おわりの日 はじまりの火 3
深い泥の中から、ゆっくりと意識を持ち上げる。瞬きをひとつ。視界は正常らしい。死にゆく西日が網膜を焼き、マリアは思わず目を細める。先程の衝撃波のせいか、全身のあちこちから鈍い痛みを感じた。ふー、と息を吐き、指先を動かす。握って、解いて、繰り返す事ふたつ。
一瞬の沈黙の後、マリアは身体を起こす。思考の端が酷く冷めている。混乱はしていたが、急速に状況を整理し始める必要があった。ライラの心配、ウルの恐れ。奇しくもふたりのらしくない行動がマリアの幼い思考を磨き上げ、鋭利に研ぎ澄まして行く。
ライラが散りばめて行った情報と、意識を失う直前に見た崩壊していく教会。予感がした。嫌な予感だ。マリアの小さな世界が滅びて、二度と帰れない予感。
そしてそれはきっと正しい。だってこの予感は、ウルから教わり、ウルから受け継いだものだから。マナの読み方、風の吹き方、鳥の鳴き声。小さな異変を拾い上げ、やがて来るだろう未来へ繋げる方法。
心臓が緩やかに加速する。恐怖に動悸が駆り立てられ、肺が自然と呼吸を押し出した。いつもならうるさいくらいに賑やかなマナが、静まり返っている。人間の営みに合わせて角度を変えながら煌めく生命の奔流が、今は感じられない。
感情に背中を押されるまま、マリアは駆け出した。テレジアから逃げ出すように街とは反対側へ倒れた木々を避け、崩れた街道を横切る。走る、走る、走る。ライラが被せてくれ日除け帽が落ちても、躓いて顔が泥に汚れても。マリアは走る。走り続けしかなかった。
「は、はっ、はぁ.......、は..........」
日が完全に地平へと消えかける頃、マリアはようやく街の外壁らしきものに辿り着いた。ぜえぜえと息を吐き出し、喉の痛みに眉をしかめながら、それを直視した。
かつて国一番と謳われた白い街並みは崩れ去り、街を彩る花は全て灰になっている。呻き声、誰かの泣く声、どこかで炎が爆ぜる音。マリアが愛した世界は、この数時間で跡形もなく崩れ落ちていた。
現実味のない光景に、足が竦む。馬が死んでいた。いつも荷車を引いていた馬だ。額に白い星のような模様があったから、覚えている。砕けた瓦礫の下、誰かの腕が覗いている。それを泣きながら引っ張りだそうとする人の顔は、黒く煤けていた。
タイルは衝撃で捲りあげられ、蹲った誰かはぴくりとも動かない。かろうじて残っていた交易所の階段には、主をなくした影だけがへばりついている。
何かが燃える臭いと、鹿やイノシシを捌いたウルがたまに纏っていた臭いが入り交じっていた。目の前をぐったりと力をなくした子供に声をかけながら走り去る誰かが去っていく。お母さんと泣きながら彷徨う誰かの声がする。横たわった犬に縋り付く誰かがいて、瓦礫の前で打ちひしがれた誰かが泣いている。
地獄だった。ライラが教えてくれた、想像もつかない恐ろしい場所。誰も彼もが泣いていて、喜びも希望も失われた場所。それを教えてくれた人は、きっともういないのだろう。
確信じみた絶望の予感が小さなマリアの身体を満たした時、初めてマリアは泣いた。声を張り上げ、途方に暮れながら、たったひとりその場で泣いたのだった。