1. 始まりの血脈
シュテルン帝国。
大陸の大半を領土とし、数百年にわたって繁栄を続ける世界最大の帝国。
その広大な国土を統べるのは、皇帝ではない。
かつて帝国を治めていた皇帝が姿を消して以来、帝国の頂点に君臨するのは、四つの公爵家だった。
北のランチェスター。
南のルフェーヴル。
西のベルドレイン。
東のオブリエンヌ。
それぞれが異なる特級魔力を継承し、広大な領地と強大な軍事力を有する四大公爵家。
彼らは帝国の支配者であると同時に、人々の知らないところで世界の均衡を守る者たちでもあった。
四家の均衡によって成り立つ帝国において、その血統は何よりも尊ばれる。
ゆえに、各公爵家の後継者は慎重に選ばれなければならないが、子供を1人しか持たないことから最初から後継者は決まっているものである。
――少なくとも、これまではそうだった。
ランチェスター公爵邸。
北方の広大な領地を治める、四大公爵家の一つ。
その本邸は、雪に覆われた山々を背に、白銀の壁と深い青の屋根を持つ壮麗な城館だった。
朝の光が差し込む一室で、ロウィナ・ランチェスターは鏡の前に座っていた。
侍女が彼女の髪を整え、最後に首元へ手を伸ばす。
そこには、細工の美しい魔導具があった。
銀を基調とした繊細な装飾に、一粒の宝石。
一見すれば、上品な首飾りにしか見えない。
けれど、それがただの装飾品ではないことを、ロウィナ自身が誰よりもよく知っていた。
「お嬢様、苦しくはございませんか?」
「大丈夫よ。いつも通りだわ」
ロウィナは鏡越しに微笑んだ。
生まれたときから、彼女の身体には膨大な魔力が宿っていた。
それは祝福と呼ぶには、あまりにも厄介なものだった。
魔力が多すぎる。
身体が受け止められる許容量を超えた魔力は、絶えず彼女の内側で渦巻いている。
何もしていなくても、魔力は蓄積する。
抑制しなければ身体を蝕み、ひとたび制御を失えば、周囲を巻き込むほどの暴走を引き起こしかねない。
先天性の魔力過多症。
ランチェスター家の長い歴史においても、前例のない症例だった。
父レナードは、幼いロウィナのために特別な魔導具を作らせた。
以来、彼女はそれを肌身離さず身につけている。
「今日もエルバート様がお待ちですよ」
「また?」
「はい。先ほどからお部屋の前で」
ロウィナは小さく笑った。
「相変わらずね」
「お二人は本当に仲がよろしいですね」
「昔から一緒だもの」
そう言って立ち上がる。
鏡に映った自分の姿を一度だけ確かめ、ロウィナは扉へと向かった。
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「遅い」
扉を開けた途端、聞き慣れた声がした。
壁際に寄りかかっていたエルバートが、こちらを見る。
「おはよう、エルバート」
「もう朝食の時間だ」
「知っているわ」
「知っていて遅れたのか」
「髪を整えていたのよ。あなたと違って、私は準備に時間がかかるの」
エルバートは一瞬だけロウィナの髪に目を向けた。
「似合っている」
「……そういうことを言うなら、最初からそう言えばいいのに」
「聞かれなかったからな」
相変わらず、口数の少ない人だ。
ロウィナは呆れたように笑い、彼の隣に並んだ。
二人が歩き始めると、廊下に控えていた使用人たちが一斉に頭を下げる。
ランチェスター公爵家の双子。
異例の一卵性双生児として生まれた二人は、幼い頃から常に比較されてきた。
そして、その比較には必ず魔力の話がついて回る。
二人とも規格外の魔力量を持って生まれた。
本来ならば、一人に受け継がれるはずの強大な魔力が、二人生まれたことで半分になったのではないか。
そう考えた者もいた。
しかし、現実は違った。
二人とも、歴代のランチェスター家の人間に引けを取らない魔力を持っていたのだ。
ただし、その性質は大きく異なっていた。
エルバートは、膨大な魔力を自在に操ることができる。
一方のロウィナは、最大魔力量こそエルバートを上回るものの、その力を完全に制御することが難しい。
