第19話「淡々と」
歓声が心地よい。送球がいつくるのかとおびえる必要もなく回るこのダイヤモンド。最高だった。三塁キャンパスを踏んでホームベースへ走ってもどる大滝を迎えていたのは、ベンチから飛び出したチームメイトたち。
「ナイスだ大滝!!」「最高だぜ真司!!」「お前なら、打てると、信じてたっ!」
逆転の一打二打点を挙げた大滝。古堂や金条、林里ら一年生とハイタッチをした後、田中や山口などからも肩をグーで軽く殴られた。
「狙ってたのか?」
今宮がにやにや笑っている。大滝は頬を人差し指で掻きながら苦笑いした。
「え、ええまあ……。俺長打だと外野守ってるところに飛ばしちゃうんで……」
(外野守ってるところに飛ばしちゃうからホームラン狙ったってかよ……ふざけんじゃねえよ!)
平田がマウンドのプレートの砂をスパイクでとっぱらう振りをして、強く踏み蹴った。歯を食いしばっている。
(何だよ……今日俺めちゃくちゃ調子よくて……こいつなら打ち取れると思って……ストレートとドロップカーブで緩急織り交ぜて必死で配球考えて……それでやっと追い詰めて……なのに、なのに)
「お、おい恒ちゃん大丈夫か?」
周囲が心配する声に、平田の食いしばられた歯の隙間から笑い声が聞こえてくる。
「ふ、ふふふ……はははは。あーダメだぁ……。わりぃ、勝ち急いじまった。しっかりボール球投げてバッターの打ち気逸らせるの忘れてた。(多分……こいつなら勝てると思って見くびった時点で、冷静にただ打ち返すことを考えていたあいつに勝てるわけがなかったのか)」
ランナーがいなくなり、つづく5番バッター伊奈を相手にする平田。逆転されたことによって緊張の糸が途切れるかと思い、一気にここで畳み掛けたいクロ高打線。伊奈は積極的にバットを振るが、つまらされた末にショート猿渡に捌かれてアウトとなる。6番バッターの金条も同じ結果に陥り、結局逆転したとは言えど1点差を逃げる状況で7回裏を終えることとなった。そう、鶴高校エース平田恒太は、本塁打を受けて調子を崩すどころか、むしろ上げていた。
「ナイス恒ちゃん!」
猿渡が駆け寄って拳を合わせようとしてくる。平田は鼻で笑った後にそれに応える。
「まだお前の攻撃が一回回ってくる。だから大丈夫だよな。猿」
「当たり前だ」
8回を迎えようとしている今試合。バッティングで一切貢献できず、二度の失策。自責点まで作ってしまっているキャッチャー金条は大きく息を吸って、吐いた。
「さっき投球練習やってもらってたが、やっぱりお前の方が安定感あるな」
現在登板している鷹戸にさきほどそう言われたものの、やはりエースの球を取れなくては背番号2を背負う資格など無い。それでも今は、このチームの正捕手としてできる限りのことをやらなくてはならない。そこまでのことは割り切っていた。
(ヘコむのは試合の後だ……今日の反省は多くなりそうだ)
8回表。一番バッター猿渡がここで回ってくる。
「おねがっしゃす!!」
大きな声で叫ぶ猿渡。ここで決めなければ――鶴高校に負の一文字が強く浮かぶ。鷹戸はそんな鶴高校の事情など気にもとめない様子で、初球から低めギリギリのストレートを投げた。
(重そうな球だな)
しっかりと1球目を見た猿渡。キャッチャーミットの鈍い音から、その球威の凄まじさをだいたい推測した。
(俺にパワーが無いから打ち転がすもしくは打ち上げると思ってるんだろうな)
2球目のジャイロボールは沈む方だ。ノビのある方との区別がつかないのでそうそう打てるものではない。ストライク……一気に追い込まれる猿渡。
(恒ちゃんたちに……強豪倒さねえかって啖呵切ったのは俺なんや……。だから俺が打たなあかんのや!)
3球目。鷹戸のフォーシームストレートを捉えたバットだが、球威に耐えられず、ボールは後ろへと飛んでいく。キャッチャー金条が腰を浮かせるよりも早くスタンドの前にはってあるネットに打球が直撃する。
(……スイング速いな)
金条が猿渡のスイングスピードを見て、高めの配球に変更した。低く鋭い打球を打たれるのは、彼の足を考えると内野安打になる可能性すらある。それなら外野に飛ばしてくれた方が都合いい。
4球目のツーシーム。高めに外れてボール。
(制球早くも乱れてきたか?)
