1-オオカミさん、友達になる
※R5.6.7 修正
園田里奈。
それが渉の前の彼女の名前。
今はどこでなにをしているのだろうか。
そんな、顔くらいしか知らない赤の他人のことを、
そんな、自分には全く関係のない事を考えたくなる時もある。
「アスカ」
学校の玄関前で立ち尽くしていると、背後から声をかけられた。
今日の天気は曇りのち雨だと、そういえば新聞の天気予報欄に書いてあった気がした。
天気予報など大抵当たらないと思った時に当たるものだ。しかも、悪い方へ。
しかしまさか、下校時にいきなり土砂降りだとは。
「傘持ってこなかったのか」
背後からひょこっと顔を出した渉は、私の横に並んで空を見上げた。
天気予報を知らずに傘を持って来なかったであろう生徒達が走って帰ったり、
親に迎えに来てもらったり、玄関先は多くの生徒でごった返していた。
立ち尽くす私は、邪魔にならないように少し脇によける。
そうすると、渉も一緒に横へ移動する。
渉の問いに対して、視界に入るくらいの高さまで傘を持ち上げてみせた。
そして鼠色に染まっている遥か上空の雲を見上げた。
「傘はある」
「それは見りゃ分かる」
ならば彼はどうしてそんなことを聞いたのだろう。
なぜ傘を持っているのに私が帰らずに立ち尽くしているのか、
彼は単純にそれを知りたいが故に、この質問をしたわけではない気がした。
ふと彼の方に視線を向けた。
そういえば彼は傘を持っていない。
「君は?」
「俺は晴れ待ち」
少し離れた場所では、渉といつも仲良くしている男子達が車に乗り込む姿が見えた。
一緒に乗せていってもらえばいいものを。
普段培っている無駄な友好関係をこういう時に使わずして、いったい何に使うのだろう。
彼は空を見上げて、雨が止むのを待っているような、そんな素振りを見せる。
だが残念ながら、午後の降水確率は100%だ。
そして私は、雨が止むのを待っているわけではない。
「一緒に帰るか?傘一本だから、相合傘になるけど」
「それを君が言うの?」
彼の真意は全く理解できなかった。
帰ろうとしないクラスメイトを心配しているのか、
利用しようとしているのか、はたまたはたまた。
どちらにしろ、彼にとってのメリットが思い浮かばなかった。
隣に立った彼が一向に帰る雰囲気を出さないため、私が先に折れる羽目になる。
しょうがなく傘を開いて、降りしきる雨の中へ飛び出した。
そうするとまるで吸いつくように、渉の腕が伸びてきて、自然な流れで私から傘を奪った。
そして体はまるで磁石のように、渉との隙間が埋まり、歩幅も呼吸のように重なった。
まるで、それはとても慣れた親しんだもののようだった。
さっきまであれほどまでにうるさかった雨の音が、
まるで消えてなくなったような感覚に陥る。
世界に二人だけ。そう、まるでそんな不思議な感覚だった。
常に一匹オオカミで友達を作ろうとしない私にとって、
渉は色んな意味で特別な存在であった。
友達かと聞かれると、友達の定義が問われるが。
たとえば、いつもクラスで行動を共にするわけではないが、
お互いに共有する時間と場所があって、お互いにその時間を大切にしている。
だけど、連絡先すら知らない。そんな関係である。
私と渉がどういう関係かと聞かれたら、一言では言い表せない。
とても波長の合う異性友達といった言葉が、一番適当かと思われる。
渉と親しくなり始めたのは高校一年生の夏で、もうすぐ一年がたつ。
「友達なのかな」
「あの中年のオッサンが?いや、誰だ、知らん」
私と渉はいつも登下校で通る、学校から一番近い大きな交差点に差し掛かっていた。
歩道の信号機が赤になり、立ち止まった私たちの目の前を大型トラックが通り過ぎていく。
トラックの運転手がこっちに向かって手を振っている。
運転手の男性の顔を凝視してみたが、どうも見覚えのない顔だ。
不審に思いながら周りを見渡せば、隣で信号待ちしていた女性が手を振りかえしている。
しかし、それに気づいていなかった渉は、あからさまに怪訝な顔をした。
しかし私の質問の意図は別にある。
「違う。私たちが」
「急になんだ、どういうことだ」
信号が青になり、私は横断歩道を渡り始める。
