第一話:静寂の葬送と、消えた死体
※スマホ等で読みやすいよう1〜5話の行間・改行を微調整(整形)しました。ストーリー自体の変更はありません!
深宇宙探査船《IZANAGI-05》が航行する先は、人類がこれまで足を踏み入れたことのない前人未到の新航路だった。
コールドスリープ装置(定員200名)を備えた最新鋭の大型宇宙船で、高度な自動装置により平常時は30名程度で運用されている。
未知の宙域に対する強い緊張感の中、クルーたちを極限まで追い詰めていたのは、先月通信で届いた惨劇のニュースだった――『別企業系の探査船団で発生した、全員死亡・通信途絶による未確認バイオハザード』。
何よりクルーたちの精神をすり減らしていたのは、現場が全滅したため根本原因が未だ一切判明していないことだった。ナノマシンのプログラムエラー説と未知のウイルス説が対立し、連日のように開催された他船との艦長級合同通信会議は激しい怒号が飛び交う大揉めの地獄絵図と化していたのだ。
……はずだった。
「……南無阿弥陀仏、アーメン、アッラーの神よ、ついでにオーディンとゼウスも見守り給え。祓え給い、清め給え、スティーブ船長、向こうに行っても大好きな上腕二頭筋と大胸筋を存分に追い込んでくれ。バルクアップ万歳」
作業着の上から無理やり黒い保温シートを羽織ったオペレーターのアーロンが、妙に発音の良いカタコトで祈りを捧げ、怪しげな数珠代わりのLANケーブルをジャラジャラと鳴らしていた。片手には『古事記(KOJIKI)〜ジャパニーズ・オリジン・ミソロジー〜』と書かれたペーパーバックをガチガチに握りしめている。さらに手元のタブレットからは、大音量の「EDM調にアレンジされた般若心経」が重低音を響かせていた。
「おいアーロン! いい加減にしろ、絶対にバチが当たるぞ! テキサス育ちで毎週教会に通ってた熱心なクリスチャンに対する最大級の侮辱だ! それにさっきから手に持ってる怪しい本はなんだ!」
巨漢のメカニック、ハンスが血管を浮き上がらせて怒鳴りつけた。
「これはオリエンタルな極東のバイブル『KOJIKI』だよ! ニホンジンのケンジに『何か良いお祈りはないか』って聞いたら、棚にあったこれを渡されたんだ! 神道と仏教をブレンドした最新のオリエンタル・スタイルさ!」
「適当な嘘吐くな! 俺が渡したのは『非常時運用マニュアル』だろ! 誰が歴史書渡すか! どこから引っ張り出してきたんだよ!」
分析官のケンジが、キーボードに頭を叩きつけながらツッコミを入れた。
「いいんだよハンス、ケンジ。船長は生前『俺が死んだら明るくマッチョに送ってくれ』ってプロテイン飲みながら言ってたんだから。それにさ、こうでもしないとやってられないだろ? 例のバイオハザードの件で連日連夜、他船との艦長級会議で『エラーだ!』『ウイルスだ!』って怒鳴り合いの大揉めを繰り広げて死ぬほどストレス溜め込んでさ。挙句、密造酒でベロベロに酔っ払った状態で……『水耕栽培エリアの桃の木の真前で、防犯用スタンロッドをブンブン振り回してドヤ顔パフォーマンスを決めてたら足が滑り、バシャーンと水耕培養液のプールに落ちてフルパワー自爆感電即死』なんて……情けなさすぎて涙も出ねえよ!」
「それを言うな! 事故調査報告書にどう書くか、俺がどんだけ頭抱えてると思ってるんだ! 『防衛訓練中の自爆』って誤魔化すにも限界があるんだぞ!」
不器用なアーロンなりの空気を和らげるパフォーマンスに感謝しつつも、呆れ果てるハンスとケンジ。船内は緊迫感と脱力感が混ざり合った、妙な熱気に包まれていた。
スティーブ船長の遺体は透明な強化ボディバッグに収められ、マイナス40度に保たれた厳重な電子ロックがかかる冷凍保管庫モルグの最上段ラックへと収容された。
