第29話「抑え」
「先輩、何でそんなに急ぐんですか?」
「るせーよ。どっちが勝つかわからねえんだ。見ておいて損はない」
別の試合会場から駆けつけたと思われる二人の選手。ユニフォームに書かれた文字を見て、ほかの観客がざわつく。
「おい見ろあれ……鉄日高校だよ」
「ほんとだ……今日投げてた宮城臨じゃね?」
「いや、それよりも……隣! 黒鉄大哉だよ!!」
秋江工業VS黒光高校の延長戦までもつれた試合を見に来た鉄日高校の二人の投手、一人は背番号10を背負う一年生投手、宮城臨。もうひとりは鉄日高校のエース、黒鉄大哉である。
「……やっぱ甲子園出てなくても実力のある投手は有名になるよね」と黒鉄。
「……先輩、黄色い声援浴びたかっただけですか?」
宮城が冷たい視線で黒鉄を横目に見る。
「それよりも、今投げてる奴って……」
「そうだな。新田はおろか同学年の伊東、話題の一年の球威モンスターでもない」
「……レイ」
ぼそっと呟いた宮城。黒鉄は大きくあくびをして告げた。
「何も焦ることはないだろ。お前今大会ずっと投げてるんだし。いずれも5回コールドだけどさ」
「ええ、まあ」
宮城は笑う。今大会鉄日高校は黒鉄を温存しているにも関わらず全試合で5回コールド勝利している。そして、いずれの試合も完封勝利していた。
古堂の投げた初球のストレート。江戸川は見逃す。
(大したことないな)
そう思った江戸川は2球目のシュートを鋭く打ち返す。古堂の右肩の際を抜けていく打球は、そのまま鋭く飛び、山口の頭上をも越える。ツーベースヒットで出塁した。
(せ、先頭打者からピンチ招きやがってぇ……)
クロ高ベンチは冷や汗をかく。クロ高は先攻なので、後攻の秋江工業に1点でも取られたら終わりなのだ。
ノーアウト2塁のピンチで2番畑中が内野安打を決める。古堂の守備が苦手なところを上手く突かれ、投三間に上手く転がされてしまった。
(今のはピッチャー自身で捌いておきたかったな)
キャッチャー金条の顔にも焦りの顔が見えた。内野陣が集合する。もう残りの控えピッチャーがいない。古堂は、このピンチ――確実に大坂大磨が回ってくるこの状況を、自分自身で何とかしなければならない。
「古堂、カタイな」
「そうですか?」
「ああ」
今宮が古堂に話しかける。古堂は意外とケロリとしていた。
「大丈夫。トリプルプレーにすれば大丈夫」
田中がそう言って古堂を励ます。
「……なんかすみません。自分、このピンチ、楽しんじゃってます」
古堂の衝撃的な発言に、金条の表情は固まった。
(こいつ……ノーアウト一.二塁、打たれりゃ試合終了かもしれないというこの状況で楽しいとか言えるかよ)
固まる金条の肩を叩く古堂。
「里田さんは確実に倒す。そして、大坂さんも――」
「信じるぞ。コドー」「頼りにしてるぜ」「打たれたらとるから安心して投げろ」「この回乗り切ったら焼肉おごってやるぜ」
今宮、大滝、伊奈、そして田中と内野陣4人がそれぞれ古堂に言葉をかけた。
「任せてください。これでも俺、メンタルは強いんですよ」
そう笑った古堂。マジだよと言わんばかりに全員が苦笑いした。
(このピンチで笑っていられるとか、こいつ強心臓通り越して図太いバカじゃねえか)
3番打者、里田はこのチャンスに思わず吹き出してしまう。
(大坂回さずに俺がサヨナラしちまったら観客怒るかなあ)
しかし里田、初球のストレート――空振りする。前の打席の鷹戸の速球が目に焼き付いていたため、球速差にやられてしまっていた。そして2球目。スローカーブがギリギリ外れてボール。
(……この程度なら打てなくはないか……?)
