第18話:安息の日
マルス学園寮七階、談話室にて、SSJ一同は対面していた。
そこにはベルシュの姿もあった。ベルシュはもともとSSJの一員であり、この七階に住んでいたそうだ。またこれから一緒に暮らせるようになるのだ。
ベルシュは今、ギルの普段着を借りている。身長の高いギルの服を着ているせいか、萌え袖になっていた。
「あはは、これ彼シャツみたいだよな?」
「彼シャツとはなんだ、旨いのか?」
素で小首を傾げるギルだった。
「それで話ってなんすか、れぶっち。やっぱ害意関連のこと?」
カザネが真剣な面持ちで尋ねかける。カレブは一つ頷いた。
ベルシュ奪還作戦で後回しになっていたが、一週間以内で、害意たちが襲来する予定なのだ。
「その、害意たちの襲撃の話なんだけど――」
カレブが険しい顔をしたまま話を切り出した。
「――無くなったんだ」
「え?」
一同が声を揃えて首を傾げる。
「だから、襲ってくる予定だった害意が……忽然と消えたんだ。おそらくは、時空の歪に隠れたんだと思うんだけど……これでしばらく、奴らは攻めてこないだろう」
「そ、そんなこと今まであったか!?」
困惑顔のギルが声を荒げる。
「――お前やWSの予測が外れるなんて有り得なかったろ……まさか、予測が失敗してたのか?」
「いや、失敗していた訳ではないよ、ギル。なにせ、奴らが消えてしまった理由も分かっているんだから」
何はともあれ。いささか肩透かしを食らった気分だが、安堵感に全身の力が抜けるゆきな。戦が起こらない。その事実に、張り詰めていたものが緩んで、倒れるようソファーに腰を沈めた。
「今回は誰も傷つかずにすむってんだから、良いことじゃねえか。けど害意は消えたわけじゃねえ。またいつ襲ってくるかは分かんねえんだから……ところで、その害意たちが消えちまった理由ってなんなんだよ、カレブ」
サラマルが問いかける。
「理由はね。実は先日、ゆきながこっちのセカイに来た二日目に、WSがもう一人のイレギュラーをこのセカイに、召喚することを決めたんだ」
「まさかそれが原因か?今日その三人目が現れるから、害意たちがこっちのセカイに干渉できなくなった、ってか?」
「さすがだねサラマル。頭は回転寿司なみによく回るね」
「その言い方腹立つぜカレブ」
「もう一度説明すると、今日の午前中にもう一人のイレギュラーが現れる。それによって次元に大きな波動が発生し、その偶然の産物が、たまたま異質物質がこちらへ来襲する妨げとなった。故に今日の戦いは無くなった……ということ」
「つまりそれって……今日はフツーの休日になるってことじゃ!?」
ベルシュが身を乗り出して瞳を輝かせる。
「そういうことだよ。ただしベルシュは他にもやることあるよね。学園の理事や先生たちに今までのことを報告したり、こっちで再び生活するために必要な物をそろえないと」
淡々と告げるカレブに、ベルシュは「げっ」と苦虫を噛み潰したような顔をする。
「やること多すぎじゃない?」
「いや、丁度良いんじゃねえか?今日休みになるんだったらさ、ひめの必需品も買いに行かなきゃなんねーし。ほら、シャロンも言ってたろ。服とかその他もろもろ。皆で近場のショッピングモールにでも行くか?」
「え……良いの?」
ゆきなはパッと顔を輝かせる。
こちらのセカイでどこかに出かけるのは初めてだったからだ。
「……それは名案だね、ただし」
カレブが黒い笑みを浮かべていた。
***
「何故こうなるんだ!」
イライラ絶頂のギルは、カザネと共にワゴン車に揺られていた。
「僕らだけ貧乏クジひくとか――」
カザネは、大きく「ハズレ」と書かれた紙を手にうつむいている。
「――ゆーにゃんと買い物したかったっす」
「何をいつまでもしょぼくれているのよ、集中なさい」
ワゴン車の助手席に座るシャロンが声を荒げた。
「会長、ちゃんと前向いて座らないと危ないよ」
と、運転席の生徒会員・矢崎が困ったような笑顔を浮かべる。シャロンはおかまいなしに拳を振り上げる。
「これから私たちで、三人目のイレギュラーを捕獲しに行くのよ!WSよりも早く捕まえないと!」
「かいちょ、その言い方だと犯罪者臭やばいっすよ……」
「何を言っているのよ向咲。犯罪者まがいなことをしているのはWSよ」
「いや、だがイレギュラーを横取りする俺らも相当な犯罪者だと思うんだが」
「あら。ゆきなというイレギュラーを所有している時点で、今更なにを言っているのかしら、ランデルト。それとも、またベルシュのような目に合う被害者を出して良いというの?」
「そういう訳ではないぞ。ただ、ゆきなを保護した時は、あいつがちょうど学園に召喚されたから良かったものの……今回イレギュラーが召喚される場所は、学園都市外だろ?」
「だから急いでるんじゃないの。WSに先を越される前に、私たちがイレギュラーを見つけるのよ!」
