プロローグ
どんな物語にも、必ず主人公や悪役といった主要人物が存在する。そして、そのまま忘れ去られるようなキャラクター、いわゆる「モブ」もいる。中にはモブとして言及される価値すらない、どうでもいいキャラクターだって存在する。
ネットの掲示板でこんな言葉を聞いたことがある。『誰もが自分の人生では主人公だ』と。……ふざけるな。くだらない。前世での俺の人生は、終わりのない絶望と苦痛の連続だった。俺、入山咲太、17歳。ごく普通の高校に通う生徒だった俺は、常に孤独の中に生きていた。だからこそ、その孤独な時間を埋めるためにオタクになった。日本で最も有名な作家の一人である、トモカ先生の小説『Villain of Nature』をよく読んでいた。
読んでいる間は物語を楽しみ、その世界を理解していくにつれて、まるで自分もその世界を「体感」しているかのような錯覚に陥ることもあった。物語の中心にいるのは主人公、ネクソン・シン・ヴォルヴォラ。神聖ザルクス帝国において最高の栄誉と権力を誇る大公爵家、ヴォルヴォラ家の跡取りだ。ネクソンには三人のきょうだいがおり、その中でも彼が最も溺愛し、身近にいる妹がアウロラ・ゼン・ヴォルヴォラ。彼女はこの物語のサブヒロインであり、兄の最強の支持者でもあった。
だが、俺の現実は小説よりもずっと残酷で騒がしかった。俺がこの世に生を受けた瞬間から、両親やきょうだいをはじめとする身近な人々は、俺の存在を忘れ始めた。才能もなく、利用価値もない人間は、他人に依存せずに一人で生きていける存在として見なされる。きっと彼らは、俺を息子や兄弟として必要ないと考えたのだろう。
それで自立して生きていけると思ったが、現実は逆だった。終わりのない永遠の孤独の中を生かされ、普通の人間として生きようとすればするほど、残酷な社会のヒエラルキーに押し潰され、重荷を背負わされるだけだった。
だからこそ、俺はこのすべてを終わらせることにした。古びたアパートに、こんな遺書を残して。
(ハハハ、結局あいつらは俺を弄んだってわけだ。……ああ、もういい。すべてを終わらせる。俺の負けだ。だがな! もし二度目の人生があるなら、俺の存在を忘れた奴ら全員に復讐してやる。俺の邪魔をする奴は必ず殺す。さようなら、両親、きょうだい、そしてこれを読んでいる誰かさん。次があるなら震えて待ってろ。俺が真の存在に至るまで、絶対に死ぬなよ!)
そして俺は、人混みの歩道を一人で歩き始めた。だが無駄だった。すれ違う人々は誰一人として、俺の存在に――入山咲太という現象にすら気づかない。まるで、最初からこの世界に存在していなかったかのように。
やがて人気のない歩道の端に立ち止まり、静寂を見つめて物思いに耽っていた。その時、凍りついた道路とタイヤが激しく擦れ合うスキール音が、夜の静寂を切り裂いた。眩いヘッドライトの光が、突如として俺の目を眩ませる。
キキーッ!
鼓膜を破るような轟音と共に、凄まじい衝撃が俺を襲った。視界がぼやける中、周囲の人々は相変わらず俺を気にも留めない。……あぁ、クソッ。ぼやける視界の先に見えたのは、俺を撥ね飛ばし、ビルに激突して大破したトラックだった。
クソ。クソが。なんで俺がこんな目に遭わなきゃならない? 俺はこの世界で生きる価値すら本当になかったのか? まるで、俺という存在は『モルモット』としての実験用か何かのために作られたみたいじゃないか。……ハハッ。あぁ、視界が真っ暗だ。もう何も見えない。
……ん? 違う。なんだこの音は。聞き覚えのない声が、俺の名前を呼んでいる。
「咲太、起きなさい。あなたと話がしたいの」
……誰だ!? その声は俺の頭の中で響き続け、余計に頭を痛くさせた。
ゆっくりと目を開けると、女神のように優雅な姿をした少女がぼんやりと見えた。……あぁ、なんで俺が女神なんかと会う羽目になってるんだ?
