04 まゆ 著 秋の気配 『夏色ポニーテール』
夏休みが終わるころ越後平野は黄金色の海へと変わる。そのただ中を突っ切る農道で、自分が通っている高校へ向かって自転車のペダルを漕いでいた。うなじをポニーテールの先が叩くのを感じる。日本一の大河である信濃川が作り出した大平原を吹き抜ける風が、火照った頬に心地よかった。
ポケットから伸びるイヤホンからは、リーキスの「夏色ポニーテール」が流れてくる。リーキス は、大学生の兄貴が所属しているバンドだ。もちろん、趣味でやっている。「夏色ポニーテール」はリーキスのオリジナル曲だ。ボーカルの人が作詞・作曲をしていると兄貴が言っていた。ボーカルの人の名は、うる覚えだけど玉木って言ってたかな? 兄貴は、その人をマッキと呼んでいる。わたしは、一回くらい会ったことがあるだけだ。
♪ 夏色に染まった空の下、草原を抜ける風がゆらす
♪ たとえ届かなくても
♪ 君のポニーテールの先
♪ 海原を渡ってきた風におどる
ポップ調の曲が割と気に入っていて、この夏に、しょっちゅう聞いていた。
トラクターに引かれたトレーラーからコンバインを降ろしているおじさんが肩にかけたタオルで汗を拭いながら、わたしに声をかけた。
「美樹ちゃん、スピード違反だぞ!」
わたしは片手を上げ、それに答えると、さらにスピードを上げた。
次の日曜は稲刈りの手伝いだなと思いながら。
稲刈りの日、わたしの仕事は隅刈りだ。隅刈りというのは、コンバインが旋回するとき稲を踏みつけないように、あらかじめ田んぼの四隅の稲を鎌で刈り取っておくことだ。刈り取った稲は畦に置いておかれる。
下は学校のエンジの体操着で、上はTシャツ、それにUVカットの腕カバーをしている。腕カバーは日焼け防止とチクチクする稲のホコリよけに役にたつ。
わたしは、のこぎりの様にギザギザの刃がついた稲刈り鎌を振るって一角当たり一坪ほどの稲を刈り取っていった。たった一坪刈るだけなのに、額に汗が流れ落ちてくる。目に入らないようにタオルで拭いながらの作業だ。
一隅刈り終わり立ち上がると、向こうの隅で兄貴が同じように稲を刈っている姿が見えた。わたしは、次の隅へ移動する。広い水田では、刈り取っている時間より畦を歩く時間の方が長いくらいだ。畦では、アカマンマと呼ばれるタデが真っ赤な細かい花を咲かせていた。タデ喰う虫も好き好き(すきずき)ということわざがあるように、かじると苦みがあるのだそうだ。
晴天の空は高く、心地よい風が通り過ぎていく。ポニーテールにしていると、この風がうなじをとおり涼しいのだ。夏は髪を少し伸ばして結んでおくのが、わたしのお気に入りだ。
二時間ほどで四枚の田んぼの隅刈りを終わらせて、わたしと兄貴は畦に腰掛けて休憩をとることにした。
あとは、お父さんとお祖父さんがコンバインで刈り取るのを見物しているだけで良い。
他愛のないお喋りをしながら時間を過ごす。
遠い山の麓までハッキリ見える。
「美樹が手伝ってくれるとは思わなかったな」と兄貴が言った。
「ええっ、わたしもちゃんと手伝っていたじゃない! お茶の用意をしたり」
「そうだったっけ」
「去年までは、中学生だったから、鎌を持たせてもらえなかっただけだよ」
「そうだな。美樹も高校生になったんだもんな」
「自分だけ、大人ぶるな! 大学生でもすねかじりでしょ」
「うわっ、怖い、恐ろしい!」
わたしは兄貴を殴る。
「ぐわーっ、美樹のネコパンチは強力だな」
これ以上、汗をかくのは嫌だ。
わたしはそっぽを向いて、ポケットからイヤホンを出して耳につけた。
「怒ったか? ごめんよぉ」
兄貴は、片方のイヤホンを取った。
「何するの」
と振り向くと、兄貴は白い歯を見せて笑いながら「何聞いているのかなと思って」と自分の耳にイヤホンを差し込んだ。
「あれ、これ、俺のバンドじゃん」
そう言うと、目を閉じて真剣な顔つきになった。
兄貴の表情の変化に興味を持って観察していると、だんだん顔が上を向いていき、天を仰ぐように真上を向いて固まったようだ。
自分の音楽に聴き入っているのかな。と、可笑しくなって笑い出しそうになった。兄貴にそんなナルシストなところがあったとは意外だった。バンドでも目立たずにベースを奏でているような兄貴だった。
お昼のおにぎりを頬張るころには、もう元にもどった兄貴は、わたしとふざけあって笑っていた。お祖父ちゃんのラジオから「今日の気温は三十度近くまで上がり夏のような暑さになるでしょう」とニュースが流れていた。
「露がよく乾いて、はかいくのう(はかどる)」とお祖父ちゃんが顔をしわくちゃにして笑った。
お昼が終わり、お祖父ちゃんがコンバインを運転して稲をどんどん刈っていく。コンバインのグレンタンクが籾でいっぱいになると、お父さんが運転する軽トラックに積んだコンテナに送られる。そしてトラックで家にある乾燥機へ運び込む。それを繰り返し、乾燥機がいっぱいになるまで稲刈りは続けられる。