話の趣旨を理解できていなかった渉は、説明を求めるような視線を向けてくる。
それから大袈裟にはーとため息をついた。
まるでわざと私に聞かせようとしているかのように。
「アスカの友達の定義はなに?」
その声には若干の刺があったが、表情は穏やかだった。
渉はいつも笑い顔の仮面をかぶっていて、滅多にそれを脱ぐことはない。
笑っているようで、その顔に感情はこもっていない。
この一年間、それなりの時間を共有してきたはずだが、怒った顔を見たことがなかった。
それをどこかつまらなく感じるようになったのは、なぜなのか分からなかった。
知り合った当初はそんな彼の存在を、気楽だとか都合がいいとしか感じていなかった。
どんな心境の変化なのか、と自分自身に問いたくなる。
「一緒にご飯を食べるとか」
「限定的だな」
「一緒に買い物行くとか」
「軽薄な関係だな」
分からなかった。友達って、なんだろう。
「アスカはさ、俺の事どう思ってるの」
渉の言葉に思わず頭を抱えた。難問に次ぐ難問だった。
歩みが遅くなった私を、渉が覗き込んでくる。
それからしばらく、いやちょっとだけ考えて、思ったことをそのまま口にした。
「渉」
「じゃなくて」
若干疑問形で返答すれば、即時に却下された。
それはある程度この回答を予測していたかのような、機敏な反応だった。
それから渉は、少し考えるように視線を彷徨わせた。
「オチがないような話もできるのが友達ってやつじゃん。
俺はアスカにとってそういう存在じゃない?」
言葉に詰まった。
オチ、とは。また、理解しにくい言葉を使うじゃないか。
だけど彼の言葉がとても真っすぐに心に染み込んだ。
答えが見えずにもやもやと漂っていた物体に、彼は着地点をくれたみたいだ。
「俺は学校のどんな奴より、アスカとこうやって何気ない話してる時が一番自分らしくいられるけど。
そういうのが友達だって俺は思ってたけど—―」
「でも君の連絡先を知らない」
私の口をついて出た言葉は、
渉の言葉を遮ってまで、わざわざするほどの内容ではなかった。
ただなんとなく、ほんの少しの照れくささを隠したくて、話題を変える口実が欲しかっただけだ。
まさかほんとうに連絡先が知りたいだなんて、考えてもいなかった。
友達というものはお互いに連絡手段を持っている、というイメージがあったため、
その言葉が無意識に出ただけだ。
だがその言葉に、渉が意外にも大袈裟な反応を見せた。
渉が立ち止まったため、気付くのが遅れた私は傘の下から出てしまった。
もちろん二人で一つの傘をシェアしている時点で、
面積的に完全に濡れないということはなく、肩先くらいは濡れてしまっていたが。
傘から無謀に出てしまった体は、土砂降りは多少収まったとはいえ、
数秒の間にすさまじい勢いで雨に濡れていく。
雨に濡れるのが嫌いだった。理由はいろいろあるが、とにかく憂鬱になる。
学校で帰るのを躊躇していたのはそのせいだ。
できれば、少しでも濡れたくなかった。
「なんだよ。知りたいなら知りたいって言えよ」
すぐさま引き返して傘の下に避難しようとしたが、渉の方が少しだけ早かった。
私に向かって歩みを進めた彼が、頭上に傘をかざしてくれた。
「濡れるの嫌いなくせに、先行くなよ」
いや、立ち止まったのはそっちじゃん。
傘をかざしながら渉がぐっと近づいて、あきれたようなため息が私の前髪にかかった。
雨が嫌いだとか、濡れるのが嫌いだとか、言葉にしたことはなかった。
だが、そんな些細なことも渉は簡単に気づいてしまう。
それは多分、自身も繊細だからこそだと私はなんとなく最近気づいた。
渉はズボンのポケットをまさぐる。
そしてポケットから出した手にはスマートフォンが握られていて、
そのままその手は私の目の前に突き出された。
渉が何も言わないため、その意図を私はくみ取ることができなかった。
思わず表情だけで「?」と渉に対して意思疎通を図る。
そういえば、二人で一本の傘を使っていたため渉の左肩はかなり濡れてしまっていた。
それだけ私の方へ傘を傾けていてくれたということに、今更気づく。
「ん、連絡先教えるからだせ」
「私、スマートフォン持ってない」
差し出された手の平を見つめながら、私は首を傾げてみせた。
