第66話「肩」
夏の甲子園県予選決勝――その会場もここだった。ただ一つ違うのは、そのとき戦っているメンバー。黄金世代の三年生がいた。当時の黒鉄大哉は、抑え――黄金世代の先発、中継ぎを経ての6回からの抑え登板。黒鉄の試合内容は、6回から8回までを投げ無失点4被安打6奪三振と、抑えとしては完璧な成績だったが、結果は4-3で惜敗。鉄日高校は、甲子園出場を逃したのだ。
当時の鉄日高校は、県内で最も実力者を揃えた高校――いわゆる優勝候補校であり、地元の期待も厚かった。しかし、その年の夏だけ甲子園出場を逃し、さらに自分たちの代わりに出場した黒光高校は、甲子園一回戦、徳島県の強豪、明徳高校に敗れ姿を消した。県内の高校野球のレベルの低下が騒がれたのも最近の話であった。
黒鉄大哉は、そこからさらに鍛え続けた。すでに持っていた高速スライダー、高速シュートに加え、下方向に曲がっていく変化球、そして、球速差を生み出す変化球の二つを……。
(まだ黒鉄さんの全力を見せてないのに!)
キャッチャー迫田は、上空に飛び上がる打球を見て腰を上げた。大滝真司が初球から黒鉄の低めのストレートを打ち返したのだ。
(……おいおい、まだ、サークルチェンジも、縦スライダーも、一切使ってないのに……)
黒鉄が振り返った先、センター四方とレフト泉中の間――打球は深めに守っていた四方が打球を拾うが、大滝はすでに一塁を回っている。三塁ランナーの田中はホームへ。そして一塁ランナー山口も三塁を蹴った。
「大滝打ったぁ!」
ベンチの今宮が叫んだ。ブルペンの古堂と鷹戸の二人も、思わずガッツポーズをとる。
(うしっ……もう一回投げられる)
鷹戸も嬉しそうにしている。
四方のレーザービームも間に合わず、山口もホームベースへと生還する。2点が入った大滝のタイムリーツーベース。9回のこの土壇場で、3-3と追いついたクロ高。
「だあ……畜生!」
センター四方は悔しそうに外野で叫ぶ。
「四方さーん! 落ち着いてー!」とレフト泉中。
「四方さーん! 俺らが取り返してやりますから」とライト木口。
(こいつら……一年のくせに据わってやがるな)
四方はにやりと笑う。
追撃に燃えるクロ高側スタンド。次、ヒットが出ればサヨナラの可能性が生まれる。
黒鉄は一瞬で切り替えた。次の打者は、伊奈聖也。さきほどタイムリーを打っていることから、黒鉄の表情にもピリッと緊張感が走っているのは、全員がわかった。
「……ははっ」
伊奈は思わず笑ってしまう。
「……(こいつ、黒鉄さんの前で余裕ぶっこきやがって……)」
迫田は心底気に食わないと言った様子で、初球高速シュートを求める。黒鉄はサイン通り外入り込んでくる高速シュートを投げ、伊奈から1ストライクを取る。二球目――サークルチェンジを空振りさせ、追い込んだ後、三球目に縦スライダーを投げ、伊奈を三球三振で仕留めた黒鉄。
「相変わらず黒鉄のピッチングキテるな……」
「……前半の直球主体から変えてきたな。……後半の変化球主体、対応も難しくなってくるよな」
田中と今宮はベンチで苦笑いしている。
「……一人で2人分の投手の力を発揮できる。これが黒鉄大哉の真価だよ……」
まったく敵わないな、といった様子で、新田は静かにつぶやくのだった。
そして、金条を三振に取った黒鉄。クロ高ベンチ全体が静まり返る。
「……おいおい……これは」
「絶対に抑えないと」
「……しかもここを凌いでもまた一回分は確実に黒鉄から打たなきゃ……」
そんな沈んだ雰囲気のクロ高ベンチに、一つの声が響く。
「……大丈夫です。俺が……投げぬける限りは」
鷹戸が言い切って金条に声をかける。小さな声で囁いた。
「……金条、もしかしたら長くは持たないかもしれない……」
「!?(どういうことだよ……)」
驚いて呆然とする金条を背後に、鷹戸は足早にマウンドに向かってしまった。
(鷹戸が……弱音をはくなんて……)
――実は、先ほどの9回表、8回裏の下位打線を抑えられ、いよいよといった場面。先頭打者は一年生の5番打者、泉中水樹。6回には二打点を挙げている巧打者だ。
(絶対に……俺が投げている間は、点はやらん!)
鷹戸のフォーシームがうねりを上げて金条のキャッチャーミットへと吸い込まれていく。空振りする泉中。
(ぐ……)
二球目のツーシーム。低めの内角――しかし、少し浮いてしまう。
「!!」
タイミングを合わせてしっかりと打ち返した泉中。しかし、球威に押し負け、打球は転がる。
(!)
鷹戸がしっかりと打球に反応し、一塁に送球。しっかりと先頭打者泉中を凡退に捌いた。
「っしゃナイス鷹戸!(いつもより……痛くねえな)」
伊奈も薄々異変に気付いていた。
続く斑鳩に打たれる。続くサード島田。
「お願いします!」
島田は大きく息を吐く。
(俺だって元投手だからわかる……こいつは強いよ。でも、黒鉄には勝てない。あいつには……一切敵う気がしないんだよ。お前にはそこまでの絶望感を感じねえ!)
