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外伝:スティーブ船長と常世の桃

 深宇宙探査船《IZANAGI-05》で起きた、スティーブ船長の不審な感電死。

 監視カメラに残されていたのは、酒に酔った彼が一人で防犯用スタンロッドを振り回し、滑落して死に至るという、あまりに滑稽で悲惨な記録映像だった。

 なぜ彼は、武器を構えたのか。

 なぜ実のならないはずの桃の木に、あの不気味な果実が結実したのか――。

これは、カメラのレンズには決して映らなかった「真実」の記録。

 深宇宙探査船《IZANAGI-05》の環境維持区画――水耕栽培エリア。


 深夜、最低限に落とされた非常用照明が、鉄の床とガラス張りの培養プールをどんよりと青黒く浮かび上がらせていた。広大な空間の大部分は深い陰影に呑み込まれ、ただガラスに反射する微弱な光と、グラスの氷がカランと鳴る寂しげな音だけが響いている。


「船長、またそんな薄暗いところで密造酒ですか」


 巡回中だった最古参の整備士バートンが、影の隙間から足音を忍ばせて姿を現した。


 スティーブ船長は薄闇の中、青々と葉を茂らせる一本の桃の木を見上げ、グラスの酒を煽りながら盛大なため息を吐いた。


「バートンか……聞いてくれよ。今日も今日とて他船との合同会議で『ナノマシンのバグだ!』『いや未知のウイルスだ!』って怒鳴り合いの大揉めだ。例のバイオハザードの件、現場が全滅してるせいで原因がサッパリ分からん。連日連夜これじゃあ、酒でも飲まなきゃやってらんねえよ……」


 スティーブが管を巻き始め、愚痴が長くなりそうな気配を察したバートンは、苦笑しながら視線を目の前の木へと逸らした。


「まあまあ、船長。……そういえば、なんで観賞用なら定番の『桜』じゃなくて、あえて『桃の木』なんですか? 申請を通すために、わざわざ実がならない特別な品種まで探してきたんでしょう。なんでまた、そこまで桃の木に拘ったんです?」


 話題を逸らされたスティーブは、グラスに残った酒をぐっと飲み干すと、暗がりの奥へ視線を泳がせた。


「……故郷にあったんだよ。天災で一瞬にして消えちまった、あの小さな村にな。周りの大人から『神様だから近寄るな』って言われてた友達がいてな。大人に隠れて、ふたりででっかい桃の木に登ってよく遊んだもんさ」

「神様、ですか……?」

「ああ。どれだけ時代が過ぎようが、宇宙の果てに来ようが……あいつと見上げたあの桃の木の風景だけは、どうしても忘れられなくてな」


 スティーブは寂しげに笑い、手元の防犯用スタンロッドを軽く弄んだ。


「まあ、もう二度と会えねえんだけどな。あの天災のあと姿を見たことがないけど、神様なんだからどこかで生きているさ」


 バートンは深くため息をつき、去り際に振り返って一言残した。


「……ほどほどにして、明日の勤務までに部屋へ戻ってくださいよ。その『神様』だって、酒に呑まれてくだ巻いてる船長は見たくないでしょうから」


 闇の中に足音が遠ざかり、エリアには再び重苦しい静寂が戻った。


 密造酒の酔いがまわり、スティーブがふらりと立ち上がった――その時だった。


 スッと、部屋の隅の暗がりで何かが揺れた。


 人工照明の影に隠れるように、真空の船内にあるはずのない、揺らめく「怪しい光」。


「……なんだ……?」


 侵入者か、あるいは電気系のショートか。スティーブは酒気を吹き飛ばし、用心のために腰の防犯用スタンロッドを引き抜いて起動させた。バチバチと青白い電流の火花が薄暗闇を弾く。


 だが、次の瞬間だった。


 その怪しい光が、まるで意思を持ったかのように生き生きと動き出し、一気にスティーブの目の前まで飛来したのだ。光は戯れるようにスティーブの頭上や身体の周りをくるくると忙しなくうろつき始める。


「な、なんだこれ……!? 離れろ!」


 光から伝わる懐かしい風の香りと異常な気配に直面し、スティーブはパニックに陥っていた。


 光を追い払おうと、夢中でスタンロッドをブンブンと大きく振り回す。


 ――頭上の監視カメラが捉えていたのは、暗闇の中で一人、無意味に武器を振り回しながら酔いどれのステップを踏む男の姿だけだった。レンズの向こうには、彼を追い詰める光も、気配すらも一切映っていない。


「くそっ、払えねえ……! うわっ!?」


 まとわりつく光を振り払おうと必死にステップを踏んだ瞬間、足元にあった培養液タンクの縁に足を取られた。


 バシャーン!!


「がっ……あ……っ!?」


 水耕培養液のプールへ転落した瞬間、握りしめていたスタンロッドから過電流が爆ぜた。高電圧の青白いスパークが暗闇の水面を走り、スティーブの全身を容赦なく焼き尽くす。


「カハッ……っ……!」


 バチバチと肉が焼ける嫌な音。激しい激痛の中、視界が急速に暗転していく。


 静寂を取り戻したプールの中で、スティーブの体は二度と動かなくなった。


 その直後だった。


 完全な密閉空間であるはずの船内に、どこからともなく一陣の冷たい風が吹き抜けた。水耕栽培エリアの薄暗がりで、桃の木の青々とした葉が一斉にガサガサと波打ち、怪しく蠢く。


 風に揺れる桃の木を見上げれば、太い枝の表面――赤褐色の細かい皮目に、じわじわと赤黒い液体が滲み出していた。久々の挨拶のつもりが誤って親友を殺してしまい、深い絶望と後悔に沈んでいるかの如く、桃の木は樹皮の隙間という隙間から、血の雫を溢れさせている。


 倒れたスティーブの体の反対側――冷たい暗がりへ向けて、ぽた……ぽたぽたと血の雫が静かに滴り落ち始めた。


 プール脇の床に溜まった血の樹液は、やがて生命を持った水銀のように床を離れ、逆流するように幹を這い登って枝へと集まっていった。


 集まった赤黒い雫は、葉の陰で急速に凝縮され、みるみるうちに大きな膨らみを形成していく。


 暗がりの床に残った痕跡すらも、綺麗に果実の中へと吸い尽くされていった。


 あとに残されたのは、血痕ひとつない不自然なまでに清められた現場と、枝にたわわに実った、瑞々しくも不気味な生気を放つ『常世(黄泉)の桃』。


 誰に気づかれることもなく、暗闇の中でその禍々しい果実が熟した瞬間、目に見えぬ「境目」が音を立てて崩壊した。本来なら繋がるはずのなかった「生者の領域(宇宙船)」と「死者の領域(黄泉の国)」が交わり、深宇宙の闇へと溶け出していく。


 血の涙を流し終え、異形の果実を結んだ桃の木は、沈黙を守ったまま静かに枝をたわませていた。


 そして船は、生き残ったクルーたちの知らぬ間に――ゆっくりと『黄泉の国』へ向けて沈み始めていた。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました!

 クルーたちからは「酒癖の悪さが招いた事故」として処理されてしまったスティーブ船長の死ですが、その裏には宇宙の闇に溶けた切ない想いと、一筋の怪異が潜んでいました。

 この夜を境に、探査船《IZANAGI-05》は生者と死者の境目が壊れた「黄泉の国」へと足を踏み入れていくことになります。

 興味を持ってくださった方は、ぜひ第一話から読んでいただければ幸いです。

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