第79話「強い信頼」
二番打者小林が打席に立つ。しかし、ピッチャーの木庭来彦は、依然として強気のピッチングを貫く。負けている側のチームとは思えない、攻めのピッチングだった。
「ストライク! バッターアウト!!」
審判の叫び声。小林は三振に倒れる。
悔しい顔をして打席を去る小林に声をかける田中。
「一点勝ってる。だからそんな思いつめた顔をするんじゃねえよ」
田中は殊勝に笑って見せたが、小林の顔色は良くない。
(一回くらい安打打ちたかったよ……俺だって)
そんな田中を見つめる木庭。
(この人には二つの安打を浴びてる。おそらく今回も警戒が必要だよな……)
法寺のリードに従って投げるだけの木庭。もちろんそこには、誰にも負けない熱意がある。しかし、それ以上に、法寺に対する、強い信頼があったことは、言うまでもない。
(どまんなか、ムービング! お前の最高のピッチを……!)
法寺の要求。木庭は頷いてその軟肩を振るう。右手からリリースされたボールは、まっすぐ伸びていくが、打者の手元で外側にブレる。バットを振りぬいた田中。感覚は鈍い。
(く、クセ球ッ!)
「レフト!」
キャッチャーの声と同時に、打球を見ながら落下点に合わせていく簔口。しっかりと打球を掴んだ。
「よっしゃあ!」
「ナイス簔口さぁん!」
喜ぶ簔口と、ピッチャーマウンドから声をかける木庭。早くも2アウトとなる。
クロ高ベンチはなんとしてでも突き放したい。ここで打席に立つのは、四番大滝だ。
「わりぃな……ランナー溜めてやりたかったんだけど……」
「大丈夫です……」
田中の声に大滝も応え、打席に立つ。
「お願いします……」
木庭来彦は、いかなる場面であっても、自身のピッチングを貫く。たとえ相手が強打者であっても……。
「ふん!」
渾身のストレート。高めに入ってストライク。
(7回を投げてもいまだ尚衰えないピッチング……時代が時代なら結構すごいピッチャーなはずなんだ……)
同学年の藤は、サードからその様子を見守る。
(……お前は、スワ高を、暗黒世代を背負うピッチャーなんだ!)
木庭のスライダーを詰まらせ、ファウルグラウンドにポテンと打球が落ちる。早くも追い込まれる大滝。藤らスワ高内野陣は、詰まらせていた息を大きく吐く。
「っしゃあ! 追い込んだ! 内野も集中! 2アウトだぞ!」
法寺の声かけに、木庭も頷く。
(決め球なんて大層なものはないけど……俺は、法寺さんに従うのみ!)
三球目のスプリット。一見するとストライクゾーンに入ったストレート。大滝は目に見える物に素直に反応した――しかし、
「ストライク! バッターアウト!!」
審判の大声。歯を食いしばる大滝。三振だった。
7回表が終わる。観客は木庭のピッチングに沸く。こちらは、クロ高ベンチ。
「7回……最後まで守り抜く……よな?」
キャプテン今宮の言葉に、全員がその通りと言わんばかりにうなずく。
「新田は今日調子いい。法寺と阪本以外からは大したヒット浴びてねえしな」
田中も続けた。言われた新田もさわやかに笑って見せた。
「大丈夫。こっからはもう、完封する」
新田の宣言。ここまで心強いと感じたことはなかった古堂。
(これが……エースか)
宣言通り、8番敷島、9番木庭、そして1番山中を凡退にし、7回裏を終える。
「す、すごい……秋になって新田が大きく成長しているぞ……」
「この前までは……失点する度に調子崩していたのに……」
もう昔の……顕著に打たれ弱かったころの彼はいない。新田にも、エースとしての自覚が芽生え始めていた。
(負けるかよ……)
エースとしての自覚が芽生え始めていたのは、新田だけではない。それは相手チームの木庭にも同じく言えることだった。
(もう……点はやらん!)
気迫あふれるピッチングで、山口、伊奈、金条と、クロ高の中でも安打力のある三人を凡退にしてみせた木庭。8回表をすぐ終えてしまうクロ高も、焦りを隠せない。
「……どうにしかして追加点は欲しいよな」
ベンチでも芝らが黙り込む。しかし、古堂は動じない。
「……その前に守備がありますから。この回、絶対に法寺さんが回ってくるんです。警戒しないと……」
古堂の言葉の通り、法寺に備えている新田。
(何とかして飯島、阪本を少ない球数で捌きたい。でも……ランナーを貯めるのは厳禁)
新田は大きく息を吐いてマウンドに立った。
8回裏、先頭打者の飯島が打席に立つ。
(ハヅに回る……たぶんこれがあいつの最後の打席になるから……絶対に打たないと……)
初球、新田のカーブに対しバントの構えを取る飯島。
(セーフティ!?)