打ち返した初球。しかし、セカンド今宮が軽快にさばいて2アウトにした。
「っしゃ2アウトだぜ!」
今宮が叫ぶ。鷹戸は振り返って強くうなずく。
(畜生……)
「島田先輩! 惜しかったっす!」
「……迫田。斑鳩走っても冷静に!」
「はい!」
続く8番打者迫田だったが、斑鳩の盗塁あってチャンスをつくるも、その打席でピッチャーゴロに倒れ、3アウトとなる。
「……し……」
小さくガッツポーズをとる鷹戸。そのときから――確かに違和感を覚えていたのだ……。
10回の表、先頭打者の黒鉄を何とか凡退にした鷹戸。しかし、黒鉄はそのボールをしっかりととらえており、クロ高ベンチをひやひやさせた。
「……まだ黒鉄から安定して点を取れていない以上、安易に点を取られるのは危ないよな」
しかし、肩の不和をこらえ、鷹戸はそのまま1番四方、2番本田をそれぞれ凡退に抑え込んだのだ。
10回裏、先頭打者小林が、内野安打で出塁したころ、全員が大きな声で叫んだ。そして、鷹戸、今宮、金条、絹田監督の四人で話が広がっていた。
「……な、肩の調子がおかしいか……」絹田監督は、右手であごをさすっている。
「さっきの打球じゃないですかね?」今宮は、深刻な表情でつぶやいた。
(鷹戸をここで下げるのは痛い……おそらく……現時点で鉄日打線を文句なく抑えられるのは彼だけだ……)
金条は両手をぎゅっと握りしめ、悔しそうな表情をしている。当の鷹戸は、まっすぐに監督の目を見ている。
「まだ投げます。俺は――」
「わかった。しかし、今以上に、肩に異常があると思ったらすぐに言え。そして、俺がおかしいと思ったらすぐにでも代える。伊東と古堂の二人も、まだ控えていることを忘れるなよ」
「はい!」
鷹戸はバットを持って準備する。黒鉄のピッチングの前に三振に倒れる佐々木に続いて、打席に立つ彼。
(思い出したぜ……お前、鷹戸遥斗だ! 一個下の……)
黒鉄は初球から縦スライダーを投げ、鷹戸から空振りを誘う。
「無理に打ちにいかなくてもいいぞ!」
クロ高ベンチから声が飛び交うが、鷹戸の眼光が光っている。その視線はマウンドに立つ黒鉄のみに向けられている。
(あれ……中2の頃まではストレート一本じゃなかったっけなあ……いつの間にジャイロボールを……)
二球目、外にしっかり入っている高速スライダーで鷹戸を追い込む。
(まあ……ジャイロボールごときで俺に投げ勝つなんて、考え甘いんじゃね?)
三球目――インローに入っているストレート。打ち返す鷹戸だったが、打球はピッチャー黒鉄のミットの中にワンバウンドで収まる。
(……まあ……クロ高も……俺から三点取るとはよくやったもんだよ!)
黒鉄はそのまま身を翻し、セカンドへ送球。ショート本田がベースに入り、一塁ランナー小林をコースアウトに、そしてそのまま一塁へ送球した本田。ファースト地村が捕球し、鷹戸もアウトにした。
「げ、ゲッツー!」
「黒鉄大哉の投球は、延長しても勢いを一切弱めません!!」
延長に入り、実況の声にも力が入る。
観客たちも一層緊張した様子で試合を見ていた。
「正直、9回時点で鉄日が下位打線だったのは幸運だったな」
「しかし……どっちのチームも全く綻びを見せねえな」
溝口と奥田は感心した様子で見ていた。しかし、大坂も、江戸川も、神妙な面持ちをしている。
「……長時間の試合にはクロ高は強いが、ここまで接戦が多かったあいつらは、消耗もデカい。やっぱ精神的に綻びが出やすいのはあいつらの方だろうな」
「……対しての鉄日高校はここまでの試合、苦戦らしい苦戦をしていない。黒鉄のあとには、ここまでの試合ほとんど投げぬいていた宮城も控えているから、安心感で言えば、鉄日の方が圧倒的だろう」
白銀世代2人の見解に、溝口も奥田も黙り込む。
「新田が崩されていることを考えると、鉄日若干有利か?」
「正直……伊東と古堂じゃここ投げるのはきついだろ」
ハッ高の者たちは、テレビにかじり付いて見ている。
「鷹戸ぉ……あと何回投げれるんだお前は……」
柏木は歯ぎしりをしている。
そして、延長11回の表……先頭打者は木口諒真。
(さっきはぼてぼての内野安打だったが、次はそうはいかねえぞ……ごまかしたって無駄だ。地村さんの打球くらって肩の調子おかしくしてるんだろ?)
木口は解っていたのだ。先ほどの回から、鷹戸が微妙に調子を崩していることを。
(鉄日が勝つんだよ……。俺らが全国に立つんだよ。そのイメージを明確にするためには、黒光に勝つしかねえんだよ!!)
一演出の都合上、8回裏、9回表を飛ばして前話から9回裏の描写をしました。多少見苦しくなった方がいらっしゃいましたらすみません。