ギルとカザネを乗せたワゴン車は、こうして学園都市外に向かったのだった。
***
「二人には悪いことしちゃったかな……」
ゆきなはベンチに腰掛けながら頭上を見上げた。
現在ゆきなたちは、学園都市内にあるショッピングモールの中にいる。天井はガラスばりで、晴れ渡った空を映している。キラキラと輝く陽光のシャワーを浴びながら、辺りを見渡す。平日のショッピングモールだが、今日はなかなか混みあっていた。臨時休校となった学校の学生たちが遊びに来ているのだろう。
「害意の襲来警報も解除されたわけだし、みんな暇なんでしょ」
隣には、ミルキーハットをかぶったヴァンパイア、カレブが座っていた。その手に握っているのは抹茶シェイク。
「警報が続いてたら、みんな屋内にいなきゃいけないの?」ゆきなは尋ねる。
「そうだね。店も閉店して、一般人は全員、地下シェルターへ避難しなきゃいけない」
「大変なんだね……」
そう返しながら、視線を少し先に向ける。ベルシュがサラマルにクレープを奢らせていた。
「カレブくんは二人に混ざらなくて良いの?」
「どうして混ざる必要があるの」
ヴァンパイアは素っ気なかった。煩わしそうに瞳を細めてさえいるのは、天窓から降り注ぐ日光のせいだろうか。
ゆきなは数日前のことを思い出した。カレブが人間に向けていた偽りの仮面、蔑むような眼差し。しかし、ベルシュを一緒に助け出した時のカレブは、心から友を救い出そうとしていた。こうして一緒にショッピングモールにいることを考えても、SSJという場所が、カレブにとって特別なものであることは想像できる。
「どうしたのゆきな、悩み事かい?」
不意に耳元で声がして、どきりとするゆきな。じっとカレブがこちらを伺っていた。
「……カレブくんって、本当は優しいんだなと思って」
「藪から棒にどうしたの」
「ベルシュのこともそうだし、今だって、私のために買い物に付き合ってくれてるから」
「ベルシュを助けたのは、恩のある人間を死なせるわけにはいかなかったからだよ。それにSSJにとって、ベルシュという存在を欠くのは痛手となるからね。それ以上の理由はないよ」
淡々と告げるカレブだった。
「――ただ。君に関しては見解が変わったよ」
「見解?」
尋ねると、カレブは瞳を鋭くさせて頷いた。
「君は、そこらへんにいる人間とは違うってこと。会って間もない人のために、自らの命を平気で危険に投じる。君という人間は、本当に……馬鹿だなって」
馬鹿。ゆきなは「うう」と唸った。
対してカレブはクスリと笑う。
「人間は下劣で愚かな生き物だよ。ただ数が多いだけ。ただ数が多いという点においてのみ、オレたちヴァンパイアは人間に劣っている。だから現状としてヴァンパイアは、人と共存する他、生き残る術がない。人間の御機嫌取りと言われても否めない」
カレブが、教室で乾いた笑顔を浮かべ続けているのは。
「――正直くだらない話だ。人間は弱いくせに狡猾で小癪で好かない、対等に話す価値すらない。しかし……馬鹿は、嫌いじゃないよ」
嫌いじゃない。カレブは繰り返して、楽しそうに、本当に楽しそうに笑った。
「なにより君は、いじりがいがありそうだしね」
「カレブくんって……もしかして、ドSなの……?」
麗しい微笑を浮かべて小首を傾げるヴァンパイア。確信犯だった。
「ゆきなお待たせ! ゆきなのは、オレとお揃いで良いよな?」
クレープを両手に持ったベルシュと、サラマルが帰ってきた。
「おいカレブ、ひめと何やってたんだ?」
「サラマルの身長がどうすれば伸びるのか考えてあげてたんだ」妖しく笑いながら答えるカレブ。
「は、はぁ!? っざけんなよカレブ、余計なお世話だ! もうクレープやんねえからな!」
「サラマル、怒り方が幼稚」
「んだとてめえ誰がお子様だって!?」
「そうは言ってない」
また言い争いをはじめる二人をニヤニヤ見つめながら、ベルシュが隣のスペースに腰掛けてきた。
「なぁ、ゆきな」
「うん、どうしたの?」
クレープを一つもらいながら、ゆきなは尋ねる。
「ほんとに、ありがとな」
ベルシュは瞳を細めて、静かな声色で言った。唐突な感謝の言葉。それが指し示す意味は語るまでもない。
「こっちこそ、帰って来てくれてありがと、ベルシュ」
ゆきなもニッコリと微笑み返す。
すると、キュッと手が柔らかいものに包まれた。
ベルシュに手を握られたのだ。
目を合わせると、大人びた微笑を浮かべて指を絡ませてきた。
あどけないふりをして、大胆な行動をする紫水晶色の少年。ゆきなはピクリと体を震わせ、視線を反らせた。
「つーか、このクレープうめえな……寮で作ってみっか」
もう機嫌を直したのか、向かい側に立っていたサラマルがチョコのたっぷりかかったクレープを食べていた。
「うん! 楽しみにしてるね……さらたん!」
ゆきなは嬉しそうに声を上げた。
「さらたんってひめ……まあいっか。クレープ食いながら、次の店行くぜ!」