驚いた表情の次に訝しげな表情をした渉だが、残念ながらなんの面白みもなく、これは真実である。
高校生でスマートフォンを持っていないのは今時は珍しいのかもしれないが、必要性を感じないのだから、欲しいと親に強請ったこともなかった。
私の態度から嘘を付いていないと分かったのか、彼の手は行き場を失ったまま空を切った。
私がスマートフォンを所持していない事を知った人は、驚きつつもそこにどんな理由が隠されているのか、あまり詮索はしてこない。
そんな大層な理由があるわけでもないのだが。
連絡を取り合うほど親しい友達がいないとか、そんなところだ。
家も学校から徒歩十五分圏内で、いつも直帰が基本のため、
親とも連絡を取り合う必要性があまりなかった。
「そういえば、アスカがスマホいじってるとこ見たことなかったっけか」
今更。というように彼は思い出して「ああー」と納得した。
スマートフォンがないと生きていけないなんてウソだ。
今時、通称ガラケーでも気まずい世の中で、
それでなければ仲間外れにされるっていうのは変だと思う。
だからこそと言うわけでも無いが、それに争いたい気持ちも少なからず理由のひとつであった。
これを言ったら、そういうとこだよ、って渉に笑われそうな気がするから言わないが。
「アスカって友達いないもんな」
「それは必要なものなの?」
「いじけるなって。でもほら、俺がいるじゃん」
いじけてなどいない。
友達がいないことは、私にとってマイナスな事ではない。
「でも、悪いことだとは俺は思わないけどな。都合のいいヤツと友達は別だから」
彼は少し大人っぽい落ち着いた笑みを落とした。
それは少し憂いを帯びていた気がした。
きっとそれを分かってあげられるのは、今この学校では私一人だけなのだろう。
自惚れかもしれないが、きっと本当のことだ。
なぜならそれが唯一私と彼を結びつける共通点だと思うから。
でなきゃ、私たちが一緒にいるわけがない。
それくらい私たちは違う人種なのだ。
「でもさ。携帯は買えよ」
「なんでまた」
唐突に渉は言った。意味が分からない。
私がなぜ携帯を持たないのか理由も知っておきながら、
それを今理解したような言葉を言っておきながら。
「連絡取れないと、ほら、なにかと不便じゃん」
「今までと同じでしょ」
「俺がアスカに連絡したいから」
しれっと、最後に自分の願望をふくませてくるのは、ずるい。
口角をあげながら下げるような、渉の自然な笑顔。
それは、仮面の下の素顔だと、最近分かったのだ。
「分かった。親に相談してみる」
少し考えてから、私は首を縦に振った。
私が期待通りの返事をすれば、渉は「よっしゃ」と大げさなくらいに喜んで見せた。
ふと気づけば、うるさかった雨が、いつの間にか上がっていたら。
空を覆っていた傘をたたむと、驚く程青い空が広がっていて、
そこにうっすらとかかる七色の虹が、大きなアーチを描いていた。
私は思わず「わあ」と歓喜の声を漏らしてしまった。
「俺晴れ男だしな」
隣では自慢気な表情。
だってさっきまで雨だったじゃん、と言いたくなった。
けど、ぐっとこらえる。
「なんだよ、その顔。今すごい嬉しいから、今晴れたんだよ」
私の表情から何かを読み取ったのか、渉は不服そうだった。
晴れ男の気分で天気が左右されるだなんて。
そんな話聞いたことがない。晴れ男は晴れ男、雨男は雨男だ。
その前に、そんなん迷信だと思う。
「そんな、あほな」
つい思った事が口をついて出てしまった。
晴れ男なことがあほなのか、嬉しいと言った渉があほなのか。
私は自分の感情がわからなくなった。
聞き逃してしまうほど小さな呟きだったが、渉は地獄耳だった。
「アホって言った方がアホなんだからな」
「それは聞いたことある」
「じゃあアスカはアホだな」
「でもそれは違う。あほは渉だけ」
私の言葉に、渉は冗談交じりに怒ってみせた。
まあ、誰かにあほなんて言われて喜ぶ人はいないけど。
どうせならもっと真面目に怒ったらいいと思う。怒ってもいい思う。
私は、私のことをあほではないと言ったけれど。
でも、私も相当のあほだ。
だって、あほな渉の事をもうこんなにも好きになってしまったんだから。




