009
【ヒガンの儀式】には副作用が存在する。
死者との再会を果たし、その縁を断ち切ることにより、儀式を行った人物から呼び出した者の記憶が消えてしまう。つまり《忘却》である。
縁を切って新しい縁を結ぶ。それはつまり、大切な人の記憶を消すということだった。
これが、儀式の内容は知られているのに、結果が知られていない理由である。
*
副作用を受けた蓮の記憶から、凪沙の存在は消えてしまった。
周りに何を言われようと、仏壇を見せられたも、蓮は何も思い出すことはできなかった。自分に、妹がいたことすら知らない状態だ。
「もう梅雨の季節か」
儀式のことも忘れてしまい、自分の腕の傷を見ても何も思い出せなかった。
蓮の中から、完全に儀式に関する記憶と凪沙に関する記憶は、忘却していた。
「蓮、ここにいたの」
縁側で、雨に濡れる紫陽花を見ていると、慌てた様子で母がやってきた。
今日は店も休みだから、なぜ母がそんなに慌てているのかわからなかった。
「なんかあったのか?」
「桜花さんの部屋に急いできなさい」
「桜花に何かあったのか?」
「そんなに心配しなくてもいいわ。いいことだから」
「いいこと?」
母はにっこりと笑みを浮かべると、そのまま優しく蓮を抱きしめた。
何年ぶりに母に抱き締められただろうと、驚く蓮だったが、それ以上に母は衝撃的なことを口にした。
「桜花さんが妊娠したわ」
「え……」
「あなたに、子供ができるの」
それはとても喜ばしいことだった。蓮と桜花の、二人の子供。
「ほ、ホントに……」
「えぇ」
蓮はそのまま急ぎ足で廊下を歩き、桜花の部屋へと足を運んだ。
部屋の中には蓮の父や使用人の他に、桜花の両親の姿もあった。
「蓮さん……」
最近、桜花の体調がすぐれないことは知っていた。だが、それが妊娠によるものとは思ってなかった。
桜花の側により、蓮は彼女の手を握りながら涙を流した。
「ありがとう、桜花……」
「泣かないでください。これからなんですから」
大きくなったお腹には新しい命が宿っている。桜花に触ってもいいか尋ねると、笑顔で「どうぞ」と答えた。
触れたお腹の先にいる新しい命。誰かいるのを感じ取ったのか、奥から何かが響いた。
「わぁ、動いた」
「生きているんですから当然ですよ」
「男と女、どっちだろうな」
「名前、両方考えないといけませんね」
両親や使用人はそのまま部屋を出て生き、残ったのは蓮と桜花だけだった。
「どれがいいだろうな」
部屋の中には、たくさんの名前候補の紙が散らばっていた。
男の子の名前や女の子の名前。分けられることなく、ただただ部屋の中に混ざって置かれていた。
「俺もお前も、花の名前が入ってるから、子供にもつけてやりたいよな」
「まぁ急いで考えることもないと思いますよ。ゆっくり考えましょう」
「そうだな」
不意に、蓮の手に一枚の紙があたった。
その紙に書かれた名前を見た瞬間、頭の中に鈴のような音が響きわたった。
それと同時に、誰かの声も聞こえた。
「蓮さん?」
「え? あぁなんでもない」
蓮が触れた紙。そこに書かれていたのは《凪》という名前だった。