第33話:少年王と騎士
すみません。昨夜、誤ってこの34話より早く35話を掲載してしまいました……!
その次の日のこと。
風音は兵士に無理矢理外に出された。処刑されるのかと青ざめた。しかし、風音が連れて来られてのは王室の間という立派な部屋の中だった。
その部屋の中には、執事服をまとった男と数人の侍女、そして兵士が三人立っていた。
中央には、深い藍色のマントに、金の刺繍があしらわれた上等な服を着た王子が立っていた。昨日とは見違えた姿だったが、それはとてもしっくりとした。
「瑳良守様。この暗殺者をお側におくなど、どうかなされていますよ! いくら子供といえど、貴方様のお命を狙った輩!」
そう叫んだ老人は昨日見かけた、執事服の男だった。
「その話はもう終わっただろ、じいや。そろそろおれにも従者が必要だって言ったのはじいやだ。ちょうど良いじゃん」
瑳良守は男を見上げてニコリと笑った。
「しかし、他にも候補者はおりますし」
「王子に剣を向けるなんて肝がすわってんじゃねえか。よーくしつけられた奴より、こういう自分で考えられる野良犬の方が良いと思うぜ」
「それでもしまた牙を向けられたら!」
「おれが殺られるわけねえし」
瑳良守が片目を開いて風音を見つめる。
「とにかく。おれはこいつじゃねえと騎士はつけない。あとヴァイオリンも勉強もダンスもその他もろもろさぼる」
「それはいつもでしょうが! その上こっそり王城を抜け出し村娘などとお戯れになるなんて、言語道断ですっ!」
「はいはいわーったって」
瑳良守はハエをはらうように手をひらひらさせ、ゆっくりとした足取りで風音に近づいてくると、凛とした瞳を向けた。
「……向咲風音」
「なんでオレの名前を」
「父親は向咲開。王宮のためにその力をふるってくれたことは、この城の伝記に……いや、この国の歴史に刻まれている。そんな恩人の息子だもんな、ぜひ仲良くしたいって思うよ」
風音は黙って顔をそむける。
「事情は調べさせてもらったぜ。お前の村がどうなったのかも、知ってる。風音、すまなかった」
瑳良守は、そう言うと頭を下げた。
王子が、平民に、頭を下げたのだ。
「――国はもう手が回らない状態だ。おれたちの力不足で、大切な民を、お前の家族を救えなかった。恨んでくれてかまわない。それでももし、お前がおれと一緒に来てくれると言うのなら……この国の剣となってくれるなら、一緒に影を撃ってほしい。おれを守るためじゃなく、お前の大切な者を奪った奴らを壊すために」
瑳良守はそう言って顔をあげた。
優しいとも悲しいとも形容しがたい微笑を浮かべ、窓から差し込む光にきらきらと黒髪は輝いている。
風音はゆっくりと、差し出された手をとった。
それからというもの。風音は、瑳良守直属の騎士となるための厳しい訓練を受けることになった。
「おい謀反野郎、次はちゃんとかわせよ?」
大人の兵士は容赦なかった。
まだ年端もいかない風音を、肉体的にも精神的にもいたぶった。
風音は瞳をかたくつむった。
また痛い剣が振り下ろされる……そう思った瞬間、兵士の剣が吹き飛んだ。
「てめーらァ、おれの従者になにしてんだ?」
瑳良守だった。今しがた兵士の剣を弾き飛ばした短剣をぐるぐる回しながら、ニヤリと笑う。兵士たちは『ひっ』と怯えた声を漏らす。
「そんなに本気でやりあいたいなら、まずはおれが相手になってやるぜ、暇つぶしに。さあはやく剣拾ってこいよ」
瑳良守は、両手に一本ずつ短剣を握り、ぐるりとまわして飛びかかった。
その鮮やかな剣さばきは、大人すら手も足もでないものだった。
風音は呆気にとられて瑳良守の動きを見つめていた。
「王子! また稽古場で油を売っていたのですか。お勉強をさぼるんじゃありません!」
「瑳良守様、早く茶道のお稽古に戻ってください!」
「王子! 外に口説かれたという娘がごった返しているのですが!?」
最終的にいつも、瑳良守は使用人たちに連れ去られて行った。
さぼりの常習犯だった。しかしそれでも、頭の回転が速いだとか、器用になんでもこなすだとか、「やればできるのに」と使用人たちがぼやいていたのを風音は何度も耳にした。
そして、瑳良守が街におりるのは、娘を口説くためではなく、王子という立場を隠し、民の暮らしや不安に対する声を聞くためだったということは、かなり後になってから分かったことだった。
