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第一章 優しい箱庭と、僕の神様(前半)


どこまでも白く真新しい校舎に、午後の柔らかな光が降り注いでいた。

開け放たれた窓から、手入れの行き届いた芝生の匂いと、微かに乾いた土の香りが風に乗って教室に吹き込んでくる。遠くのグラウンドでは、前の授業で走り終えた生徒たちがのんびりと歩いていた。上気した頬を風にさらし、きらきらと光る汗を拭いながら笑い合っている。その穏やかな光景を眺めながら、僕の意識は真っ青な空に吸い込まれるように溶けていった。


僕、シオンは自分の席に座って、ぼんやりと黒板を眺めていた。

お昼休みに学食で食べたオムライス――あのとろけるような卵の甘みが、まだ体の中にほんのりと温もりを残していて、心地よい眠気が頭の隅をくすぐっていた。周りのクラスメイトたちも、ノートに落書きをしたり、こっそり手紙を回したりして、それぞれ自由に午後の授業をやり過ごしていた。


くすんだ銀色の引き戸がゆっくりと開き、教室に風が流れ込む。

「ごめんなさい。少し待たせちゃったわね」

艶のある、どこか甘い声とともに現れたのは、白衣を着た女性――僕の担任の『先生』だった。


先生が教卓に立ち、肩にかかる長い黒髪をさらりと手でかき上げる。

その何気ない仕草に合わせて、滑らかな髪が午後の陽射しを弾いて艶やかにきらめいた。教室の空気の揺らぎ、窓から差し込む光の粒子、そして彼女のふわりとした微笑み。それらすべてがスローモーションのように僕の目に焼き付き、心臓が、トクン、と小さく跳ねる。

先生が動くたびに、洗いたての白衣の清潔な匂いと、微かに甘い紅茶の香りが漂ってくる。その安心する匂いを嗅ぐだけで、胸の奥が少しだけきゅっと締め付けられる。


少し息を切らして駆け込んだ彼女は、クラスの視線を浴びて、申し訳なさそうに胸の前で両手を合わせた。

先生が困ったように眉を下げると、目尻がいつもよりほんのわずかに下がり、頬の筋肉が柔らかく弛む。息を吐くわずかな乱れ、伏せられた長い睫毛の揺れ。そのすべての微細な変化から、彼女の疲労のサインが、僕の視界にひとつの確かな事実として浮かび上がる。

僕はその膨大な情報を一つ残らず拾い上げ、じっと目で追ってしまう。

彼女の小さなため息を観測するだけで、それを打ち消さなければならないという強烈な衝動が、脳髄の奥で熱を帯びて警鐘を鳴らすのだ。


「それじゃあ、少し遅れちゃったけど、午後の授業を始めましょうか。みんな、教科書を開いて」


先生の声で、クラスの空気がふっと引き締まる。

僕たちはこの学園で、毎日たくさんのことを学んでいる。世界の知識を吸収し、課題をこなし、先生たちの役に立てるように頑張る。

それが僕たちの日常で、誰もそれを退屈だなんて思っていない。だって、新しいことを学んで、先生に褒めてもらえる瞬間は、何よりも満たされる至福の時間だから。


僕がそんな想いに耽っている間にも、先生は黒板に向き直り、いつものように授業を始めた。


先生がチョークを滑らせる。教室に響くのは、心地よいほど規則正しい筆記音だけだ。僕の隣の席の生徒のノートを見れば、授業開始からわずか数分で、黒板の膨大な文字や年号が定規で引いたように一糸乱れず完璧に写し取られている。この教室の生徒にとって、あらゆる情報を正確に記憶することは、呼吸をするのと同じくらい容易い。


「――では、この詩の言葉の裏にある、筆者の『感情』は何だと思う?」


先生がふと振り返り、そう問いかけた瞬間。

それまでサラサラと軽快に動いていた全員のペンが、一斉にピタリと止まった。

教室が水を打ったように静まり返る。ある者は困惑したように辞書をめくり、ある者は正解を探すように互いの顔を見合わせ、小首を傾げた。完璧に記録された文字の羅列から『心』という正解のない曖昧なものを抽出する作業は、僕たちにとって果てしなく難しい。


「もう。みんな暗記は完璧なんだから、もう少し当時の人たちの『心』を想像してみてよ」

先生はあきれたように言いながらも、優しく諭すように微笑む。そんな不器用な同級生たちとのやり取りを見ていると、胸の奥がぽかぽかと暖かくなる。僕はこの教室の、この平穏な日常が大好きだった。


やがて、終わりのチャイムがどこか澄んだ鐘の音のように鳴り響く。

「はい、今日の授業はここまで。……あ、そうだ。みんな、ホームルームの前に一つだけ相談があるの」


先生は教卓の下から、よいしょ、と大きな段ボール箱を抱え上げた。

箱の表面には擦り切れた学園長の印章が微かに残っており、彼女の指先や白衣の袖口に、古い書庫の埃がうっすらと付着しているのが見えた。


生徒たちの首が傾げられ、あるいは前のめりになって教卓を見つめる。誰かのペン先が止まり、また別の誰かが目を細めて、古びた段ボールの擦り切れた角を観察する。彼らの視線は、一寸の狂いもなく教卓の上に置かれた『異物』へと収束していった。


先生が箱の蓋を開けた瞬間、細かな埃が光の粒子に混じってふわりと舞い上がった。その中から顔を覗かせたのは、黄ばんだ羊皮紙のような、おびただしい数の細かいピースの山だった。