そんな作業を見ているのは、すぐに飽きてしまった。わたしと兄貴は顔を見合わせて暇だねと言った。大学生の兄貴は九月いっぱい夏休みなのでほんとうに暇だと思う。
兄貴とわたしは、転作田で花が終わり一斉にうつむいているひまわり畑で、ごめんなさいごっこをしたり、ススキの穂でフクロウ人形を作ったりして遊んだ。
兄貴がわたしを見つめたまま突然に動かなくなり、「どうしたの?」と聞くと、「いや、なんでもない」とまた動き出した。一瞬、時間が止まったみたいだ。
☆
三時頃になると日が黄色味を帯びてきて、夏のようだった熱気も涼しい風に飛ばされるように消えていく。稲の刈り取りも進み、黄金色だった田んぼも、藁を被った刈り株だけの風景に変わっていた。
コンバインが最後の籾をコンテナにはき出し終わった。やっと出番が来たので、張り切って、隅刈りした稲をコンバインにかませる。わたしと兄貴が稲を渡し、それをお祖父ちゃんが次々にコンバインに食わせていく。籾はコンバインに内蔵されたグレンタンクに貯まり、ワラはバラバラに切断され後ろからはき出されるのだ。
やがて、太陽は夕日の色になり、西の空は夕焼け色に染まり、東の空にわずかに浮かんでいる雲が紫がかったグレイとオレンジがかった白のコントラスト変わっていく。空に浮かぶ赤とんぼも黒いシルエットになっていった。
最後の稲を脱穀し終わって作業は終了となった。
お祖父ちゃんのコンバインの後ろについて、わたしと兄貴は並んで歩いた。
わたしは、イヤホンを耳に当てた。
流れた曲は、ちょうど「夏色ポニーテール」だった。
兄貴が、またイヤホンの片方を取って自分の耳に当てた。
「実はさ……この曲を作ったマッキってヤツさ……美樹も会ったことあったよな」
「ああ、そうだね」
あれは夏休みに入るちょっと前だった。梅雨の合間のよく晴れた日曜日だった。彼は兄貴といっしょに居て、わたしたちは紹介しあった。見かけは普通の人っぽくて印象が薄いけど、兄貴から彼のすごさについては聞かされていた。頭も良いけど音楽の才能もあって、バンドのオリジナル曲をほとんど自分で作っていた。それをインターネットの画像投稿サイトなどにアップしたりして、わたしも何曲か聞いていた。そんなに個性的だとは思わなかったけど、その分、聞きやすい曲だった。「夏色ポニーテール」もその中の一曲だ。
「マッキ、死んじゃったんだ」
冷たい手でうなじを捕まれたような気がした。
「どういうこと?」
「亡くなったってことだよ。お前と会ってすぐくらい。夏休みの始まる前くらいだよ」
「亡くなったって、なぜ? 事故?」
「いいや、心不全だったらしい。突然死」
「そんな、信じられない」
そのとき、彼の記憶がよみがえってきた。
そうだ、彼はわたしに髪をうしろで束ねてみてと言った。
髪をボブにしていたわたしは、手を後ろに回し髪をあげてみた。
「似合うよ。ポニーテール。今度、曲のプロモーション動画を撮りたいんだ。興味があったら出てみない?」と彼はわたしに笑いかけた。
わたしは急に恥ずかしくなって、髪から手を離しそっぽを向いた。
そのまま、彼から離れて家の中に引っ込んでしまった。
そして、わたしはポニーテールを結んで少しだけ熱い一夏を過ごしたのだ。
兄貴の声が震えていた。
「それでな、急なことだし、親しい人だけでひっそりと葬式をした。ヤツは一人っ子だったし、ご両親もショックだったのだろう。インターネットに投稿した曲も全部削除されてしまっている」
わたしは、あの日にデータを携帯オーディオに入れてもらったので、それ以来、投稿サイトでは聞いていなかったのだ。
「お兄ちゃん、ショックだった?」
「そりゃ、今でも信じられないくらいショックだよ。でも、四十九日も過ぎたし、美樹にだけ伝えておいた方が良いかなって思ってさ」
兄貴は兄貴で、一人でずっとそのことを胸にしまって夏の間、耐えていたんだ。
「ほんとう、信じられないね……曲も書けるし……一番才能あったのにね……そうだ、バンド、どうするの?」
「バンドは続けていくけど……もう、あいつの曲は演奏しないと思う。ご両親の意志でもあるしね」
兄貴は遠くを見つめているような横顔だった。空は群青色とオレンジ色のグラデーションにかわり、あたりはコオロギの音に包まれ始めた。
わたしたちは立ち止まっていた。
夕闇がそこまで迫っていた。
兄貴の横顔がシルエットになり残照へ浮かぶ。
低い声でつぶやくように歌い出した。
♪ 消した携帯番号と消えない記憶
♪ 夕暮れのあとに夜があり朝がくる
♪ そして、また歩き出す
♪ ちょっと軽くなった携帯を手にして
リーキスの曲だ。
わたしも続けて歌いながら、ポニーテールを縛っていたゴムをはずた。ばらけた髪が首筋に落ちてくる。そして、わたしは、ゴムを指に引っかけ残照の空にとばした。
《おしまい》