安定を取るなら、エルバート。
けれど、最大の力を求めるなら、ロウィナ。
どちらが次期当主にふさわしいのか。
その答えは、未だ出ていない。
「そういえば」
エルバートが口を開いた。
「父上がお呼びだ」
「お父様が?」
「ああ。食事の後、執務室へ来るようにと」
「二人とも?」
「そう聞いている」
ロウィナは首元の魔導具にそっと触れた。
父が二人を同時に呼び出すことは、そう珍しいことではない。
それでも、今日は少しだけ気になった。
「何の用かしら」
「さあな」
「あなた、本当に何も聞いていないの?」
「聞いていない」
「そう」
短いやり取りを交わしながら、二人は食堂へと向かった。
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朝食の席には、すでに父と母の姿があった。
「おはようございます、お父様、お母様」
「おはよう、二人とも」
母ルミエが柔らかく微笑む。
その隣で、レナードは新聞から顔を上げた。
「揃ったな。座りなさい」
二人が席につくと、食事が運ばれてくる。
しばらくは他愛のない話が続いた。
北方の領地での出来事、南方の公爵家からの訪問予定。
四大公爵家の一つである以上、日々の食卓にさえ帝国の情勢が入り込んでくる。
「そういえば、来月は四公会議があるのでしょう?」
ロウィナが尋ねる。
「ああ。各家の当主が集まる予定だ」
「公子たちもいらっしゃるのかしら」
「家によるだろうな」
同世代の公子たちと顔を合わせる機会は決して多くはないが、同じ公爵家の後継者同士割と仲は良いほうである。
「ロウィナ」
父の声に、彼女は顔を上げた。
「食事の後、執務室へ来なさい。お前たち二人に話がある」
「承知しました」
レナードはそれ以上何も言わなかった。
ただ、その視線が一瞬だけロウィナの首元に向けられたことに、彼女は気づいていた。
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食事を終えた二人は、父の執務室へ向かった。
重厚な扉の向こうには、帝国の地図と、古いランチェスター家の紋章が飾られている。
レナードは机の前に立ち、二人を迎えた。
「座りなさい」
促されるまま、二人は向かい合うように腰を下ろす。
「お前たちも、もう十分に成長した」
父は静かに切り出した。
「そろそろ、ランチェスター家の後継者について本格的に考える時期だ」
ロウィナは表情を変えなかった。
いずれ来る話だと思っていた。
「これまで何度も話してきたが、改めて伝えておく。次期当主は、魔力量だけで決めるものではない」
「はい」
「魔力の制御、判断力、一族を背負う覚悟。それらを総合して決める」
レナードの視線が、二人の間を行き来する。
「お前たちは、どちらもランチェスターの後継者となるに足る力を持っている」
その言葉に、エルバートは何も反応しなかった。
ロウィナもまた、静かに父の話を聞いていた。
「近いうちに、魔導具の召喚の儀式を行う」
その言葉に、ロウィナの視線がわずかに動いた。
四大公爵家に代々伝わる、特別な魔導具。
使い手を選び、選ばれた者にのみその真価を示すという。
「二人とも、準備をしておくように」
「承知しました」
答えたのはエルバートだった。
ロウィナも続いて頷く。
レナードは二人を見つめ、静かに言った。
「どちらが後継者になったとしても、私にとっては大切な子供だ。忘れるな」
その言葉に、ロウィナは微笑んだ。
「分かっています、お父様」
隣を見ると、エルバートも小さく頷いていた。
二人の未来は、まだ決まっていない。
そして、このときのロウィナはまだ知らなかった。
自分がその未来を、自らの手で選ぶことになる日が来ることを。
それが、誰かを守るための選択になることも。
そして、その選択を最も望まない人物が、すぐ隣にいることも。
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