第393話「真綿の重石」
(間に合うかッ!!?)
叫ぶのも忘れていた金条。マスクを外して空を見上げる。外野陣、特にレフトセンターの二人は迷わず後ろに下がった。
「間だッ!!」
ショート林里が叫ぶ。
「レフト行きますッ!!」
フェンス際、ぶつかりそうになりながらも、嶋田は右手をフェンスにつき、肘を曲げてクッションを取る。
「任せたッ!!」
センター佐々木は、取りこぼしたときのカバーに備え、少し離れたところで立ち止まる。ジャンプした嶋田――ボールはミットに入った。
「入ったッ!!」
「アァアウッ!!」
左手――ボールの入ったグラブを高々と突き上げ、ベンチへ向かって走る嶋田。ボールをショート林里に投げた後、喜びを露わにする。
「耐えたッスよ!!」
「おお、ナイスレフトだ!!」
「サンキュー、助かった嶋田」
これにはサード大滝やピッチャーである鷹戸も声をかける。少し明るさの戻った鷹戸。下位打線にチャンスを作られ、ピンチであったが、流れは引き渡さなかった。
「……本ッ当に粘り強いな……クロ高!!!」
「あの守備の執念は一体どこから沸いてくるのやら……」
鉄日高校もこれには少し堪えた様子。ピッチャー宮城がグラブを持ち、マウンドへ向かう準備をしていた。
「大丈夫……次は赤河から。月守も当たってるし、点は次の回間違いなく取れる。6回……俺が上位打線に仕事させなきゃ、流れは渡さない」
彼の強気の言葉に、鉄日は浮き足だっていた雰囲気を元に戻す。
(宮城はプレイングマネージャー向きだ。現場監督とか、前線指揮官とか、そういった役職が向いている。まあ、エースがこの声かけできて、実力も申し分ないときたら、誰だってそういうポジションになるわな)
乾監督は内心宮城を絶賛する。暗黒世代と評されるにはもったいないほどの大器――2年の秋にして、それができあがりつつあることを喜ばしく思っていた。
6回表が始まる。9番田中から始まる打順。宮城と相対する田中は、この打席に入る前に、一つ決めていることがあった。
(追い込まれたらセフティ……サード赤河さんは打球の反応こそ目を見張るけど、咄嗟の判断力が高いとは思わないッ。それに、追い込まれてからヒッティングは多分無理だ)
際どいコースを突き、たったの2球で追い込む宮城。3球目のフォークをバントした田中。すぐにスタートを切る。
「速いぞッ! 赤河ッ!」
(間に合わねえよッ!!)
チャージがワンテンポ遅れた赤河。田中はセーフとなって出塁する。
「気にすんなよ赤河! エラーじゃないからオッケー!! っていうか、エラーでも構わねえよ。取れるアウト取ったら良いから」
「すまんなイザナ」
「だからそれ! それがいらねえの。大丈夫、上位打線抑え込んだらいい話!!」
宮城の明るい言葉に内野陣の動きは軽い。続く1番林里のヒッティングに対し、月守が一二塁間の打球に飛び込み、二塁ベースで田中をアウトにする。その後林里に盗塁を許すも、2番伊奈をセカンドゴロに倒して、2アウト3塁にした。
(すげえ……今大会出塁率5割超えの林里と伊奈を本当に抑えやがった。こうも有言実行されると、守備でミスれねえっての)
赤河は心の中で悪態をつく。宮城の明るくも優しい言葉がけは、鉄日高校野球部という乾監督の理念のもとに作られたチームにとっては、さながら真綿の重石であった。
(守備でエラーしまくる選手……乾監督は遠慮無く干すからな)
泉中は苦笑いする。これでも1年秋から出場し続けている泉中と木口は入学してからまず守備を徹底的にたたき込まれた。それもこれも、黒鉄大哉という世代を代表する投手のバックを守るにあたって、ミスなど許されない雰囲気だったからである。日頃の練習から、計り知れないほどの緊張感を持って守備をしていた彼らにとって、宮城の「取れるアウト取ったら良い」という言葉は、違和感しかないのだ。
(イザナのヤツ……エラーしても構わんって本気で言ってんのか。ったく……優しいんだか優しくないんだかわからんやつだ)
セカンドやショートを守ることの多い沢口は、自分のミスが試合展開を覆しかねないことがわかっている。故に宮城の言葉には同意しかねていた。
しかし、宮城のこの発言を聞いても、ベンチの乾監督は眉一つ動かさない。
(そりゃ……守備は堅いに越したことはない。けど……宮城は打たせて取ることもできるが、いざとなれば三振を取りに行ける。守備に対して頓着が無いのも当然か。いや、無頓着でいたいから、あのピッチングを完成させたのか?)
3番鷹戸に対して3球で追い込み、1ボール2ストライクで投げた4球目、打ち返す鷹戸。
(!?)
「ショート!!」
ショートに鈍いバウンド。
(取れるアウト取れたらエラーしても良いって何だよ。俺らはどの道……ココ守ってる以上ミスれねえんだよ!!)
