第23話「機転」
新田は、焦る気持ちを必死に抑えながら、つづく5番、大場秀平と対峙する。
(一発の可能性がある大場との勝負を避けるのも良いが、6番溝口がやたら今日打つからな……配球読む奴らしいし、変化球主体の俺とは相性が悪いか)
そんなことを頭で考えながら、投げた1球目。完全に甘いところに入ってしまったカーブだが、タイミングを合わせられない大場。空振る。
「落ち着いていきましょう!」
ホームベースから声をかける金条。捕球への不安が先週よりもかなり抜けていて、表情も以前より固くはない。しかし、新田は逆だった。さっきのホームランを打たれたダメージというのは、金条や絹田の予想していたものよりもずっと大きかった。
(完全にあれは俺が油断して大したことないボールを投げちまったからだ。つづくこいつらを……無失点で抑えられるのか? 俺に……)
2球目のスライダー。普段ほどではないがキレている。大場もバットに当てることができない。それゆえ金条も監督も、選手たちも、誰ひとりとして新田が独りでに追い詰められていることに気づいていない。
(ダメだ……今みたいなボールは……大坂にだったら打たれる……。白銀世代に通用するボールじゃないと、ダメなんだよ!)
左から投げられたシュート。右打者大場の外側へと逃げていく。バットを大ぶりした大場だったが、バットからボールがするりと避けていき、金条のミットにおさまった。
「ストライク! バッターアウト!」
「よしっ! ナイス新田!!」
今宮が後ろから声をかけた。
「ああ」
新田の汗がこの前よりもずっと多いことは、この秋とは思えない気温のせいだと思ってしまった今宮だった。
つづく6番バッター溝口。金条のサインに頷き、新田がボールを投げた。初球のスライダー、溝口がしっかりとミートさせて打ち返す。右中間を抜けた打球をセンター山口が拾い、二塁へと送球する。溝口は送球よりも早く二塁ベースに到着した。
(うしっ! 初球打ちが決まるとはな)
嬉しそうに笑った溝口。新田の様子のおかしさに今更気づく絹田監督。
「古堂、ブルペンにいる伊東を呼んで来い」
「あ、はい!」
古堂はベンチの椅子からさっと立ち上がりブルペンへと走る。横目にみたマウンドに立つ男の背負う背番号1がやたら小さく見えた。
(新田先輩……)
伊東律斗は古堂からツブサに話を聞くと、少々焦った様子で頷き、急いでベンチに向かう。
「新田さん……大丈夫なのかな」
林里と返田も心配しているようだった。古堂はじっと新田を見つめている。
7番バッターに、2ボール1ストライクというバッティングカウントがつく。
(大丈夫です。長打さえ抑えられれば!)
金条が要求した低めのツーシーム。新田が投げた。7番志島が流し打ちして一塁線ギリギリへと打球を跳ねさせる。
(まずい抜けたら長打コース!)
全力疾走で2塁ベースを強く蹴った溝口。しかし、一塁手伊奈が打球に飛びついた。
「あ、あぶねえ……」
そのまま一塁ベースを踏み、志島をアウトにした。3アウトでチェンジとなる。
一塁ベースのそのままの上を通り過ぎかけていた打球。伊奈が自分の左手側に飛んでダイビングキャッチしたのは、言うまでもなくナイスプレイであった。3回裏、3-2と逆転されてしまったクロ高だったが、まだ首の皮一枚繋がっている。
「まだ行けるぞ!! この回簡単に攻撃を終わらせるなよ!! 継投作戦をうまくやっていくには、攻撃が一番大事だからな!!」
今宮が、この回先頭打者の金条に対して言った。捕手として、投手を少しでも楽にさせてやりたいという思いの彼は、意気込んだ様子で打席に立つ。しかし、江戸川の150kmの直球に対して、目こそ追いつくも、ファウルに切るしかできない。結局フォークにやられて三振に倒れる。小林、佐々木と下位打線を完全に封じ込めた江戸川。クロ高は4回表の攻撃を三者凡退で終える。
4回裏、後攻、秋江工業高校の攻撃。ここで投手を交代し、背番号10の二年生ピッチャー、伊東律斗が登板する。ベンチに下がった新田の表情は完全に自分を追い詰めすぎて疲れきっていた。
(やはり打たれ弱さはまだ完全には抜けていなかったか――ハマれば強い分、こういった精神面を磨いていかないと、勝ち上がるのは厳しいかもしれないな)
絹田が無言で、俯く新田を見ていた。
「いい球走ってます! 大丈夫です!!」
金条が伊東の球を何度か捕って確認する。どちらかといえば速球派の伊東は、最速145kmのストレートと、黄金世代の閑谷に憧れて取得したフォークボールが武器だ。今秋初登板である。
「直球主体の右の速球派か? だったら大坂にとっちゃあこの上ないカモだな」
秋江工業ベンチメンバーがそう言って大坂に言う。選球眼優れた彼にとって、フォークボールとストレートを見分けることなど難なく行う。