3球目のストレート。タイミングが合わずファウルとなる。
(ちっ……この緩急織り交ぜ式の投球は面倒だな)
4球目、シュートを空振りする。予想以上のキレに目を見張る。2ストライクと追い込んだ。
(あれ……この投手、打てると思ったんだけど――)
5球目のストレート。なぜかこの直球の方が、スピードが出ており、空振りとなる。
「ストライク、バッターアウト!!」
3番打者、里田が三振となった。悔しそうに打席を離れる彼に、四番打者の大坂が話しかける。
「お前、あの投手舐めてたろ」
「えっ?」
「……俺を三振にしたことがあるって言ってたろが」
彼の捨て台詞に、里田はため息を吐いた。
(一見するとたいしたことない投手――たまたまとった三振かも知れない。でも、そのたまたまを見逃さないからこそ、大坂大磨は優れたバッターで有り続けているんだろうな)
クロ高ナインの顔つきが変わる。打席には4番大坂が立った。観客がざわめく。再び、長打が出ればサヨナラの場面で大坂が打席に立つのだ。
「さあ見られるぞ、大坂の大アーチ」
「……さすがにこの場面、古堂黎樹には凌げないだろうな」
「江戸川に打たれるのは仕方ないと考えると、やっぱりこの継投作戦が失敗だったんだろうな」
「……もったいねえな。いい投手、野手、揃ってるのに。投手が崩れるのを恐れるあまり、手札を捨てすぎちまったようだ」
諦めムードが漂う観客。秋江工業高校の勝利を大方が確信していた。
「あらあら、悲惨だねえこの雰囲気」
「まだ投げてないのに――」
黒鉄は笑う。宮城はむっとしている。
「白銀世代の大坂大磨、江戸川凛之介。こいつらがいるだけでかなり秋江工業は強い。質が良いんだ。周りがよほど雑魚じゃない限り、軸がしっかりしてればだいたい勝ちあがれる。クロ高には安定できる軸、つまりは絶対的エースと絶対的バッターがいなかったのが敗因だ」
黒鉄はそう言い切って踵を返す。
「イザナ、俺先に帰ってるわ。まあ、クロ高勝ったら連絡してくれや」
「……はい」
力なく返事した宮城。
(投げ合おうって言ったろ……レイ)
(やはり敬遠して大場と勝負はリスキーだ。大坂と勝負するしかないよな……)
金条も、古堂に触発されたのか、勝負に出ることにした。そもそも、クロ高のレギュラー陣は、誰もこの勝負を避けようとはしていなかった。
古堂の初球――低めに外したストレートは、大坂も見送ってボール。――金条は2球目を要求する。内角高めにシュートだ。大坂は打ち崩してファウルとなる。
(おっ……やっぱ前よりキレてる。打席に立つとより一層)
にやりと笑った強打者に、古堂の目つきが変わる。それを咄嗟に感じとったのは、対面していた金条だった。
(スイッチ入ったか……さあ、どうカウント稼ごうか。ストレート、シュートと投げたし、普通に考えればスローカーブ。でもそれでストライクが取れたとして、次をどうするか……1球見た球は確実に打ってくる。そもそも、スローカーブでストライクを取れるかどうかすら微妙だ)
金条が必死で思案する間にも、古堂は腹が決まったらしく、早くサインをという姿勢でいた。金条は渋々スローカーブのサインを送る。確実にストライクゾーンに入るよう、中央高めのところだ。古堂はすぐさま首を振った。
(そんなところに投げたら打たれる。外角低めで行こう。ギリギリ入れるイメージでさ)
古堂の要求したサイン――金条はここで思い至った。
(打たせて取る方法がある……リスクがあるが、古堂の緩急の付け方の上手さを考えれば行けなくもない)
金条は頷いて、低めギリギリのスローカーブのサインを送り、グラブを構えた。
(こい)
金条のまっすぐ据えられた目に答えるように、古堂は大きく開いた目のまま、指先に全神経を集中させ、投げた。
ゆっくりと弧を描くボール。古堂の表情は無――全てを悟ったかのように。大坂はしっかりとボールを目で追っている。
(予想通りだ。あのとき俺を討ち取ったこのボールを打ち返すことはとても楽しみだったんだよ)
大坂がバットを振る。古堂の投げたスローカーブはゆっくりと回転しながら、緩く弧を描き続ける。そして、降下をし始める。
(もらった!!!)
大坂が全力でバットを振るう――――――刹那、古堂の投げたスローカーブは急激に落下。
(はっ!!)
ワンバウンドした投球。金条のミットに収まる。息を呑む金条。目の前には、空振りしたバットを強く握っている大坂の姿。
「ストライク!!」
主審の大きな声。ランナーである江戸川と畑中の顔にも焦りが見える。大坂は大きく息を吸う。バットを構え直した。
(キレが増したのはシュートだけじゃなかったか。悔しいが、こればっかりは油断した俺のミスだな)
金条は思わず笑ってしまった。不覚にも、古堂の投球の凄さに気づいたのだ。
(こいつは凄い。大場さんを抑えた時よりも、溝口さんを抑えた時よりも、里田さんを抑えた時よりも、大坂さんとの勝負のときの方が、キレが増している。後になればなるほど、ピンチになればなるほど、強い打者になればなるほど……こいつのパフォーマンスは上昇してやがる)
2ストライクに追い込んだことで、クロ高ベンチにも希望の色が見える。
「古堂行けるんじゃね?」「やっぱ前三振したのは嘘じゃなかったんだな」「行けるぞ古堂!!」
全員が、マウンドに立つ古堂黎樹に声援を送る。
緊迫した試合。大坂のアーチを期待するもの、古堂の奪三振を期待するもの、全員がざわざわと球場内を騒がしくしている。
(最高だ……この雰囲気、この歓声、大坂さんから伝わる熱意――――!!)
古堂が投げた4球目。低めにシュート。ギリギリで外している。ボールだ。大坂はしっかりと見逃す。
(今の見逃すのはさすがとしか言えないな)
金条の顔から多量の汗。大坂はこの状況で笑っている。
「さあ、次は何だ? コドウレイキ」
彼のこの言葉に、金条は戦慄を覚える一方、少し誇らしさを感じた。
(やったな古堂。お前も……鷹戸と同じく、白銀世代の大坂大磨に、認めてもらえたぞ)
金条は5球目のサインを要求した。投げた古堂。ボールが、外側にシュート回転していく。
(シュート……だな。お前の思惑通り、簡単に三振にはならんぞ)
しっかりとバットを降ってきている。アウトコースに対応して、しっかりと踏み込んでいる。
(アウトコースに投げたら打たせて取ることができるなんて思っていないさ)
金条が笑った。古堂のシュートは、回転による風の抵抗を大きく受けて外側に鋭く曲がっていく。しかし、大坂はしっかり外角狙いでバットを振っている。
(!!)
目を見張った大坂。そして観客全員が向けた視線は、古堂黎樹と、キャッチャーミットに向けられていたのだった。
クロスファイア……対角線状に投げられた投球のこと。左投手なら右側に、右投手なら左側に投げたときのことを指す。