前に詰め、バウンドに合わせてグラブを地面に掠めさせる。打球を拾い上げ、一塁に流れるように送球――鷹戸をアウトにした。3アウトでチェンジとなる。
「鷹戸……押し込めなかったなあ。惜しかった」
観客席から田中遊が呟くと、今宮も頷いた。新田は田中に問う。
「……なあ遊。鷹戸にしちゃあ、インパクト弱くなかったか?」
「張ってた球と違うのが来たとか? 鷹戸のヤツ、よくしてただろ」
すぐに返答が来て「そういうことか」と納得する新田。
(さあ、6回ウラ……この回入れてあと4イニングだ)
先輩たちが見守る中、6回のマウンドに上がる鷹戸。
(……ふぅ)
息を吐きながら額の汗をアンダーシャツの袖で拭う。金条は駆け寄ってきて配球について確認を取る。
「疲れてるみたいだし、スプリットとジャイロボール減らすぞ。ツーシーム上手く使って打たせて取るぞ」
「……ああ」
鷹戸の様子がおかしいことにいち早く気づいていたのは金条。しかし、疲労のせいだろう、ピンチになったらギアを自然と上げるだろう、と深く考えてはいなかった。そして、そのやりとりを見て、絹田監督は動く。
「井上、コドーを呼んでこい」
「はい!」
1年生投手、井上が勢いよく立ち上がる。
(継投か……鉄日相手に5回1失点はすげえ。でも、捕まりつつあるのも事実……。タイミングとしては悪くない……)
5回が始まる中、ベンチを出て古堂を呼びに行く井上は、そそくさと走っているが、その間にも、鉄日の4番、赤河栄介が打席に立ち、素振りを見せた後、構えていた。
「コドー先輩、出番です。(多分)」
「おう、サンキュー」
古堂の反応は思ったよりも小さく、そして返田に対して声をかける。
「最後、ストレート投げるわ」
「はいよ」
肩を完璧に仕上げていた古堂。後ろから見ただけでそれがわかる井上。返田のグラブが鳴り響いた。
「ナイスボール……」
そして、視線はマウンドに移り、鷹戸は初球を赤河に投げようとしているところだった。
(鷹戸さん、この回踏ん張って……)
井上や古堂が視線を送る中投げられた一球。
(あっ……少し甘いところに……)
ストレートが浮いた――そこを赤河は見逃さない。
(安心しろ宮城……俺にとっては……投手の失投を見逃すことも……エラーと同じくらい重罪なんでな……。普段からそのプレッシャー下でやってる俺らが、簡単に流れ持って行かせるわけねえだろ)
赤河の打った打球が、レフトスタンドに吸い込まれる。ソロホームランで1点の勝ち越しに成功する鉄日。4番の一発に、鉄日のベンチ、スタンドは大いに沸いた。絹田監督は立ち上がり、タイムを取るよう金条に要求した。
「ターイム!!」
ついに動くか、と鉄日ベンチでは乾監督が重い腰を上げた。
「よし、月守、引導渡してこい」
「はい……」
「ここで崩せるならたくさん点を取っておきたい……だが、流れに身を任せてイケイケになってしまわぬよう注意。こういう状況でも、クロ高はしっかりと浮き足立たずに守備をする」
月守や山本など、このあと打順が回ってくる選手たちに、懇々と説明する乾。
ブルペンから戻ってきた古堂に、焦りの色が見える。
「鷹戸がおかしい」
「……えっ?」
「さっきのバッティングの時も思わなかったか? いつもならもっと押し込んでるはずだって」
そんなところに気づいていたのか、と返田は驚く。
「監督、鷹戸は下げないのですか?」
「……」
やはり、絹田監督は、鷹戸のことをエースとして信頼し通したい気持ちがある。
「……クロ高はストイックな者しか生き残れない環境だ」
絹田監督がぼそりと呟く。
「世間では、上意下達に縛られ、監督の言うことは絶対。上級生の言うことは絶対という学校も多くある。そして、年功序列で背番号をもらえる選手たち。もちろんそれが間違っているわけでは決してない」
「……現に、代打で出た3年生が結果出したりしてる試合も数多くありますもんね」
隣で古堂と監督の話が聞こえていたマネージャーの小泉。
「そういう環境が長く変わらず存在し続けると、パワハラやら、暴力沙汰やらが起こる。不思議なもんで、そのコミュニティ内の正義がおのずと造り上げられるんだろうな」
「まあ、閉鎖的環境の方が、不祥事が起きやすいって言いますもんね……」
小泉は話を頭では理解していても、なぜ今――このタイミングでしているのかが理解できなかった。
「鷹戸が変わったのは、お前のおかげだ、古堂」
「……!」
鷹戸は絶対に言わんだろうからな、と笑った絹田監督。そのまま続ける。
「さて、先ほどの話の続きだが、うちも例外ではないわけだ」
「く、クロ高内にパワハラをやるヤツがいるってことですか?」
無い頭で必死に考える古堂。一つの結論にたどり着く。
「もしかして……鷹戸が俺のせいで変わったってのは、俺に知らない間にパワハラをしかけまくっていたから、そのインガオーホーでおかしくなったってことですか?」
(コドーくん……補修で習った四字熟語が使えてるっ……!)
(説明する相手を間違えたかな)
絹田監督はため息を一つ。
「うちも例外ではないっていうのは、コミュニティ内で出来上がる正義の話だ」
絹田監督は、まっすぐ、グラウンドで戦う選手たちのほうを向いている。タイムを取って話をする金条。伊奈、田中塁、林里、大滝が囲む中に、鷹戸が汗を拭いながら立っている。
「ベンチは少しあわただしいけど、絹田監督が動く気配がないってことは、ここは時間を取れってことだ、鷹戸。まだお前に投げてもらいたいんだ」
「……ああ、やれるところまでやるよ俺は」
「そうでなきゃ。3番エース! お前のチームだよ!!」
伊奈は笑って鷹戸の背中をたたく。いつもならむっとした顔を見せる鷹戸だが、表情を一つも変えない。
「とりあえず、次の月守さんですね。ヒット2本打たれてるのは普通にキツイ」
「でも、敬遠はしないだろ?」
田中がげんなりする中で、林里が金条に問う。「もちろん」と返す金条。
「だよな、鷹戸」
「ああ」
強くうなずく鷹戸。
「うちの正義はなんだと思う? 古堂」
「……うちの正義……ですか」




