第51話「スローカーブ」
6回裏、1アウト走者なし。打席には白里一哉。先ほど、ハッ高の主砲、レイモンド=アルバードの本塁打によって0-4と点差を広げた初巾高校。対するクロ高は、ここまで投げ続けてきた先発鷹戸が降板し、背番号18の左腕、古堂黎樹がマウンドに立つのだった。
(暗黒世代なめんじゃねえか……もちろん、こちとら一度もなめたことは無いんだけどなあ)
一哉は思い返す。一年生が入部してきた日のことを。弟、白里虎次郎を始め、初巾高校野球部に入部してきた一年生は37人。一年生の好育成が評価されている名将、根古屋栄の実力もあり、一年生たちはその小さな、小さな芽を着実に育てていた。
(今年の一年生――黄金世代や白銀世代と呼ばれるようなスター選手が出なかった世代だな。でも……これだけは言える。暗黒世代は雑魚じゃねえ)
古堂のストレート、初球見逃す。良くノビる135kmのストレート。
「しょ、初球からマックスに近いぞ……やるなあいつ」
坂本は古堂の調子を見て大きく頷いた。
「……頑張れよ……コドー」
林里もうなるように見つめている。
(古堂……お前の勝負強さ、ここで発揮してくれ)
絹田は、その険しい顔を古堂にしっかりと向けている。リリーフ、抑えとしての実績を、かなり高く評価していたのだ。
2球目、シュート。外に逃げていく球に、一哉の手も出てしまい空振りとなる。
(くっ……予想以上にキレるな)
金条も、打者を追い込んだところを見てニヤリと笑う。
(古堂は打者を追い込む……三振を取る手前になるとめっぽう強くなる。元々球数が増えれば増えるほどいいピッチングができる奴だったしな。先頭打者を打ち取ることができれば、それが自信に繋がり、さらにいいピッチングができるッ!)
3球目、古堂にとってのウィニングボールに当たる、スローカーブを要求した金条。
(ど真ん中でいい。お前にとっての決め球、投げやがれ!!)
古堂は頷いて投げた。しかし……
(こいつのウィニングボールはスローカーブ。研究を怠るわけがねえだろ)
ど真ん中のスローカーブを打ち返した一哉。打球が鋭くセンター前に落ちる。
(くっ……長打が出ても良い当たりだったんだが、やっぱスローカーブだと飛ばないな……。それにサウスポーカーブも微妙に混じっていないか? 変化が独特だ)
一哉が初巾高校の一塁コーチを呼ぶ。
「どうした?」
「……あいつのスローカーブ、気をつけろよ。アレだ。変化が出るのが早い独特の曲がり方をする。みんなに伝えておいてくれ」
瀬田成彦が打席に立つ。
(このバッターも、次の錨ってやつも足が速い……出塁させると面倒だ。下位打線の長打力の無さをこの人たちの足でカバーしてると思うと末恐ろしい)
初球、キレのあるシュートを外角ギリギリに決める。瀬田は見逃す。その額に一筋の汗が見える。
(シュート極めてるなあ……)
(驚いているな……。びっくりするだろ? こいつ、毎日150球は投げてるぜ?)
古堂の、この野球人生の、毎日欠かさず続けてきた努力を……指先一点に集中させて投げている。
(ぐっ!!?)
「おおっ……2球目のストレートも空振りっ!!」
(このバッターは追い込まれると弱い、ここで畳み掛けるっ!)
3球目――瀬田は古堂の内角ギリギリにクロスファイアーで入ってきたストレートを空振りし、三振に倒れた。
「三球三振!」
古堂のピッチングに、クロ高のベンチは沸く。
「……すごくねえか……」
2アウト。打席に立つ7番バッター錨真紀も、同様に三振に倒れ、初巾高校はこの6回の攻撃を終えた。
「……あのリリーフ、なかなかすごくねえか?」
権田が錨に恐る恐る話しかける。
「あーよ、なんとなく万能型って感じだわ。キレもある。緩急もある。ノビもある……」
瀬田もやってきて呟く。
「マサの言うとおり、あれは予想以上だね……権田も同学年だと思って甘く見ないことだね」
7回表の先頭打者に当たる男、権田良介は険しい顔をして汗を垂らすのだった。
「……はっ、あんな奴が大したことあるかよ。鷹戸の後で球速差に苦しんでるだけだろ」
柏木は白い歯を食いしばって権田らを見た。
「見てろ。俺のほうがずっとすごいからな!」
「……だな」
錨と権田は笑って頷いた。虎次郎は完全にプロテクターをつけ、守備の準備を完了させた。
「っしゃ、行くぞクニヤ」
「るせーよデブ」
7回表、先頭打者は伊奈聖也。一年生が活躍している最中、自分は未だ無安打。
「……ナックルは打つ練習したんだよ。このまま打てないままで堪るかってんだ」
「はっ……あいつがナックルばかりとは限らんぞ」
虎次郎が伊奈を煽るように呟いた。
「うるせーよっ!」
ナックルをしっかりとミートさせて打球を飛ばす伊奈。走塁中思わず笑みが溢れる。しかし
「っし!」
錨が打球を捌きとった。そのまま一塁に送球し、伊奈をアウトに倒す。
「5番伊奈、いい当たりを出すも、ショート錨のファインプレーの前に阻まれました」
伊奈が悔しそうに打席に戻ると、続いて金条が打席に立つ。しかし、柏木のナックルボールの前に全くバットが掠らず、三振に倒れる。続く小林も、三振に倒れ、この回もまた無得点で終えた。
(そろそろ点を取らないとやばいな……)
佐々木は走って外野の守備に向かう。そこで山口に呼び止められる。
「打撃のことを考えるのも大切だけど、まずは守備。飛んできた打球はしっかり捕ろう」
「はい!」
7回裏、古堂は8番打者権田と9番打者柏木を三振に取る。
「っしゃ!」
古堂は叫ぶ。その様子を見て権田は息を呑む。
「……リョウ、もっかいお前に回すぞ。もっかい追加点あげりゃ完全に畳み掛けられる」
「コジロー……」
1番打者、白里虎次郎が打席に立つ。鷹戸の投球の前に、守備に阻まれたために初回の一度しか出塁できていない。
「……俺の苦手なピッチャーじゃないな」
虎次郎はしっかりと古堂を見据え、バットを構える。
(ここは一つの正念場だぞ。……まあ次の回の方がよっぽどか……)
古堂は大きく息を吐き、初球――投げた。
(きたっ!)
