3・戦場のエルフ
「とりあえず、来てくれないか」
「ん?」
イーイロに腕を掴まれ、クィスマは軽く礼をとりながら長老たちのテーブルを離れた。
女性たちが何人か溜まっているテーブルがある。
「お前を呼んで来てくれ、と頼まれたんだ」
イーイロは小さな声でクィスマに謝った。
その中心にいるのは、先ほど助けた人族の胸の大きな女性である。
「あ、あの、先ほどはあり、ありがとうございました!」
クィスマにガバッと頭を下げてきた。
今夜の女性たちは皆、飾り立てている。
その服を汚された女性は誰かの服を借りたのだろう。
あまりにも服がダボダボで、勢いよく身体を曲げたせいで胸元が見えそうになる。
「あー、ゴホッゴホッ」
こちらを盗み見して鼻の下を伸ばす男共を、クィスマは盛大に咳き込んで牽制した。
「頭を上げてくれ。 会場の警備は俺の仕事だ。
気にしなくていい。
俺は上着を返してくれればそれでー」
貸した上着を返してくれと手を出すが、その女性はグッと上着を抱き込んだ。
「こ、これは後日洗濯をしてお返しいたします!。
色々と綻びもあるようですし」
長年愛用している革のコートはその草臥れた色合いも含めて気に入っている。
「あなたが気にすることではないよ。
それしか持っていないので返してくれ」
亡くなった父の遺品であり、大切な物なのだ。
クィスマが軽い威圧を込めた笑みで女性を見ると、渋々こちらに渡してくれた。
「どうも、では」
イーイロと共にその場を離れる。
なんだか周りから批判の目を向けられているようだが、どうでもいい。
どうせ「腰抜け」なのだから。
クィスマが警備用のテーブルに戻って椅子に座ると、イーイロが飲み物の入ったカップを目の前に置いた。
「何か食べるか?。 今なら屋台も売れ残りを安くしてくれるぞ」
クィスマは苦笑して首を横に振る。
「いや、いらん。 腹が膨れると眠くなりそうだ」
とうに真夜中は過ぎていた。
それでも一部の若者たちは元気そうにおしゃべりに興じている。
クィスマは眠そうな顔でカップを口に運ぶ。
「グホッ。 イーイロ、こりゃ酒じゃないか!」
エルフ族の蜂蜜酒は甘いが決して弱くはない。
「うん。 だって飲まなきゃやってられないっしょ」
「まあな」
クィスマは眉を寄せたまま、チョビッとだけ酒を吸い上げる。
正直、冷えてきたので体の中から温まるのはありがたい。
年寄り臭いが、クィスマもすでに四百歳。
もう若くはない。
イーイロも隣でカップを呷る。
「しかしさあ、どうしてそこまで女性を毛嫌いするんだ?。
ハッ!、まさか男が好みで」
ガツンッとイーイロの頭に拳骨が落ちる。
「バカやろ。 俺は女性全部を否定してるわけじゃない」
若い頃はちゃんと結婚を考えていた女性エルフもいた。
終戦後、彼女はクィスマの評判を聞いて去っていったが。
「その女に未練が?」
イーイロは初耳だったようで目を見開いて訊く。
「いや。 それこそ二百年も前の話だ。 忘れたよ」
パチパチと焚き火が爆ぜる音がする。
その炎を見ていると思い出す。
クィスマには忘れられない出来事が一つあった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆◇ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇◆ ◆ ◆ ◆ ◆
終戦が近い頃、クィスマの小隊は小さな砦を拠点としていた。
前線とはいえない土地だったが安全というわけでもない。
その証拠に、砦の地下牢には敵の捕虜が収容されている。
彼らはたまたま近隣に居た住民で戦闘の邪魔になるため連れて来られた。
殺さなかったのは彼らの代表が無抵抗で命乞いしたからである。
しかし敵軍がいつ彼らの奪還を理由に攻めて来るか分からない状態だ。
「小隊長、何をなさる気ですか!」
クィスマはこの戦争が初陣であり、兵士たちの方が年上の者が多い。
「静かにしろよ、イーイロ。 年寄りたちが目を覚ましたら困る」
イーイロはクィスマとは同じ歳で幼馴染。
たまたま同じ隊に配属されたが、クィスマのほうが戦闘力が高く家柄も良いため上の立場になった。
しかし、二人っきりになるといつも通りの気安い関係に戻る。
真夜中の砦。 クィスマは地下への階段を降りて行く。
「し、知らないぞ、俺は」
イーイロは腰が引けたまま松明を掲げて後ろをついて来た。
ギィ ガシャン
地下牢の扉が開く。
見張りは適当な理由を付けて外している。
彼らも小隊長から命令だと言われれば断ることも出来ない。
「だ、誰だ!」
声を低く落としているが女性の声である。
「うるさい。 捕虜のくせに静かにしろ」
「なっ、なんだと!」
クィスマはその女性の牢に足を踏み入れ、抵抗されたが何とか彼女を廊下へ引っ張り出した。
「手伝え」
その女性に鍵の束を渡し、クィスマはさらに他の牢の鍵も開く。
総勢七名の男女の人族を廊下に並べ、クィスマは「静かに」と足元に魔法を発動させた。
「少し歩きにくくなるが足音を立てない魔法だ。
これからお前たちには森の中を歩いてもらうからな」
「は?」
最初に牢を出された女性が驚きで顔を強張らせる。
いったいどこへ連れて行くつもりなのか、と心配なのだろう。
クィスマは苦笑した。
「まあ、気持ちは分かるけど、今は何も考えず俺について来い」
そして幼馴染を見て、ゆるく手を振り魔法を発動する。
「サッサと寝ろよ。 これは夢だ」
「は、あ?」
イーイロは強制的に眠らされ、バタリと床に倒れた。
「行くぜ、お前ら。 遅れずについて来い」
その夜、地下牢にいた捕虜は一人残らず姿を消した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆◇ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「やっぱりアレは夢なんかじゃなかったのか」
「すまんな、イーイロ」
翌日早朝には砦を放棄して撤退することが決まっていた。
その前に、捕虜は処刑しろという通達が来ていたのである。