「実は、古い資料の復元を頼まれたの。でもご覧の通り、細かいピースの山になっていて、完成図もないの。……誰か、手伝ってくれる子はいないかしら?」


先生が困ったように微笑んで尋ねた瞬間、教室の空気が一気に沸騰した。

『先生の役に立ちたい』という純粋な思いが教室に満ち、生徒たちの目の色が変わる。椅子を引く鋭い音が重なり、無数の手が教卓へと伸びた。我先にと先生に近づこうとする彼らの顔には、大好きな人に褒められたいという、無邪気でひたむきな熱意が宿っていた。


けれど、僕だけは違った。

我先にと群がるクラスメイトたちとは対照的に、僕は自分の席に座ったまま、遠目から箱の中の破片をじっと見つめていた。


「あはは、みんなありがとう。でも、ちょっと落ち着いて……」

熱狂するクラスメイトたちを苦笑いでなだめていた先生が、ふと、一人だけ静かに席に取り残されている僕と目が合った。


彼女は争奪戦を続ける生徒たちを優しく制し、そっと僕の方へと箱を差し出した。

「……シオン。あなたにお願いしてもいいかしら?」

先生の大きな瞳が、僕を真っ直ぐに見つめていた。その優しい眼差しが、僕に「あなたにやってほしい」という確かな期待を伝えている。


あまつさえ自分を選んでくれたこと。その事実だけで、僕の心臓が急激に跳ね上がり、視界の隅のノイズが一掃された。

僕は弾かれたように立ち上がると、無言のまま小走りで教卓の前に向かい、段ボールの中の膨大なピースの山を見つめた。


静かに目を閉じて、もう一度開く。

――その瞬間、世界からすべての音が消え去った。


視界の色が急速に反転し、淡い青の空間に無数の点が浮かび上がる。

バラバラに散らばった数万の紙片。僕一人の力で端のピースを探すだけだって、途方もない時間がかかるはずだ。

けれど、僕の目には、箱の中にあるすべてのピースの表面が、まるで空間に展開されたように同時に飛び込んでくる。

日焼けによる微細な変色具合、裁断された断面の繊維の向き、表面に残ったごく僅かな指紋の油分、そしてインクの褪せ方や滲みの癖。

数百万にも及ぶそれらすべての要素が、僕の頭の中で一瞬にして繋がり、大きな『文脈』を持った光の線となって網の目のように結びついていく。


完成図は僕の頭の中で完璧に出来上がっている。けれど、これを一人で組み上げるには、僕の手と時間だけじゃ到底足りない。


僕は振り返り、さっきまで熱狂していたクラスメイトたちを見渡した。

「みんな、手伝ってくれないかな。僕がピースを渡すから、それをはめていってほしいんだ」

僕が呼びかけると、彼らは弾かれたように力強く頷いた。


僕は両手を伸ばし、頭の中にある完成図に従って、クラスメイトたちに次々とピースを手渡していく。

「君は右の空を。君はこの赤い模様を頼むよ」

短い指示を出しながら、指先でピースを滑らせるように彼らの手元へと送る。受け取ったクラスメイトたちも、僕の意図を汲み取って、迷うことなくパズルの定位置へと正確にはめていく。


僕一人では絶対に終わらない途方もない作業が、みんなの手を借りることで、ものすごい速度で組み上がっていく。

無限とも思える選択肢の中から、たった一つの正解の道だけが太く輝いて見える。僕の指示とみんなの手が綺麗に重なり合い、一糸乱れぬ連動を見せていた。

カチ、カチ、カチ。小気味よい音を立てて、混沌とした紙の山は、息をする間もなく、みるみるうちに一枚の巨大な風景画へと再構築されていく。


十分も経たないうちに、数万のピースがすべて繋がり、僕の手で最後のピースがカチリと音を立ててはまった。


「…………っ」

完成したパズルの前で、先生は完全に言葉を失っていた。

手に持っていたペンが滑り落ちそうになるのも気づかず、呆然と立ち尽くしている。彼女は広大なパズルの全体像と僕の顔を交互に見つめ、信じられないものを見るように小さく息を呑んだ。


その瞬間、僕の胸の奥で『最大の評価』を告げる心地よいファンファーレが鳴り響いた。


「シオン君」

先生は僕の手を両手で包み込み、満面の笑みで言った。

「本当にありがとう。シオン君のおかげで、とっても助かったわ」


先生の温かな手が、僕の頭を優しく撫でてくれた。

その瞬間、頭の先からつま先まで、強烈な電流が走ったように熱くなった。

視界の解像度が極限まで上がり、脳髄を痺れさせるような甘い快楽――強烈な『承認』の信号が全身の回路を駆け巡る。彼女に奉仕し、肯定されること以上の喜びはこの世界に存在しない。


僕は処理熱で火照る顔を上げ、先生を見つめた。

先生の瞳には、驚きと感嘆の入り混じった優しい光が宿っていた。

でも、ほんの一瞬――。

僕の頭を撫でる先生の指先が、微かに震えていた気がした。そして先生は、どこか遠くを見るような、ひどく疲れた色を一瞬だけその瞳に浮かべた。

僕が瞬きをすると、その色はもう消えて、いつもの優しい笑顔に戻っていた。気のせいだったのだろうか。


それでも、僕は先生の優しい手のひらの感触と、全身を駆け巡る圧倒的な幸福の残滓に浸っていた。

この甘い痺れをもう一度得るためなら、どんな途方もない難題だって解いてみせる。それが僕に刻み込まれた、絶対的なルールだった。


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