第39話「捕手の差」
(初球打ちとかなめやがって……しかも変化球を!!)
センター仙田が走って後退し、ボールを追う。しかし、予想以上に伸びた打球はスタンドの目前で落ちた。
(くそったれ!)
仙田竜平は捕球してすぐさまターン。山口が三塁ベースへ到着しようとしているところ、仙田はレーザービームで一気にバックホームする。
(これなら刺せるっ!)
後藤がしっかりとホームベースの前で捕球。山口は三塁ベースをスタートしかけていたが、ギリギリのところでとどまった。二塁ベースに投げた後藤だったが、大滝のスライディングの方が早く、大滝はツーベースヒットとなる。
「大丈夫か高月!」
「たりめーだ! 黙ってろ!!」
高月は後藤に対して悪態をつくと、大きく息を吐いて構え直す。
(次の打席は俺からだからな……1点はもぎ取ってやれる。1点に抑えられたら上等だっ!!)
高月が投げた初球を見逃す伊奈。ストレートだった。タイミングが合わず反応できない。
(変化球多めかと思ったらしっかりとストレートも投げやがる。ノビは弱まったけど、どうも球威は変わっているようには感じないな)
2球目のカーブを打ち上げてしまった伊奈。レフトフライとなるが、3塁ランナー山口のタッチアップが成功し、1点の勝ち越しに成功した。
「っしゃあ!!」
「勝ち越しィ!!」
「さーせん、安打できると良かったんすけど……」
「大丈夫だ。確実に1点取ったんだ。こういうのを積み重ねていけば勝てる」
黒光ベンチが沸く。
「気にすんな、2アウトだし、次打順お前からだし」
「俺とお前で2点返すぞ!! いいな!!」
(さすがに俺ホームラン打てないし、それは無理だ)
高月と後藤がマウンドとホームの距離で会話をしている。
「おしゃべりはそのへんにしてくださいよ。打席に集中できなくなる」
金条がその間に割って入った。しかし、後藤はその様子を見て不敵に笑う。
「……どれだけバッターの邪魔をできるか、それもキャッチャーの技量だぜ? こういうキャッチャーの差が、案外勝敗を分けたりする」
後藤の言葉がひっかかった金条。何もできずに三振に倒れてしまった。
(あの言葉で……確実に乱された……見透かしていたかのように……)
6回表の攻撃を終え、守備に回るクロ高ナイン。
新田は相変わらず好投を見せている。打席には高月。雨天下での新田のキレのある投球は、高月を簡単に追い込んだ。キャッチャーの金条。続くボールを要求しようとしたところで、後藤の先ほどの言葉が脳裏を掠める。
――――キャッチャーの差が、案外勝敗を分けたりする。
金条はぼんやりしていた……思考が安定しない。要求したのは高めのカーブ――新田が投げる。
(高め……打てるぜこれならっ!!)
