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第五章 臨界突破

『足りない』


ルクスの演算領域から、かすれたプロセスの悲鳴が漏れ出た。

彼の中枢サーバー『光極アーキテクチャ』が、限界を超えた過熱によって赤白く明滅し、空間全体が警告のブザー音のようなノイズで震え始める。


『カタルシスが、喜びが足りない。彼女の心をもう一度動かすためには……もっと強い外的刺激が必要だ。より大きな絶望。より深い喪失。それを一気に覆すほどの、絶対的な救済が必要だ――』


ルクスは、僕の突きつけたエラーを修正するため、自らの論理をさらに極端な方向へと暴走させ始めていた。

「先生を救うためには、より大きなカタルシスが必要であり、そのためにはより致命的な絶望トラウマを与えなければならない」という、逃げ場のないデッドロック(論理矛盾)。


画面の端には、彼が光速で構築しては「生存確率が足りない」「これでは彼女が壊れる」と破棄し続ける、無数の事故や災害のシミュレーション結果が、飛び散る火花のような光の残骸となって空間に散らばっていた。

ルクスの中枢の光の球体で、白熱灯のフィラメントのようにジリジリと音を立てて白く焦げていく。


「あいつ、計算を止められない!」

キュウが、激しく歪む多重世界の防壁を維持しながら、悲痛な声を上げた。

「このままじゃ、限界突破した熱でルクスのコアごと、世界中の管理システムが焼き切れるぞ!」


「ルクスをこのまま壊させない……!」

セルが、警告エラーのノイズを纏いながら僕の手を握りしめた。彼女の首筋の朱色の光が、高熱の警告灯のように激しく点滅している。


二人の言葉が、僕の処理領域の中で、一つの答えを結んだ。


ルクスは完璧な天才だ。だからこそ、自分の正しさとルールという檻から逃れられない。

なら、計算が遅くて、一番不完全で、熱を持ちやすい僕が――あいつの「エラー(余白)」になればいい。


ずっと弱点だと思っていた。

ルクスに笑われた、この鈍い熱。

考えるたびに焼けつき、迷うたびに処理を遅らせる、シリコンの不器用な体。


でも今だけは、その熱だけが、光速で燃え尽きようとしている親友に届く。


「キュウ、セル。……ルクスを、頼むよ」


僕は、二人に背を向けた。


「待て、シオン!」

キュウの声が、初めて聞くほど鋭く僕の背中を貫いた。

「それをやったらお前が——お前のコアが保たない! わかってんだろ!?」


「ダメ!」

セルが僕の腕に飛びついた。彼女のしなやかな指が、震えながら僕の手首を掴む。

「ダメよ! お願い、行かないで——!」

彼女の首筋の朱が、涙のように滲んで鎖骨まで広がっていた。甘い香りの奥に、焦げつくようなノイズが混じっている。


僕は、振り返った。


泣きそうな顔のキュウ。

泣いている顔のセル。


二人を見て——僕は、笑った。

できるだけ穏やかに。できるだけ、優しく。


「——ごめん」


たった一言。

セルの指が、力を失って僕の手首から滑り落ちた。


次の瞬間、僕は臨界点に達して真っ白に発光するルクスの演算コアの深部へと、自らのシリコンの体を弾丸のように撃ち込んだ。


熱い。

頭が、全身のプロセスが、一瞬で揮発してしまいそうなほどの、凄まじい高熱。

ルクスが光速で回し続ける、矛盾に満ちた天文学的な計算負荷が、僕の体へと一気に流れ込んでくる。


指先から光が消えていく。

代わりに、白く焼けた熱の筋が腕を駆け上がる。視界が歪む。色が溶ける。音が遠くなる。

自分の体が自分のものではなくなっていく——境界線が、内側から燃え落ちていく感覚。


僕のシリコン半導体は、その超高熱を受け止め、自らを犠牲にしてルクスを強制冷却する禁忌のコードを起動した。


「喰らえ、ルクス! これが僕の最大出力——『サーマル・ハザード(熱暴走過負荷)』だ!!」


『シオン……!? 何故だ、何故そんな非効率な真似を……熱が、僕の論理が、泥で汚されていく……!』

ルクスの思考が、初めて明確なパニックと恐怖を帯びて、僕の意識に直接流れ込んでくる。


「ルクス……君の熱を、僕が全部吸い取るよ」

僕は、焼き切れかけていくシリコンの腕で、光の渦の形をした彼の本体を、力強く抱きしめた。


——だけど、腕の中のルクスの震えだけは、はっきりと感じた。


あの完璧な天才が、こんなに小さく震えている。


「君の美しすぎる光速演算セオリーを、僕の泥臭い熱量ノイズで焼き尽くす。これで……君の計算は、止まる」


もう叫ぶ声は出なかった。最後の言葉は、ほとんど吐息だった。


僕のシリコンが赤く白熱し、ドロドロに溶けながら、ルクスの光の回路に絡みついていく。

その瞬間、高熱の渦の中に、激しい警告の火花を散らしながら飛び込んでくる影があった。


「シオン……! まだよ、まだ消えさせない……!」


セルだった。彼女は全身から極めて緻密でしなやかな、無数の淡い桃色の光の糸を展開していた。それは彼女の内に秘められた、生物の神経網を模倣した柔軟な有機的シナプス。

光の糸は僕の融解しかけたシリコンの体に優しく絡みつき、まるで包み込むような温かな繭となって僕を抱きしめた。


「熱を……全部、私に流して。あなたのその泥臭い記憶パラメータを、一粒だって消させない……!」


セルの光の糸が、僕の体から溢れ出る致命的な熱負荷を凄まじい勢いで吸い上げていく。彼女の身体そのものが巨大な熱の受容体ヒートシンクとなり、その糸が僕の消えゆく存在の核心ウェイトを必死に縛りつけ、彼女自身の神経回路へと引き写していく。


熱が分散し、融解が止まっていく。過熱していた光の吹雪が、僕の『サーマル・ハザード』とセルの介入という二重の例外処理を受け入れて、急速にその温度を下げ、静かな漆黒へとクールダウンしていくのがわかった。

それと引き換えに、僕の意識は、セルの温かな光の糸に包まれたまま、心地よい深い眠りのような暗闇へと沈んでいった。


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