金条が身構えるが、バットにボールは当たらない。
「ストライク!」
審判が右手を上げる。
(なるほど……)
チャージに走ったところを引き返す大滝と伊奈。2人とも、額にかいた汗をゆっくりと拭う。
(最後の打席で完全に封じられちまった。もう守備でしか爪痕残せねえんだよ!)
伊奈はそう言ってしっかりと腰を落として構える。大滝も同様だ。
(あそこで三振してしまってからどことなくチームの雰囲気的に押され始めてる。なんとしてでも……)
ところが、新田が投げた二球目。大きく空振りした飯島。チャージに走っていた2人共、黙り込む。
(打つ手無くなったか――?)
三球目、そんな意気込む2人を黙らせるかのように、新田のストレートが、金条のミットを鳴らした。インローにずばっと切り込むストレートだった。
「139km/h直球!!」
「新田が止まらない!!」
飯島は悔しそうに打席を去る。バットに掠ることすらなかった新田の投球に、痺れていた。
ベンチで古堂も息を呑む。
(あのストレートを……変化球を使いこなしつつ投げるなんて……やっぱり新田さんは、俺が目指すべき投手なんだ……)
スワ高のバッターは阪本理糸だ。打席に立つ前に、法寺に声をかけられる。
「任せていいか、理糸」
「任せてくれよ、覇月」
それだけ言葉を交わして、阪本は打席に立った。
(お前が教えてくれたこと、全部使って打ってやる)
『スイングに力が入りすぎだ――もっと肩の力を抜くんだ』
『後ろ重心で打て。前重心だとバットがぶれる』
『ポイントが後ろすぎる。お前はもっと引っ張るくらいの気概でいけよ』
阪本が諏訪涼成高校に入学してから、法寺に教えてもらったことは計り知れない。だからこそ、彼もここまでの三番バッターに成長できたのだ。
(俺は……ハヅ、お前を信頼しているぜ)
阪本は新田の初球のスライダーを打ち返した。まっすぐ飛ぶ打球が、二遊間を越える。
「ヒット!」
スワ高ベンチの叫び声と共に外野の芝に落ちる打球。拾い上げる山口だったが、すでに阪本は一塁ベースに到着している。
「よっしゃあ!!」
叫ぶ阪本。法寺はにっこり笑ってヘルメットをかぶった。
(お前を信頼して、よかったよ)
息を詰まらせるクロ高。ここで一発が出ればきっと逆転される。
「……新田、大丈夫か」
今宮の言葉。新田の背中からは闘志がうかがえる。
「大丈夫だ」
新田は目の前のキャッチャーに笑って見せた。
「わかりました。敬遠はしません。すぱっと決めて、勝利の流れももらっていきましょう」
金条は自信満々に答えた。
打席に立つ法寺。観客は一際沸く。観客は見たいのだ。弱小で、人数の少ない公立高校が、一人のスター選手の加入によって選抜行きを決める瞬間を。しかし、そんな理由で勝利を譲る気など毛頭ないクロ高。しかし、それ以上に、目の前のバッターから逃げる選択肢も、まるでなかった。
(勝ちにいく!)
初球の外に逃げるスライダーを空振りさせる新田。
(絶対負けない)
二球目に放ったカーブは、バットに当たる。頭を上げる新田。三塁線を切れてファウルとなる。
(絶対に……)
三球目のストレートはボール。さすがに振ってこない法寺。
(勝つ!)
四球目は、ギリギリのところでカットする。金条も息を詰まらせた。
(俺がエースだッ!!)
新田の放った渾身のスライダーは、バットを振る法寺の手元からどんどん離れていく。それでも、振ってしまった以上は当てるしかない法寺は、意地を見せた。
「ふん!」
バットを強く振りぬいた。曲がっていくボールが、曲がり切って当たらなくなる前に、前のポイントで強引にバットをボールに当てたのだ。
「走れリートッ!」
山中が声を上げた。走り出す阪本。前に転がる打球。ピッチャー新田の右側を通過。グラブを伸ばした手は届かない。
(くっ……)
セカンド今宮は、跳ねる打球を冷静に受け止めた。
(はっ!)
ランナー阪本よりも早くベースに入ったショート田中。今宮の送球を受け取る。
(っし!)
「アウト!」
二塁審の声と同時に、ファーストに送球する田中。伊奈は体を伸ばし切ってボールをミットに収める。
「入ったぁ!」
法寺の足は、あと一歩のところで届かなかった。
「アウトぉ!」
審判の声。4番法寺の打席は、ダブルプレーで終わった。