虎次郎はバットを振るが、手元でぴたっと止めた。
(す、スローカーブっ!!?)
目を見開いてバットを止める。弱く当たった打球は一塁線を切れていきファウルとなる。息つく間もなく、2球目が古堂の左手から放たれる。
(テンポ早すぎ――)
外に逃げるシュートを空振りする虎次郎。2ストライクノーボールと追い込まれる。
(さすがに次はボール球……いや、ストレートで一気に畳み掛けてくるか?)
3球目、古堂が投げたのはスローカーブ。曲がり始めの早い、独特のカーブだ。
(変化が早いから見分けはしやすいんだよっ!)
しかし、ボールは虎次郎のバットをかわしていき、空振りとなる。三振でアウトとなった。
「っしゃあ!!」
「まっ、またしても三球三しぃん!! 一年生投手、古堂黎樹がここに来てナイスピッチを見せています!!」
古堂の叫び声に同調して、実況の声も盛り上がる。
「っしゃあ頼むぜ佐々木ぃ!! 8回ホームランだホームランっ!」
ベンチで叫ぶ古堂。打撃の準備をする佐々木の肩を叩いて鼓舞する。
「っしゃっ! コドーだっていいピッチング見せているんだ。俺だって打ってやるさ(さっきの打席からもずっとナックルを見てきた。ずっと……次はナックルを当ててやる)」
打席に立つ佐々木。初球からナックルを投げる柏木。相当不機嫌そうなオーラが伝わってくる。佐々木は、打席に向かう前の監督の言葉を思い出す。
――ナックルボーラーは調子の左右を受けやすい。その日の調子だけじゃない。その回の調子も……だ。古堂の好投が相手に思わぬプレッシャーをかけている。おそらくあのピッチャー、相当鼻っ節の高い男……同年代のピッチャーに対するライバル意識が大きいのだろう。お前がその隙につけ入れ。
(監督は……俺を信頼してくれた。これまでもそんなに打てたわけではないただの一年生を……。応えたいっ!!)
2球目のナックルをしっかり見て、無理やり引っ張った佐々木。打席が三塁側に強く飛んでいく。
「くっ!」
サード大槻の頭上を超えた打球は、レフト権田の前に落ち、佐々木はシングルヒットを決めた。
(や、やった……!)
佐々木は強い手応えを覚え、両手を見つめていた。対する柏木は、マウンドのプレートをスパイクで強く蹴り上げる。砂が舞う。
「切り替えろクニヤ!」
キャッチャーの虎次郎の声だ。しかし、柏木はそんなもの聞き入れていない。
(黙ってろ。黙れ。観客……一人マグレで当てたぐらいで盛り上がるんじゃねえ。俺が今からこいつらをぶちのめしてやるんだよ……)
打席に立つのは古堂。柏木の目の色が変わった。これまで以上に瞳孔が開いている。
(このヤロウ……武器がシュートとスローカーブだァ? 凡人みてえな素質の奴が努力して強くなったと勘違いするんじゃねえ)
柏木は、その投球で、古堂を三振に抑えた。
「コドー抑えたくらいで調子に乗ってもらっちゃあ困るんだよ。なっ、柏木」
田中遊が打席にたった。柏木はさらに目の色を変え、その瞳の周囲を赤い線が走り出した。
(白銀世代……調子に乗らせねえのはこっちのセリフだ。散々コケにしやがって!)
柏木は肩を一回大きく回し、田中をもう一度見据えた。そして、初球のナックルを――投げた。
サウスポーカーブ……元々は変化がかかるのが早く、通常なら打ちやすくなるカーブのことを指すが、打ちやすくなるが故、投げる投手の数が少なくなった、尚且つ左投手自体少ないためこのサウスポーカーブが有効な投球となる。
本作の古堂は、元々変化の早いカーブを投げる投手だったため、その癖が抜けきらないままスローカーブを覚えてしまい、このようなサウスポーカーブの混じったスローカーブとなった。