しかし、8番バッター杉真一は、リリーフの方が、球速が早いことに戸惑って全く打てず、三振に倒される。
「くあー、何で新田より球早いんだよあいつ」
「杉さん、江戸川さんに比べればたいしたことないですってあんなの」
そう言ってタカを括って打席に立った9番楠成礼太もピッチャーゴロに抑えられてしまう。早くも2アウトとなり、打順は1番に還って江戸川が打席に立つ。
(高めでもフォーク投げてくることあるから危ないな……実際に楠成はあれにやられたみたいだし)
初球低めのフォークを見逃す江戸川。様子見だろう。次は高めのフォーク。先ほど楠成を頃に討ち取ったボールだ。手前で重力に急激に引っ張られるボール。真ん中に入ってストライクとなる。
(なるほど。黄金世代の閑谷さんがこんなフォークを投げていたな。一見すると直球。でも手元で急にすっと落ちるスプリットみたい――だけど変化量はその数倍もある。そんなフォークボール。でもこいつのそれはあくまでマネッコ。まがい物に過ぎねえ。球速は閑谷さん以下だから回転も見やすいし、曲がり始めもだいぶ早い)
そう言って3球目のフォークボールをしっかりと打ち返した江戸川。打球がライナーで外野へ飛んでいく。
「レフト!!」
伊東が叫ぶ。小林翔馬が何とか掴み取った。1番江戸川をレフトフライに倒す。4回の守備を無失点に抑え抜いた。
「ナイピ伊東先輩!」「小林先輩のキャッチすごかったですね」
守備を称えるベンチの古堂。
「だけど、次は大坂。どうしますか伊東先輩」
「あ、わりぃ打順俺だ。すまん、後で話し合おう金条」
「はい!」
打席に立った伊東。バッティングはからっきしだったが、何とセカンド杉のエラーによって出塁できたのだ。
「いよっしゃ!!」
「チャンスだ! 続くぞ!!」
一番打者に還ってきたクロ高打線。田中はバントを試みるが、江戸川の球威に負けてファウルになってしまう。
(ノビるなあ……なぁんであんな簡単にバントできるんだよあのやろう)
田中が四苦八苦している。江戸川もかなり気合を入れたピッチングをしているので、自然とノビも球威もましている。いよいよ2ストライクまで追い込み、バントができない状況を作り出す。
「うしっ!」
江戸川の顔に余裕が見られた。田中はヒットを打とうと狙っている。
(追い込まれたら仕方ねえ!!)
しかし、江戸川がここで1球投げたのは、チェンジアップだった。田中はタイミングを合わせられずに空振りしてしまう。
(うぐ!)
三振。バッターアウトとなる。悔しそうに打席を去る田中。
(そ、即席チェンジアップナイスすぎるだろ……)
投げた江戸川も、捕った溝口も驚いていた。
「ナイス江戸川!(江戸川は器用だから投げられるとは思ったけど、こんなしっかり……即席でよく投げたっ!!)」
溝口の言葉に、江戸川もにやりと笑った。
「サンキュ!(何でこの場面でチェンジアップ急に投げさせるかなあ……練習で一回しか投げたことねえのによ。マジで溝口最高じゃねえか)」
白銀世代のピッチャー、江戸川凛之介。彼の活躍の裏には、溝口の配球があることは秋江工業監督、紅葉も深く理解していた。それは、絹田監督も同じように考えていたことであった。
(打席も今日2安打……溝口をどちらかで崩せない限り、この悪い流れは断ち切れないか)
しかし、続く今宮、山口がヒットを打ち、チャンスができている。満塁だ。
「さっきまでピンチだ、ピンチだ、そう言ってたのに、もう逆転のチャンス――だから野球は面白い」
そう呟きながら打席に立つのは大滝。先ほど二塁打を放っている。1アウト満塁の場面で、一番回したくない存在だった。秋江工業も相当警戒しているのか、マウンドに内野陣を集めるキャッチャー溝口。
「……どうする、敬遠で一点与えて伊奈、金条で仕留めるか?」
「ゲッツー狙いの超前進守備とかどうよ?」
「リスク高すぎないですか? 大滝くんって長打タイプですよ?」
「どうせ俺が返してやれるんだから幾らでも点やっとけよ」
「大磨は本当に適当だな」
「……勝負する。俺がこのチームのエースだからな。4番と勝負避けて勝てるほど、クロ高は弱くねえぞ」
「よし決まり。いつもどおりで行こう」
江戸川の決意の言葉を聞いて、溝口がミットを右手で叩いた。踵を返して江戸川を一瞥する。
「打たれても大丈夫だ。お前も打てるんだし、乱打戦上等だろ?」
溝口が笑ってみせた。江戸川も笑う。
「乱打戦かぁ……打者としては燃えるけどな。投手としてはクソ萎える」
江戸川が投げた初球フォーク。空振りにする。2球目スライダー。空振りにする。3球目ストレート、ボール球。4球目フォーク。ギリギリのところでカットされる。5球目カーブ。これを大滝は狙っていたかのように打ち返したのだった。
チェンジアップ……投げるときにあえて球速が落ちるように投げることで、バッターがタイミングを合わせづらくなるボール。