船長死亡に伴い、コールドスリープ中の副船長マーカスの解凍シークエンスが自動開始された。だが、急激な解凍による脳神経破壊を防ぐ安全プロトコルに基づき、覚醒には「丸2日(48時間)」の不可逆な時間を要する。その間、最古参整備士のバートンが「暫定代理」として指揮を執ることとなった。
「よし、あと10分で副船長の解凍が完了する。ケンジ、提出用レポートはできたか?」
「はい、船長の『不運な自爆事故』としての報告書は完成しました」
事故から48時間が経過し、ブリッジには平和な空気が戻っていた。
「ついでに事故現場のカメラ映像も最終確認しておくか。……ん?」
マルチモニターの映像を何気なく眺めていたハンスが、一つの画面に目を止め、不思議そうに首をひねった。船長が命を落とした、あの水耕栽培エリアの映像だ。
「おいケンジ……あそこの桃の木、何かおかしくないか?」
「え? 桃の木ですか? 事故の衝撃で枝でも折れてましたか?」
「いや……あの木、この船に乗って数年になるが、ピンクの花が咲くのは何度も見ただろ? だが一度だって『実』がなっているのなんて見たことなかったはずだぞ。人工授粉もしてないし、そもそも観賞用・緑化用の品種じゃなかったか?」
ハンスの言葉に、ケンジも手元を止めて画面を凝視した。さらに横からぬっと顔を覗き込んできたアーロンが、目を丸くしてモニターを指差す。
「うわ、本当だ! 葉っぱの陰にデカい桃の実がなってんじゃん! 船長が感電死したショックで咲いたのか? 不気味だなあ」
「……水耕栽培の環境管理AIがバグって、成長促進剤でも過剰投与したんですかね? 事故の電圧ショックでシステムがおかしくなったかも」
「なんだ、味気ねえな。まあ機械の気まぐれか……って、おい! 誰だあいつ! その桃を勝手にもぎ取ってるぞ! 服のワッペンを見る限り……検査官か?」
「うわっ、あいつマジでそのままポケットに入れて持ち去ったよ。バチ当たりな奴だなあ」
画面を一緒に覗き込んでいたアーロンが呆れ果てたように肩をすくめ、ハンスも露骨に不快そうな顔で吐き捨てた。
「おいおい冗談だろ、不謹慎な奴だな。船長が亡くなった場所だぞ? 理由がどうあれ監視カメラにバッチリ映ってるってのに、コンプラ違反で報告してやる。あとでたっぷり説教だ」
ハンスが呆れ果てて端末のメモに「検査官・水耕栽培エリア規律違反(実の無断採取)」と打ち込もうとした――まさにその瞬間だった。
[システム警告:全権指揮権の移管プロセスに異常が発生]
[エラー:前船長(ID-001:スティーブ)のバイタル再確認において『生存シグナル』を検知]
[警告:前船長の生体シグナルがアクティブ状態です。規定に基づき、副船長への指揮権移管および解凍完了プロセスを一時凍結します]
「……は?」
平和だった分析室に、突如として鮮血のような赤と警告音が鳴り響いた。
「……待て! モニター7!! モルグ内部だ!!」
アーロンが裏返った金切り声を上げた。
全員の視線が、隣のモニター7へ弾かれたように跳ね上がる。そこでは、それまで静寂を保っていた保管庫の鋼鉄製ラックが、たった今、内側からギチギチと嫌な音を立てて外側へ歪み始めていた。
そして内側から引き裂かれたボディバッグの裂け目から、全身が黒焦げになったスティーブ船長がぬっと立ち上がった。
「な……なんだよこれ……! 船長が……動き出した……!?」
「バートン代理! 監視カメラの録画を遡れ! いつからだ!?」
「あ、ああ! 昨晩のモルグ周辺だ!」
慌てて再生した映像には、昨晩モルグ近くを夜間巡回していた警備員が、暗闇から突如飛び出してきた船長に襲われ、奥へと引きずり込まれていく恐ろしい光景が映し出されていた。
「嘘だろ……! 船長だけじゃない、警備員まで……!?」
「まさか例のバイオハザードか!? なんでうちの船で……!」
怒号と悲鳴が暴風のように吹き荒れ、ハンスの手元にあったメモのことなど、誰も思い出す余裕すらなくなっていた。




