38.円環の果て
最終回です。卒業式の模様。
「卒業おめでとう」
真っ白に浮かび上がる辛夷の花を背に、紺色のブレザーが点々と散らばっている。
暖かい昼下がり、降り注ぐ日の光は穏やかで、キラキラと立ち並ぶ窓ガラスに反射する。
講堂から出てくる生徒達は、皆一様に晴れやかな表情をしていた。
胸元に小さな花をつけた集団。
その手には細長い筒を持って。
いつになっても変わらない、この時期恒例の景色だ。
懐かしくて、少し切ない情景。
甘酸っぱい気持ちが、引き金となって胸内に広がる。
其の目に涙を浮かべた在校生も、エールを送りあう卒業生も、そこかしこに溢れているのは、新しい季節に向けた期待と生命の息吹。
桜が咲くのはもう少し先。枝の蕾は、冷たい夜露に花開くその時をじっと待っている。
じわりと流れ出る人垣の中に、その姿を認めた。
こちらに気が付いて足早にやってくる。
「卒業おめでとう」
声を掛けると、
「ありがと」
少し誇らしげに微笑み返された。
高校を卒業して大学に入る。まだ学生を続けることに変わりはないが、開いていた距離がほんの少しだけ縮まった気がしていた。
『焦る必要なんてないのよ』
常日頃からそう口にしていたが、全く気にならない訳ではなかっただろう。お互いの間に横たわる年の差は歴然としており、どうあがいても仕方のないことだと頭では理解していても、気持ちの面で付いていけない時もある。
そんな心の葛藤を十分理解した上で、温かい眼差しで見守っていた積りだった。
「着物、着てきてくれたんだ」
この日の為に事前に計画有給を取っていた。
それは敢えて口にすることではなくて。
都合で出席できないというその子の両親に代わってというのは、どう見ても方便だ。
見え透いた言葉に乗せられたという気がしないでもないが、そのことには目を瞑ることにした。
「久々に着たから、少し手間取っちゃったけどね」
随分前に冗談半分で口にされたことでもちゃんと覚えていた。
「よく似合ってるよ」
「そう?」
「マジで。いっそのこと押し倒したい位には」
「もう……、何言ってるのよ」
いつもと変わらない優しい笑顔で、呆れながらも少し嬉しそうに目を細めた。
沙由流が着ている着物は、黒を基調とした地色に桜が散りばめられていた。
一見、落ち着いているのに華やかさのある季節にぴったりの装いだ。
襟元に覗く薄紅色の花の刺繍が、若々しさと同時に独特な色気を醸し出していた。
「沙由流さん、カメラ貸して」
その言葉に沙由流は思い出したように、浬の制服のブレザーに目をやった。
今でも【ボタンを下さい】という行事はどうやら健在のようだった。
先日、ラジオ番組の中で耳にした出来事が頭の隅をチラついた。
浬は沙由流の見つめる先に気が付くと、得意げに胸を反らした。
「制服は何ともないよ。ボタンもみんな無事。死守したから」
晴れやかに白い歯を覗かせる。
「それは……御苦労さま」
きっと陰では多くの女子生徒を泣かせたに違いない。
すぐさま浮かんだ想像図に苦笑を洩らした。
「当たり前じゃん」
最後に制服姿で写真を撮りたい。
そんなリクエストをしたことを浬の方も忘れずにいた。
「約束だからね」
その言葉にありがとうと微笑んで、ふと別のことが頭を過った。
「キミ、こんな所でゆっくりしていていいの? この日が最後だからって、色々と忙しいんじゃないの?」
この日を最後に浬はここの学び屋を巣立つ。アプローチをするにも、何をするにも、ここの子たちにとっては今日が最後なのだ。告白ラッシュに記念撮影の申し出。今日を逃したら街でばったりという確率はゼロに近い。恋する乙女たちのパワーと若さは、はっきり言って強烈で眩しい位だ。
沙由流がそのことを仄めかせば、浬は明らかにムッとした顔をした。
「変なこと言うなよ。俺はもう関係ねぇし」
それから周囲をざっと見渡して、後方に固まっていた友人の一人を呼んだ。
同じように胸元に花を付けた生徒にカメラを渡すと浬は沙由流の隣に立った。
「沙由流さん」
「ん?」
「今までありがと」
浬は急に真面目な顔つきをした。
「どうしたのよ、急に」
「いいから。そう言いたい気分なんだ」
可笑しそうにちらりと横を見上げた沙由流に浬は優しく微笑んだ。
数メートル先では、友人がデジタルカメラを構えている。
「はーい、じゃぁ撮りますよ?」
のんびりとした掛け声が聞こえる。
「それから、これからも宜しく」
「こちらこそ」
お互いに目を見交わして小さな笑いを零す。
微笑み返した隙に、言霊契約のサインとばかりに、浬が掠めるだけのキスを贈った。
これまで拙い作品を読んでくださってありがとうございました。
思いきり個人的趣味全開で書いたものです。思いつきで浮かんだエピソードを勢いのままに書いたので、中途半端な感じが多々あります。消化不良な感も残りますが、一応、ここで連載を終了します。
長々とお付き合い、ありがとうございました。