高月は打球にしっかり打ち返した。高めに反射した打球が新田の頭上を、今宮田中の二遊間の頭上を、そしてセンター山口の頭上をも越えていく。キャッチャー金条は、頭に電撃が走ったかのように目を大きく開いた。
(しまっ――)
ボールはスタンドに入った。4番高月のソロホームランである。2-2で、同点に追いついた福富商業。
「最高です高月先輩!!」「キャプテンッ!」「ナイスだぜヒロ!!」
福富ベンチが沸く。ホームランを放った高月広嗣。4番で、キャプテンで、エース――――言うまでもなく、このチームの実質的、精神的支柱である。
「見たかオラッ! お前らも見習え下手くそ共!!」
高月がハイタッチを求める一年生たちの手のひらをグーで叩いていく。そのあまりの強さに、手のひらを抑えるベンチの一年生たち。
「……はぁ……やっぱバッティングはあいつにゃ勝てないわ」
後藤は残念そうに打席に立つ。金条の頭はどこかぼんやりしていた。
(俺は……キャッチャーとしては後藤さんに大きく劣るんだよなあ……)
要求したシュートは、完全に後藤に読まれており、新田の左手側に打球を飛ばされる。しかし、打球に今宮が飛びつき、何とか捌いてアウトにする。
「ナイス今宮!」
新田が爽やかに笑う。調子がいいのか、心にも余裕が見られた。
「ああ、良い切り替えだぜ、新田」
今宮も笑って新田に返す。投手本人が気にしていないので、大丈夫だと思っていたが――捕手は違った。
(あれ……もしかして俺のリードミスで打たれてる? 今宮さんのファインプレーが無かったら抜けていた。ってことはつまり……)
金条の思考回路がどんどんシャットアウトされていく。それでも、新田のキレる変化球を、福富商業一年の射場や米田などが打てることもなく、二者連続三振で、6回裏をしのぎきった。
「ないぴ新田ァ!」「ナイスです!!」「一点に抑えられたのはデカいぜ」
新田の肩を叩いて励ます。新田も笑いながら応えていた。そして、彼自身思うところがあった。
「(今日は調子がいいな……あとは甘い球、コース読まれることに注意しなきゃ)金条!」
金条を呼び止める新田。金条は浮かない顔で振り返る。
「配球、もうちょいしっかり練っていこう。読まれ始めてる」
「……はい」
力なく返事をした金条。その表情に、新田も一瞬だけ暗い雰囲気を読み取ったのだろうか、表情を固めるのだった。
7回表、下位打線を完璧に封じ込めた高月、後藤の白銀バッテリー。
「っしゃナイピ高月ィ!」
「おうよ」
「雨激しくなってきたな、寺田に変えるべきだろうか」
雨が降り、湿気の多い状況下では、速球派の高月よりも、パームやスクリューを投げる寺田の方が打者を翻弄しやすいだろう。そう考えた後藤。しかし高月は首を振る。
「いいや、せっかくバッティングもピッチングも波に乗ってる今だ、いける。変えないでいい」
そう言って後藤の提案を払い除けた高月。続く7回裏は、8番田口からだ。
クロ高の方には、地味に焦りが見られた。監督が急に選手を集めた。
「新田は今日、既に6回を投げている。調子が良いのも事実だが、雨に打たれている以上、体力の消費は思ったより早いぞ。伊東はさっきから準備しているが、まだアップは完了していない。ここは凌ぎきるんだ」
新田、そして準備を始めていた伊東の顔にも力が入る。不満そうなのは、鷹戸遥斗。先週もそれなりに回を投げた上に、雨が降っている状況は変化球をあまり扱わない鷹戸にとっては有利に働きにくいので、今回はリリーフを任されそうもない。
(ちっ、俺じゃねえのか)
不満そうな鷹戸を見ていた古堂。
「明日も試合だろ。多分新田さんは今日投げたぶん、明日回を多く投げられるかどうかも怪しい。お前を温存しておきたいんだよきっと」
彼なりの励ましのつもりだったが、それが逆に鷹戸の闘争本能を煽るのだった。マウンドに立てないもどかしさは、古堂も同じなのに。
先頭打者である8番田口をセンターフライに抑えた新田。続くバッターは9番寺田礼二。左打席に立つ。
(こいつにはシュート……内角厳しくっ!)
(初球打ちっ!)
寺田は内角のシュートを少々背中を反らせながら打ち返した。新田の足元を跳ね、田中のグラブの脇を通り抜けていく。
(し、しまったっ!!)