「……おれ、この国が好きだぜ。今はまだちゃんと戦場に出させてもらえねえけど、王になったら民を守るんだ」
「そうかよ。で」
夜が更けた頃。風音は、自分の寝台の上でくつろぐ瑳良守をにらんだ。
「なんでオレのベッドにいるんだ。もう夜も遅い、はやく自室に戻れ、お前、王子なんだろっ!」
「お、やっとおれが主だと認めたのか?」
瑳良守はニヤニヤしながら頬杖をついた。
「……あ」風音は口を塞ぐ。
瑳良守を王子と呼んだのはこれがはじめてだった。
「けどさ、親しく思ってくれたんなら、もう主従関係なんてどーでもいい」
瑳良守は風音の布団に寝転びながら声をあげた。
「は?」
「王子だって特別扱いされるのは苦手なんだよな、普通で良いんだよ。あときもいし」
「……確かにお前は王子らしくないな」
「へへ、それにお前、影を撃ったらおれのことも倒すんだろ?まあ、百億年無理だろうけどなっ!」
ゲラゲラ笑う瑳良守。
「ぜってー殺す」
苛立つ風音。
瑳良守は結局、風音の寝台を占領して眠ってしまった。
王子らしくない王子だった。
平民の服を着ては城下町におりて、街の民と汚い食堂で飯を食う。
使用人にもフレンドリー、キザできどった態度はとるが、けして自分の力を恣意的に使うことはなかった。
瑳良守の太陽のような笑顔は、みんなをいつも明るく照らしていた。
遠くの場所で療養している母親思いで、戦場をかける父親を尊敬する少年だった。風音が来てからの三年間、王が瑳良守のもとへ帰ってきたのは一度きり。それでも少年は、「王様だから当たり前なんだ」といつも笑っていた。
そして、けして笑わない風音が使用人に気味悪がられても、風音を見放すことはなかった。
風音は、瑳良守を殺したいのかよく分からなかった。
瑳良守の手をとった時から。
死んだ家族のため、その無念をはらすために、ひとまず瑳良守の力を利用しようとは思っていた。
瑳良守に任せておけば、道は開けると思っていた。
他の使用人が、民が思っていたように。
それから数日後のことだった。
国王が死んだ。
戦場で流行り病にかかり、わずか三日で命を失ったらしい。
王位継承権がある瑳良守王子は、わずか十二歳という若さでで戴冠の式を急かされた。子供の王子に政務が務まるわけがない。そういった声もあがり、摂政がつくこととなった。
「……あの王子様なら、きっとみんなを助けてくれるわ」
「王子が国を変えてくれる、はやく王子が正式な王になれば良いのに」
戦の激化と比例するように、民の期待は膨らんでいった。
まだ、前王の喪は明けていなかった。
瑳良守は、ぴたりと城下町に降りるのをやめ、部屋に引きこもりがちになった。
風音はそっと扉を開き、瑳良守の様子を伺った。
少年王は書斎で本を開き、地図をにらんでいた。
「風音か、わりいな、今手が離せない」
必死に何かを書き込みながら、こちらには目もくれず呟いた。
「……少しは休めよ、まだ前王の埋葬も終わってないんだ」
「王は戦で死んだ。影の侵攻はとどまるどころか広がってる。はやくおれが前王の意思を継がなくちゃいけねえんだ」
「本当にお前が、この国を守る盾になるのか」
「そうだ」
「だったら、オレが……僕が、貴方の剣になる」
風音の言葉に瑳良守は動きをとめた。風音は、せき止めていたものが溢れ出すように、ただ、理屈ではない感情に任せて言葉を吐き出していた。
「お前がこの国を守るってなら、僕が敵を斬って貴方を守る。影を全部倒して、家族の仇を撃って、この国の騎士になります」
「てめーがこの国の騎士か、へへ」
瑳良守はクスクス笑い、しだいに大きな笑い声をあげて、にやりとしながら風音を見た。
ひさしぶりの笑顔だった。
「良いだろう、今日からてめーはおれの、この国のナイトだ」
少年王は立ち上がると、壁に仰々しく飾られていた、銀白色の細剣を手に取った。
「向咲風音、受け取れ」
両手のひらの上におとされたそれは、見た目よりずっしりと重かった。
柄や鞘には細部まで彫刻があしらわれ、剣の繋ぎ目には、王家の紋章が記された宝石が埋め込まれていた。
「騎士の証だ。それで戦え」
「承知、いたしました。瑳良守王子」
風音は剣を腰に装着して、跪いた。