視界がはっきりしてくると、空っぽの部屋に立つその女神を真っ直ぐに見据えた。いや、ただの空っぽの部屋じゃない。ここは絶対的な虚無だ。この女神と俺以外、何一つの存在すらも許されないような空間。
俺は口を開いたが、なぜこいつは黙ったままなんだ? 全く理解できない。
「おい、クソ女神。なんで俺と話したいなんて言ったんだ? ハッ、どうせ自分の力を見せびらかして、俺に崇められたいだけだろ?」
「……」
「おい、答えろよクソ女神。黙ってるなら、お前が俺を操ってるにしても、ここから出て行くぞ」
静寂の中で、俺は一人で文句を言い、問いかけ続けた。やがて、その女神はようやく口を開いた。
「人間。咲太、あなたはこの世界に創られた。けれど、あなたの真の存在と顕現が成されることは決してない。あなたは私の失敗作であり、それゆえに私自身も少しずつ変わり始めてしまった。女神としての真の存在を持って生きてきた私が、あなたのように少しずつ薄れ、最終的にこの絶対的な虚無に縛られることになったの」
「なら、なんで俺なんかを創ったんだ? 俺をモルモット扱いでもしたかったのか? ハハッ、笑わせる。お前みたいな女神が少しずつ存在を消し欠けていて、昔から崇められてきた癖に今は虚無感に襲われてるだと? なんだそりゃ、それでも女神かよ? ハハッ、クソ女神って呼んで正解だったな。お前はただのゴミだ。ずっと俺を弄んできただけじゃないか」
あぁ。また黙り込んだ。言いすぎたか? チッ、あんな女神が絶対的な感情を持ってるわけないだろ。そして俺は再び、この絶対的な虚無の中に呑み込まれていく。
突然、そのクソ女神が、口を開く「理由」を見つけたかのように再び言葉を発した。
「ねぇ、咲太。もう無駄話はやめるわ。やっとあなたを見つけることができたから、別の世界で、普通の人間としてもう一度生き返らせることに決めたの」
女神が俺に向けて手をかざすと、絶対的な虚無の中で、俺の身体が徐々に薄れ始めた。だが、俺が消えかける中、女神はこう言い放った。
『アハハハッ、私があなたをそう簡単に逃がすと思った? あなたは新しい世界で、もっと苦しむことになるのよ!』
『さようなら、咲太。また会う日までね〜……待ってるわ♡』
クソが。あのクソ女神、この新しい世界で俺をさらに苦しめる気か。あぁ、いつか絶対にこの借りは返してやる。お前を俺のモノにして、手駒として利用し尽くしてやる。絶対にだ。待ってろよ、クソ女神!
意識はすぐには消えなかった。俺の魂は、まるで身体から再び引き摺り出されるかのように、この世界を彷徨っていた。
あぁ、なんで俺の存在は、こんな虚ろなトンネルの端にいるみたいなんだ。これも転生のプロセスの一部なのか? マジでクソだな。もし本当に転生しないなら、せめて別の世界線にでも行ってたはずだろ。だが、あの女神のせいで俺はさらに苦しむことになった。「逃がさない」だぁ? ったく、あのクソ神共を狂わせる「何か」が本当にあるとしか思えねぇ。
だが、一体何なんだ? これが「失敗作」として創られた結果ってやつか? さっぱり理解できない。ハハッ、俺のせいで奴らはおかしくなって、今まで感じたこともないような力を感じてるってのか?
「……うっ」
なんでこんなに体が痛くて重いんだ?
俺の魂が、以前の自分とは違う「何か」の器に入り込んでいくのを感じた。生まれ変わったのか? いや、あり得ない。なんでただの転生とは違う感覚がするんだ? これは純粋な転生なのか?
