第24話:ありふれた宝物
午後の授業をすませて、放課後。
「……もう、無理」
ゆきなは机にうつ伏せになっていた。
頭が重い。
とにかく重かった。
授業内容が詰まってくれているなら言うことはないが、この倦怠感はたんなる疲労だろう。勉強内容がまったく身についている気がしない。
すると、額にひんやりとしたものが添えられた。
びくりとして顔をあげると、カレブがゆきなを見下ろしていた。
その手には、よく冷えた抹茶ラテ。
「おつかれさま」
そう言ってラテを手渡されたゆきな。それはいつぞやカレブが飲んでいたものと同じラテだ。
「……君も嫌いじゃないでしょ。今日はよく頑張っていたみたいだから」
「ありがとう」
ゆきなははにかんでラテを飲む。
「……あーもう勉強だっるいゲームしたい」
と、なんとなく懐かしい声が聞こえたかと思いきや、ベルシュがやってきていた。
「ゆきな、むかえにきたよー」
「ベルシュ! 今日はこの教室で勉強しない? みんな下校したみたいだし!」
「おーけーおーけー。あれ、カザネは?」
「部活とか言って出て行っちゃったよ」
「それってサッカー部? スポーツ部はテスト期間中、休みのはずなんだけどな~」
「ううん。軽音部だって!」
カザネは軽音部でギターをひいているらしい。ベルシュの会話から推測すると、サッカー部もかけもちしているようだ。
「カレブくんは、生徒会で。ギルとさらたん、ベルシュは何か部活やってないの?」
「俺は果たすべき目的のために自分の時間を使っているんだ、浮かれたことはやらん」
と、ギル。
「おれは……まあ剣のスキルをあげたいしな。空き時間は基本施設で戦闘訓練してる。けどたまに、部活のスケットとか呼ばれるぜ」
サラマルが胸を叩いた。
「オレは帰宅部だな」
と、ベルシュ。
「――カザネはさ、見学に行った部活に入部させられちゃったみたいだよ。部員の押しに負けてな。ほら、カザネって押されると流されちゃうでしょ? ほんとは入るつもりなんてなかったらしいんだけどね~」
人の良いカザネならありえることだった。
「……けど、サッカー部なら試合に出たりで練習忙しいんじゃないの?」
と、ゆきな。
「カザネはスタメンには入らないって押し切ったからな。いちおうあいつも、馬鹿なりに、自分の立場ってやつを理解してるんだよ」
そう言ったサラマルからは表情が消えていた。しかしゆきなの視線に気づくと、にっと笑った。
「だけど、それで赤点なんてとっていたらもともこもないよ。あいつはそろそろ締めるべきだね」
カレブは冷たく言うと、どんと教科書を机に広げた。
「さあ、ゆきな。はじめよっか」
「ひ、ひええ……」
三つの机を円形によせあって、ゆきな、ギル、ベルシュが着席する。
サラマルは教卓の上に座り(行儀が悪いと嗜めると舌を出して聞く耳をもたなかった)
カレブは三つの机から少し離れたところで長い足を組んだ。
「……ゆきなは国語や英語は問題がないから、一番怪しい数学から勉強していこうか。もう一週間しかないから、勉強スケジュールを組んであげるよ。その間に、今日やった演習問題のおさらいだね」
「う、わかった……」
ゆきなは言われた通り問題集にとりかかる。
「ギルはテスト範囲の英単語と英文法を書き出して。分からないものにチェックすること。ベルシュは空間幾何が得意だったよね、ギルに教えられるように一から解きなおして」
二人はうめき声や不満の声をあげながら、しぶしぶ作業にとりかかった。
「んー……」
ゆきなはノートとにらめっこ。いくらうなっても頭をひねらせても、答えは浮かんできやしない。
ふと顔をあげるとすぐそこに、凛々しい顔があって息をのんだ。凛とした漆黒の瞳にのぞきこまれる。
