがとうございました。"
また、大きな拍手が沸いた。
こうして、盛大なパーティーは散会となった。
各々が挨拶を交わしながら出口へと向かった、その時だった。
ドタンッ!
大きな音と共に、前方から悲鳴が上がった。
「…ちゃん!!」「誰か、救急車…!」
どうやら、出口の先、本日の主賓が挨拶をしているテーブルで誰かが倒れたらしい。
大河内の居るところはもう、すぐそばだったので、何か助けてやろうと思い、そこへと向かった。
倒れていたのは10代の少女だった。
その顔を見た大河内は再び、戦慄した。
(北島まどか…!)
本人だったのである。
父の北島満に抱きかかえられ、宮原奈津子には噴出す冷や汗をハンカチで拭われ、そしてまどかの顔は血の気が無く、真っ青だった。
すぐに従業員が駆け寄ってきた。医務室へ誘導が始まる。
満はまどかを軽々と横抱きに抱え、「みなさま、ご心配おかけし大変申し訳ございません。娘はよく貧血を起こしまして…」とそれはそれは平身低頭に頭を下げていたが、周囲に、「良いから早く行ってあげなさい」「お大事になさって…」などと声をかけられると、もう一度頭を下げ、その場を速足で立ち去った。
何故だ。何故報告が来なかった。
呆然とその場に立ち尽くす大河内の耳に、ヒソヒソと話し声が聞こえた。
「あの子が北島のお嬢様?」
「そうよー…かわいそうに…」
「え?どういうこと?」
「見たじゃない、あの身体…!」
「前見た時よりずいぶん細くなってたわ…」
「…何かあったのかしら…」
「それがね。」
女性の一人がしたり顔で、「なんでも、ストーカーに最近つきまとわれているみたいよ」
「「えぇっ?!」」
あとの二人が驚きの声を上げているが、好奇心に眼が爛々と輝いてしまっている。
「ストレスで、食が細くなってしまっているんですって…」
「警察には相談なさったのかしら…」
「それが、なしのつぶてなんですって。」
「ひどいわ…。」
「でも…待って?そのストーカーも、大丈夫かしら。」
「えっ、どういうこと?」
「…だって、北島製菓って…」
「…あ。」
女性の一人が、合点がいったような声を上げた。
「…生きて帰ってこれるかしらね、そのストーカー。北島はあの、『青龍会』の息がかかってるっていうのに」
その名前に、大河内は再び、愕然となった。
青龍会。香港マフィアの筆頭ではないか。
「宮原さんも確かそうよね?」
「そうよー?彼女のお母さまのお兄様が、ナンバー2。もうお二人とも亡くなってるけど、影響力は充分よね。だからきっと、今日のパーティーも、その結束の固さをアピールしたかったからに違いないわよ!」
「ははぁ…」「勉強になるわー…」
「ともあれ、じゃあそのストーカーも今頃虫の息かしら?」
「かもよ~?」
「キャー♪」
青ざめる大河内の元へ、秘書らしき男が駆け寄ってきた。その手には携帯電話が握られている。
携帯を受け取った大河内の顔が、がっくりとうなだれた。
そう。
大河内清偵は、知らなかったのだ。
北島家の背後に青龍会が居る、という事実を。
北島まどかを調べさせていた例の部下…尾上一郎の一人娘が今日の午後4時ごろ、妻と一緒に公園で遊んでいたはずが突如行方をくらましたという事実を。
そして、電話口で平身低頭謝罪の弁を述べる大河内の後ろ姿に向かい、勝ち誇った笑みを浮かべる宮原奈津子の艶姿を。
北島まどかの周辺から監視の目が消え失せたのは、この翌日のことだった。
この当夜のパーティーに満さんの作品は、当初からこの形で発表する予定だったそうです。
なので、満さん、まどかちゃんの二人の参加も、当初から予定されていました。
金枝がやったことは、北島製菓、および北島家と青龍会が結びついているという事実を大河内に教えてあげたこと。そして、青龍会にも、「北島まどかが探偵に付け狙われている」という情報をそれとなく流してあります。
結果、尾上一郎の妻、娘は一時的に誘拐されました。やったのは青龍会です。目的は報復。北島まどかの監視を即時辞めなければ二人はどうなるのかな?(にこやかな声で)と電話口では言っていたものと思われます。
結果、このようになりました。
あと、大河内のすぐ後ろでヒソヒソ噂話をしていた3人は、黒ウサギ、実行犯第一班のメンバーです。