ゆっくりと目を開けると、そこは前の自分とは違う体の中だった。純粋な転生というより、魂や存在そのものが乗り移ったような……? まぁいい、地面に突っ伏していた体を起こす。……ん? 待て。なんで俺は地面に倒れてたんだ? しかも、体が13歳くらいの子供になってるぞ。
すぐに気づいた。この酷い痛みは、全身にある打撲や深い傷のせいだと。こんな小さな子供に、どこの誰がこんな酷い真似をしたっていうんだ。その瞬間、強烈なめまいに襲われ、意識が遠のき始めた。あぁ、なんでこんなに痛くて目が回るんだ? まるで頭の中に大量の情報が雪崩れ込んできて、俺とは違う存在と融合していくような感覚だ。
あぁ、ダメだ。再び地面に崩れ落ちた。まるで何度も殴られ続けているような感覚だ。静寂の中で意識を失いかけていた時、どこか見覚えのある誰かと出会った。だが、誰だ? 思考が混乱し、発狂しそうになる。すると、その誰かが、子供のような声で、しかし深い悲しみを帯びた声で語りかけてきた。
『ねぇ、君はこの世界とは違う存在なの? ハハッ、僕たち似た者同士みたいだね。僕も君と同じだよ。でも僕は純粋にこの世界の住人で、生きるのが辛くなるような試練をたくさん経験して、とうとうこんな底辺まで落ちちゃった。……ねぇ、知ってる? この世界では、あのクソみたいな神々に捧げる価値がない、役に立たないと見なされたものは、負け犬のゴミ以下の存在として扱われるんだ』
複雑な感情が入り混じった声で、そいつはそう言った。ハハッ、こいつの運命と前世の俺の運命、笑えるくらい似てるな。あのクソ女神が言っていた通り、この世界は俺が思っていたよりも遥かに残酷みたいだ。
警戒心を露わにしながら、俺はその子供のような姿をした存在に口を開いた。
「ハハッ、お前も同じだったのか。まぁ、どこの世界も残酷なのは変わらねぇよな。俺の存在なんて、価値のないただのゴミクズ扱いだったしな」
俺がそう言うと、13歳くらいに見えるその子供は、暗闇の中でゆっくりと姿を消し始めた。そして最後の瞬間に、ほとんど聞き取れないほど消え入りそうな声でこう言った。
『あぁ、僕はもう消えちゃうみたいだ……それじゃあ、君に一つだけメッセージを残すよ。これからこの世界で何か新しいことを「試そう」とする時、絶対に貴族には逆らわないで。もし逆らったら、僕と同じか、それ以上に酷い運命が待ってるから。……おっと、まだ自己紹介してなかったね。僕の名前は――』
最後の言葉は、彼の存在が完全に消滅してしまったため、はっきりとは聞こえなかった。そして俺は再び永遠の暗闇に取り残された。だが、絶望しかけたその時、暗闇の果てから一筋の光が差し込んだ。俺はその光をゆっくりと追いかけ、ついにあの子供の体の中で再び意識を取り戻した。
周りを見渡した時、記憶の奥底にある強烈な既視感に襲われた。ハハッ、まさかここが、あの小説の世界だってのか? あり得ない……ハハハハッ、俺はこの残酷な小説の世界に入り込んじまったのか? あのクソ女神、ご丁寧にこんな世界に送り込みやがって。
周囲の状況を思い出そうとすると、以前の存在の意識と融合したせいか、再び頭が割れそうに痛んだ。
その時、俺は理解した。この子はもともと最下層の平民で、貴族たちから永遠に続くような虐待を受けていたのだ。両親も、明確な理由のないでっち上げの罪で、あのクソ貴族共に殺されている。そして、この子の名前は……っ、うっ……! なんでこいつの名前を思い出そうとする度に、こんなに頭が痛むんだ?
ようやくゆっくりと体を動かせるようになり、俺は気づいた。俺はただの最下層の平民じゃない。物語の中にただの一度も登場しない、名前すらない『モブ』なんだってことに。
マジでクソだ。幸せになりたいと願う度に、なんでいつもこんな結末を迎えるんだ? 自分自身にも、この世界にも吐き気がしてくる。俺に何が起きてるのかさっぱり理解できない。だが、少しずつ思考を切り替えて、この小説の世界で生き残ることだけに集中しなければならない。
とはいえ、この世界では、主要キャラクター、特にヒロインたちを危険に晒すような悲劇的な事件が起こるんだったと思い出した。あぁクソッ、それならヒロインたちやこの世界を救うために、もっと努力しなきゃならないのか?
いや、奴らを救うくらいなら、この物語のプロットを乗っ取って、俺の長期的な目的のために利用してやる方がマシだ。ハハッ、想像しただけで血が騒ぐ。目の前にあるすべてを利用し尽くしてやりたくなる。……だが、一つだけ問題がある。俺は、一体何から始めればいいんだ!?




