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朱殷の華  作者: 暁紅桜
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11/12

010

梅雨の時期に入り、天気は連日の雨だった。

店に客が来ることはほとんどなく、販売よりも着物の手入れの方が忙しくて大変だ。


「桜花、気分はどうだ」


仕事を一通り終え、お昼を食べ終えたれんは、部屋で休んでいる桜花おうかの部屋へと足を運んだ。


「襖、開けておくぞ」

「ありがとうございます」

「雨続きで嫌になるな」


降り続く雨。だが、庭の紫陽花が鮮やかに咲き、その光景はとても目を奪われるもので、どんよりとした気持ちにはならなかった。


「お店の方はどうですか?」

「この時期はダメだな。客足以上に着物の手入れの方が忙しい」

「すみません。私もお手伝いできればいいんですが」

「気にしなくていいんだよ。お前は体のことを考えろ」

「……はい」


桜花は、どこか複雑そうな表情を浮かべながら返事を返した。

蓮が凪沙なぎさを忘れていることは、すでに身内も知人も知っていた。死のショックで、無意識に記憶から消したのだろうというのが結論だった。だけど、桜花と友人のこうだけがその結論に納得していなかった。


「蓮さん」

「ん?」

「本当に、覚えてないんですか?……凪沙ちゃんのこと」

「……覚えていない。覚えていないが……」


蓮は、再び庭へと目を向けた。

降り続く雨、その雨に濡れる鮮やかな青と紫の紫陽花。


「声が……聴こえるんだ」

「声、ですか?」

「あぁ。誰かが、俺を呼ぶ声」


【雨は、あまり好きじゃないです】

【けど、×××がいつもきてくださるので、悪くないですよね】


それは女の子の声。よく通る、蓮の心を締め付ける声だった。

その声が、ここ最近聴こえる。


「とても、懐かしい声が聴こえ……」


その時、桜花が縋りつくように蓮の腕を掴んだ。


「お、おい。桜花」


体を震わせる桜花は、まるで何かに怯えているようだった。

握っている手に力がこもっていき、蓮は痛みを感じた。だけど、話すように咎めはしなかった。


「どうした。そんなに怯えていたら、お腹の子供にも伝わるぞ」

「蓮さんは、私を愛してくれてますか?」

「あぁ」

「……私は、その声の主が誰なのか、何となくわかります」


桜花の目にはうっすらと涙が浮かんでいる。

その涙をぬぐい、蓮は桜花の頭を優しく撫でた。


「嬉しい事なはずなのに、蓮さんが私から離れてしまうのではないのかと不安になるんです……」


その言葉を聞いて、蓮は思った。自分が忘れた人物は、桜花をこんなにも不安にさせるほどに大切な人だったのかと。


「桜花……」

「やっと……やっと蓮さんが私を見てくれた。でも、とても悲しいんです」

「……桜花は、その人を思い出してほしくないか?」


しばらく、桜花は俯いたまま動かなかった。だけど首を左右に降って、ぎゅっと蓮の腕を掴んだ。


「私にとっても大切な子なんです。だから、こんなにも複雑な感情が芽生えるんです」

「それは……」


【桜花さんを、不安にさせちゃダメですよ】


不意に聞こえた声に顔をあげるが、蓮は大きく目を見開いた。

雨が降り、薄暗くなった縁側に一人の女の子が立っていた。

長い黒髪に、赤い彼岸花が描かれた着物を着た女の子。その子が、蓮を見て笑みを浮かべた。


【桜花さんと一緒に幸せになるために、私とお別れしたんじゃないですか。だったら、愛してあげてください】


覚えがあった。その容姿に、口調、仕草に……この感情に……。


「なっ……」

【けどよかった】


少女はホッとした表情で、でもどこか幸せそうに笑みを浮かべていた。


【また、三人一緒ですね】


蓮は、強く桜花を抱きしめた。

突然のことで彼女は酷く驚いたが、声を押し殺すように泣く。


「蓮、さん……」

「桜花、こんな俺の側にずっと一緒にいてくれてありがとな」


突然そんなことを言われて、桜花はただ困惑するだけだった。蓮は大きくなった桜花のお腹を撫で、にっこりと笑みを桜花に向けた。


「三人で幸せになろうな」

「……はい」


何気ない言葉だった。だけど、桜花にはその言葉に込められた意味を理解した。長く一緒にいるのだ、その言葉の意味ぐらいわかると。だから、桜花は返事を返した。




部屋の中に雨音が鳴り響く。二人は互いに抱きしめあった。その様子を、紫陽花の前で少女は嬉しそうに見つめていた。


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