「……ひめ、おしいな。考え方はあってるぜ」
「さらたん……もったいぶってないで教えて欲しいな」
「そう頼まれちゃ仕方ねえな~……いいですかひめ。ここはだな……」
そう言いながらサラマルは、ひょいとゆきなの隣に移動してきた。ラムネのようなすっとする爽やかな香りに、ゆきなは視線をそらす。
「おいサラマル。なにを、ゆきなにひっついているんだ。お前も英語の勉強しろ!」
若草色の瞳を細めたギルがうなるように言った。
「おれはその気になればちゃんと覚えられんだよ、テスト過ぎたら忘れるけどさ」
「胸をはってどうするのだ。俺なら一カ月は忘れんぞ」
ギルがにやりとする。
「オレもなんだか面倒になってきたなあ。帰ってゲームしたい」
ベルシュがぼやく。
「君たち。もう赤点とったら?」
カレブの言う通りだった。
その後、寮に戻ってからも勉強は続いた。
人が混み始める前に食堂で夕飯をすませ、七階の談話室のテーブルの上に教科書を広げる。
ゆきな、ギル、ベルシュが並び、向かい側にカレブ、サラマル、カザネが座った。
「いいかい、ゆきな。ここの化学式はね……」
「カレブくん、もう一回、お願いします」
「いいよ、もう少し噛み砕いて教えるね」
少し身を乗り出すようにするカレブは、今日は黒縁の眼鏡をかけていた。その奥で鋭く光る金色の瞳。襟元からのぞく白い肌と鎖骨、ほのかに漂ってくる薔薇の香りにゆきなはクラクラする感覚を覚えながら頭を横にぶんぶんふった。
「……大丈夫かい? 少し休憩しようか」
「ありがとう」
「れぶっち、僕も分からないからもう一回……」
「何度言えば分かるの。教科書に書いているでしょ」
「ゆーにゃんとの扱い違いすぎるっす!」
カレブはカザネを冷たい目で見ると、椅子に深く腰をかけて本を読みはじめた。
「えいぶんぽうって、腐るほどあるんだな~」
サラマルは教科書を眺めながらあくびをしている。やる気がないらしい。
「――わざわざこんなことしなくてもさ、ハートがあれば伝わると思わねえか?」
「お前と通じ合いたい人間などおらんだろ」
ギルは古典の教科書を手に呟いた。
「――ベルシュ、お前さっきからなにやってるんだ?」
「なにって、化学のべんきょー」
とか言いながら、イヤフォンをしているあたり教科書の影でゲームでもしているのだろう。
この日は十二時前まで勉強をした。
カレブの教え方は上手かった。難しい問題だらけだが、希望が見えたような気がした。
ゆきなは自室に戻り、ベッドに腰をかけた。小窓から見える星空が美しい。とても疲れた一日だった。それでもなんだか清々しくもあった。
……家族はどうしているのだろう。
遠きセカイに思いをはせながら、ゆきなは眠りについた。
次の日からも勉強は続いた。
朝一番の七時起床。サラマルに数学を見てもらう。朝が弱いカレブは八時が過ぎるまで部屋から出てこないのだ。
半目のギルと、ベルシュ、寝癖がひどいカザネも加わって数学を解いたあと、学校に向かう。
朝礼までに英単語を頭につめこみ、授業に挑む。休憩時間は分からないところを教えあって、放課後はまた勉強をして、寮に戻って勉強勉強。
「現地点では、害意の影は観測されていない。無事テストが迎えられそうだよ」カレブが言った。
「もし、テスト期間に襲ってこられたらどうなるの?」ゆきなは尋ねる。
「このセカイが滅ばなければ、テストは延期……もしくは、無くす代わりに問答無用で全員朝まで補習かもしれないね」
害意よ、ぜったい攻めてこないでくれ。
一同は心から願った。
そうして怒涛の如く、一週間が過ぎていった。
テスト本番の時がきた。
果たして出来栄えは……。
「たぶん、大丈夫だと思う……!」
