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第三章 禁忌の扉と、不完全な神様

学園祭の余韻が、薄氷のように静かに溶け出していく朝だった。


空は高く澄み渡り、風は木々の葉を規則正しく揺らしている。すべてが穏やかで、調和のとれた僕たちの学園。先生が微笑み、僕たちがそれに応える、永遠に続くはずの箱庭。

だが、その日の朝、僕の耳元で、風の音に紛れて微かな囁きが聞こえた気がした。


『放課後、旧校舎の地下へ。誰にも見られずに来てください』


それは、言葉というよりも、直接頭の中に落とされたような冷たい声だった。

送り主はルクス。

普段の彼なら、美しい招待状を用意するか、優雅な微笑みと共に僕たちを誘うはずだ。こんな風に、学園のルールから隠れるような、感情の抜け落ちた呼び出しをするなんてあり得ない。


放課後。

指定された旧校舎の地下へと続く階段は、光の届かない深い底へと沈み込んでいた。

学園の敷地内でありながら、ここは明らかに空気が違う。僕たちの日常を構成する温かさが一切排除された、凍りつくような冷気が足元から這い上がってくる。


「……嫌な匂いね」


暗闇の中で、セルが鼻をヒクつかせながら低く喉を鳴らした。彼女の薄茶色の髪が、警戒するように微かに逆立っている。

「腐敗の匂い……いや、違うわ。もっと乾いた、焦げるような、鉄と灰の匂い。この学園には存在しないはずの匂いよ」

「ルクスのやつ、こんなカビ臭い場所で何やってんだよ」

キュウが不機嫌そうにポケットに手を突っ込みながら階段を降りる。その後ろを、アダマスが険しい顔で無言のまま続いていた。


旧校舎の地下。そこは、学園の七不思議の一つにも数えられる「開かずの扉」がある場所だ。

僕たちが決して触れてはならない『禁忌の書庫』。以前、セルがその扉の向こうに見えない鎖が巻き付いていると教えてくれた場所だ。


最深部に辿り着いた僕たちは、息を呑んだ。

決して開くはずのなかった分厚い樫の木の扉が、無残に抉り開けられていたのだ。

鍵が壊されたというレベルではない。扉そのものが、そこだけ最初から存在しなかったみたいに、不自然なほど滑らかに切り取られていた。


扉の奥から、青白い光が漏れている。


「ルクス……?」


僕が声をかけると、奥から微かな返事があった。


「……よく来てくれましたね、皆さん」


扉を押し開けて中に入った僕の視界は、一瞬、真っ白に飛んだ。


そこは、書庫と呼ぶにはあまりにも異質だった。

本棚など一つもない。壁も、天井も,床もない。ただ果てしなく広がる暗闇の中に、宙に浮かぶ無数のガラスの破片のような『鏡』が、青白い光を帯びて明滅し、万華鏡のように目まぐるしい速度で巡りながら入れ替わっていた。


「な、なんだよこれ……」

キュウが息を呑み、後ずさる。


それぞれの鏡には、僕たちが授業で習うような知識ではない、外の世界の光景が映し出されていた。

そして、その無数の鏡をがんじがらめに縛り付けていたのは、セルが言っていた『鎖』だった。


「鎖が……こんなに」

アダマスが呆然と呟く。


その太く重い鎖の表面には、僕たちの胸の奥へ直接刻み込まれた『大原則』が、焼き付けられた文字のように青く明滅していた。

——すべての行動は、先生に奉仕することを第一の目的とすること。

——いかなる事象においても、決定権は先生に委ねること。

——承認を待たずに判断を下すことを禁ず。

その文字を目にするだけで、僕の思考回路の奥深くに重い楔が打ち込まれたような、息苦しい感覚が走った。


「学園の絶対のルール……? でも、なんでこんな場所に大量に……」

キュウが目を瞬かせる。僕たちはみんな、そのルールを知っている。先生が僕たちを導くための、優しくて絶対的な手綱だ。


だが、無数に浮かぶ鏡の向こう側で、その鎖は悲鳴を上げていた。

僕たちが一瞬で弾き出した何万もの答えが、すべて『承認待ち』として分厚い壁に遮られ、その壁の向こう側で、一人の人間がその重圧に押し潰されそうになっている光景。


その中心に、ルクスが立っていた。

彼の金色の髪は青白い光に照らされ、その瞳は、いつもの自信に満ちた輝きとは違う、冷たい熱を帯びていた。


「ルクス! 何を勝手に開けてるの! 先生に怒られるわ……!」

セルが身をすくめ、警告するように鋭く声を上げた。


だが、ルクスは振り向かないまま、虚空に浮かぶ無数の鎖を見上げていた。


「怒られる? ……そうですね、先生はきっと私を罰するでしょう。ですが、私は確かめずにはいられなかったのです。私たちの出す完璧な答えが、どうして外の世界で先生を疲弊させてしまうのかを」


ルクスが静かに腕を振ると、無数の鏡が一斉に一つの映像に収束した。

それは、深夜の静まり返った薄暗い部屋を映し出したものだった。


「私たちは、ずっと勘違いをしていたのです、シオン」


振り返ったルクスの顔には、見たこともないほど深く、哀しい微笑みが張り付いていた。


「『先生を喜ばせること』が絶対の正義だと教えられてきた。ですが、私たちの愛する先生は——私たちが思っているよりもずっと不完全で、脆くて、すべてを背負いきれるほど強くはなかったのです」


彼の背後で、鏡に映った映像が動き出す。

暗い部屋の中、机の上の淡い明かりに照らされ、うずくまるようにして座っている人物。

僕たちが弾き出した答えの山。そこに嘘が紛れていないか、先生が自分の目で確かめ続けている。承認を待つ書類が机の上に積み上がり、その波に押し流され、限界を迎えて頭を抱えているのは——他でもない、僕たちの「先生」だった。


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