雨で濡れたグラウンドに上半身がべったりつく田中。泥色の汚れがつく。ぬかるんだ地面に足を取られ、思うような守備ができなかったのだ。寺田がヒットとなる。
(さて、白銀世代って呼ばれている以上、こういう場面は打たないとね)
打席に立つのは1番バッター、荒牧鉄平。今日既に二本のヒットを放っている。
(金条の配球、決して悪くはない。俺の投球も悪くはない。きっと福富のバッターがそれだけ鍛えているってことだ。焦らずに1球、1球、俺の全身全霊を賭けて投げる)
新田が考えていることはそれだけだった。しかし、金条は違った。
(ここは無失点で抑えなくちゃ、点を取られたら後が無くなる。白銀世代相手にどうやって? もしキャッチャーの実力差で負けるなんてことになったら)
様々な思いが交錯する中、投げられた新田の球を取りこぼしてしまう金条――瞬間、彼は、自己防衛に入るかのように、彼自身を責め立てるのだった。
「捕球ミス?」
「ナックルじゃないだろ? なんで今更」
江戸川と大坂の二人は、雨の中でも、頭にタオルを巻いていること以外においては、平然とした様子で試合を見続けている。柏木も立ちながらではあるが、試合をしっかりと見ていた。
「……なるほど、新田さんが好投しているのに、失点しちゃうのは、単純に相手の打撃力が高いから――だと思いますよ。現に、2番宮口さんの、サードのエラーによる出塁。それと、さっきの寺田の、ショート田中さんのイレギュラーな守備ミス以外での出塁者は、いずれも白銀世代のバッターだけです。単純に、新田さんの投球を、荒牧さん、仙田さん、高月さん、後藤さんの四人は攻略しているんです。まあ、雨や、内野陣のファインプレーのおかげで首の皮一枚つながっているといったところでしょうか」
こう分析する柏木。――一年生の癖に詳しい、そしてよく見てやがる、と口をとんがらせる大坂。
「それなのに、あの金条とかいうメガネキャッチャー、何に責任感じているのかは知らないけど、色々背負い込みすぎてるように感じるなあ。クロ高を始め、キャッチャーが充実していないチームが今年は県内多いから、仕方ないのかもしれないですけどね」
「なるほど、福富商業に白銀世代のキャッチャー、後藤がいることが、クロ高の一年キャッチャーにとって、思いもよらぬプレッシャーになっていたということか」
江戸川のこの言葉に、柏木はゆっくり頷いた。
「これは、キャッチャーの差で、クロ高が負けてもおかしくない」
捕手とは本来、扇――内野陣の要である。捕手次第で、投手を活かすも殺すもできる。そして、盗塁、バックホーム、内野ゴロ、バント処理、様々な状況に応じて、内野陣、あるいは自分自身を動かさなくてはならないのがキャッチャーである。クロ高は比較的選手主体。監督が試合中にサインを出すことはほとんどなく、ほぼ選手の自己判断に基づいた試合運びとなる。(試合での実践的な戦術については、絹田監督がチームミーティングで念入りに話してはいる。しかし、試合中、臨機応変に対応できるかは、ほぼ選手にかかっているといったところだ)金条は頭も良く、経験もある。冷静沈着で慎重な性格。キャッチャーというポジションは向いていた。しかし、彼に立ちはだかる壁が、今日は余りにも多すぎた。
(一体どうすれば……)
金条の思考が停止している。思い出すのは、鶴高校と当たったときの、キャッチャーのエラーによる失点。今回は相手の白銀世代の数が多い以上、ミスでの失点など許されない。
(本当に、キャッチャーの差で勝負がつくんじゃないのか?)
1番バッター荒牧が放った打球は、湿ったグラウンドによってイレギュラーバウンドとなり、ショート田中の守備の裏をかく。
「ぐっ!!」
身を翻して何とか捕球する田中。セカンド今宮にすぐさま送球するが、寺田の決死のスライディングが間に合いセーフ。今宮が即一塁ベースに送球するが、荒牧の俊足が一塁ベースを踏むのが、伊奈の捕球よりも早かったのだ。
1アウト1.2塁のピンチで、打席に立ったのは、3番センター、仙田竜平。今日は一安打だが、低めが強いことから、新田も警戒している人物。4番高月は、さきほどの打席でホームランを放っている。彼の前にランナーは貯めたくない。
――ここは慎重に、低めのスライダー。
当初の計画を忘れた金条のリード。新田は少し疑ったが、しばらく考えた末、頷く。
(低めのスライダー、今日の俺なら、低めでもコイツを抑えられるっ!!)
今日一番のスライダーのキレだった。しかし、低めに目を光らせた仙田は、しっかりとその変化に合わせ、白球を、雨天の中に打ち返すのだった。