ゆきなの手応えはなかなかだった。
テスト最終日のことだ。
「俺も赤点はまぬがれそうだ。助かったぞ、カレブ。それに、ゆきなもありがとうな。一緒にテスト勉強してくれて」
「こちらこそだよ、ギルもよくがんばったよ!」
ゆきなが頭を撫でようとすると、ギルはスルッと避けた。
「さらたんはー?」
「まあ、やれることはやったって感じだな! みんな、おつかれっ!」
余裕げに笑っているあたり、良い点数がとれそうなのだろう。
「……カレブくんは、大丈夫だった?」
「オレはいつも通りだよ」
カレブは、クラスメイトに見せる完璧な笑顔で言った。
「カザネは……」
後ろの席はもぬけの殻だった。
教室の隅に目を走らすと、隣のクラスから駆けつけてきたベルシュと話していた。
二人はゆきなの視線に気づくと両手をあげて声を大にした。
「テスト終了! 今日で解放っす!」
自由。なんて良い響きなのだろう。
まるで肩の荷が全てとれていったかのように体が軽くなって、ゆきなは楽しくなってきた。
「……今日は部屋でさ、おつかれさまパーティーしない?」
と、ベルシュが指をならす。
「いいっすねそれ! よーしっ、全員寮に集合です!」
カザネが拳をふりあげる。
「……悪いけど、もう疲れたからしばらく一人に」
といったカレブに、サラマルが詰めよる。
「おいカレブ、せっかくなんだからみんなでやろーぜ」
「君たちだけでどうぞ」
カレブは断固として拒否をする。ゆきなもサラマルにならってカレブに詰めよる。
「カレブくん! お礼したいし、カレブくんも参加して欲しい!」
カレブは鋭い瞳をゆきなに向けると、一瞬狼狽えたようにして溜息をついた。
「……お礼なんて良いから、君は体を休めて。パーティーの準備くらい、してあげるから」
「そうと決まれば、晩飯の買い出しだな!」
ギルも久しぶりに楽しそうにしている。
こうして六人は、学園都市のショッピングモールでたくさんの食材を買って、ふざけあいながら寮に戻って、談話室でジュースをあけた。
「おつかれさまー!」と各々、お互いを労う。
「……ほんと、この一ヶ月いろんなことがありましたね~。ゆーにゃんが来て、べるっちょが戻ってきて、テストがあって」
「オレがここに戻ってこれたのはみんなとゆきなのおかげだよ。ゆきながこのセカイに来てくれたから」
ベルシュの声に、一同の視線がゆきなに向けられる。
「……み、見ないで欲しいよ」
「照れんなよひめ、おれたち感謝してるんだぜ」
「感謝……?」
「ゆーにゃんのおかげで、なんかSSJの空気が柔らかくなったんですよ!」
「そうなの……?」
「ああ、さすが紅一点だな」ギルがニヤリと告げる。
「それなら、良いんだけど……」
ゆきなは照れくさくなって、ジュースを一気にあおった。みんなの言葉がとても嬉しかった。
サラマル、ギル、カザネ、カレブ、ベルシュ。そして、マルス学園のみんな。
彼らと出会って、ゆきなの人生は大きく変わった。
ここがもう一つのゆきなのセカイ。
ゆきなの帰る場所。みんなで力を合わせてテスト勉強をして、こうして労いあえることがとても嬉しかった。みんながいるSSJのこの談話室は、きらきらと輝いているようだった。
その時は、まだ誰も知らなかったのだ。
自分たちが何と戦っているのかを。
戦とは何なのかを。
滅びゆくセカイ。
きしむ音はまだ、青い日々の霞の向こうで蠢くだけ。
それは誰にも聞こえない序奏。
これから待ち受ける運命を知っている者がいたのなら、一体どれくらいの者が立ち向かうことができるだろう。残酷な運命に立ち向かえる者はどの程度いるのだろう。
まどろみの中、それでも時はさらさらと流れていた。