新田にトレーニングしてもらったとは言え、まだ完璧にその怪物球威のボールをコントロールできているわけではない鷹戸。未だエリアの隅やギリギリへの際どいところに正確に投げられない。
(バッティングはパワーじゃねえ。ボディコントロールなんだよ)
猿渡が、鷹戸のフォーシームを捉えた。球威に負けていない鋭いスイング。しかし、タイミングが少し遅く、打球は一塁線を切れていく。
「……鷹戸の球に慣れ始めてますよ」
古堂がベンチから心配そうな声を出す。ライバルとは言えど、チームメイトとして、なんやかんやで打たれるのは嫌らしい。
「ここであいつの持ってるあの変化球だな。今日まだ1球も見せてない」
新田が言った『あの変化球』。それを6球目に投げてきた。猿渡の鋭いスイングが鷹戸の球を狙ったが、白球は打たれる寸前に、急に勢いを失ったように沈んでいく。
(これは……しまっ)
鷹戸が今投げたボールはスプリット。正式名称はスプリット・フィンガー・ファストボール――一見するとストレートのようにまっすぐ進んでくるのだが、ボールの握り方が中指と人差し指の第二関節でボールを挟むように持つというフォークの握りを浅くしたような形であることから、打者の手元で急にフォークボールのような変化を見せるのである。変化量こそフォークに劣るものの、曲がり始めは遅く、球速も速いことから、そうそう打ちやすいものでもない。
バットの芯から大きく外れたところで掠ったボール――鷹戸の正面へと無様に跳ねて転がっていく。無駄に球速とスイングスピードがあったために、打球もかなりゆっくりというわけではなく、鷹戸のピッチャーミットに打球が収まる頃は、まだ猿渡が走り始めたばかりだった。
「猿! まだ間に合う!!」
(間に合わねえよ……。俺が登板したら出塁すらさせねえって)
鷹戸がその強靭な肩から伊奈のファーストミットめがけて全力投球。さすがの猿渡も、クロ高屈指の速球派の肩から放たれる白球よりは早く走れず、一塁に間に合うことなく凡退となった。
「ナイス鷹戸!(全力投球痛い!!)」
伊奈が叫んだ。目にはうっすらと涙が。痛いのである。それくらい鷹戸は送球に力を注いでいたのだ。
「さ、猿渡を……凡退に」
古堂が言葉を失う。白銀世代と力勝負で勝ったのだ。とはいえ、金条の配球による尽力も、この打席の勝因の一つであった。
「金条は、よくあそこで冷静にスプリットを投げさせることができた。ナイスだな」
新田も素直に褒めている。やはり、金条はリード面ではかなり優秀だ。
(猿渡倒れた今、鶴高校打線の勢いはもうつかない。ここから大逆転を起こされて負けたならば、逆に光栄なくらいだ)
絹田監督は冷静にベンチから立って試合の状況を冷静に分析する。鷹戸は俄然調子よく、つづくバッター2名を凡退に討ち取ってみせたのだ。クロ高も8回裏は三者凡退になってしまい、9回表……とうとうラストイニングだ。
「ここ抑えたら勝ち――しかし、焦らないこと。まだ俺たちの攻撃だって残ってる。先頭打者平田だし気を付けろよ」と今宮がバッテリーに告げた。金条は静かに頷く。鷹戸は不機嫌そうだ。
(何を警戒する必要があるんだ――って顔だな。こいつ、敵を軽く見すぎなんだよな)
金条は平田を大きく警戒している。しかし、鶴高校ベンチはそんな金条の心配をよそに、暗く沈んだ空気を纏っていた。
「悪い……あんなに大見得切って討ち取られて……」
猿渡の朗らかな声は、このときばかりは暗くなっていた。8回表――猿渡から始まる打線だったが、先頭の猿渡が、鷹戸のストレートの球威に打ち切れず、最後はスプリットにかかって凡打で終わったしまったことで、続く二人も撃ち取られてしまったのである。しかし、今打席にたっている平田は、先程こう言って去っていったのだ。
――謝るな。いつも助けてもらってるのは俺たちの方だろ? 今日くらい活躍させてくれ。
笑顔の平田。何かが彼の中で吹っ切れたようだった。
(俺ができたことと言ったら、せいぜい投げ抜いたことくらいか。強豪に勝つことを目標にやって来たけど、結局いつのまにか俺自身の勝利ばかりに目が眩んでたな……)
外角高めのストレートは見逃す。球速はある。球威もある。変化球も持っている。鷹戸遥斗は、そんなピッチャーだ。二球目のツーシームをカットしてファウルになる。球威に押されて中々自分の思う打球が出ない。
(俺が勝てなくたって……チームが勝てばいい。強豪に勝ちたいって思ってるのは、俺や猿だけじゃない!)
聞こえる応援の声。野球部以外の人たちも、きっとスタンドから声援を送ってくれているに違いない。構えるバットの先に力が込められる。対峙する目には鷹戸が写る。
三球目のボールを見逃す。ジャッジはボール。カウントは依然としてバッテリー有利だ。それでも平田は、ただじっと、鷹戸が投げる瞬間を見ている。
(……俺たちは……まだ終わってない!!)
まっすぐに飛んでくるジャイロボール。独自の螺旋状回転による加速だ。平田が体感している球速は、実際の計測よりも速く感じるだろう。それでも平田は、ただ純粋に、まっすぐに打ち返したのだった。
「っ!!」
鷹戸の頭上を越えた打球は、ショート田中の頭上も越える。上背のない田中が精一杯手を伸ばすも、届かなかった。
「山口!」
田中が叫んだ。しかし、鷹戸の球威を信頼してか、浅めに守っていた山口の頭上も越えていった。その間にも、平田は一塁を蹴って二塁へと走っていく。
「おっしゃあ!!」
二塁キャンバス上で叫んだ平田。一点を追う9回表にて、ノーアウト二塁のチャンスを作り上げたのだった。
続いての五番バッター、鷹戸は打たれたことを何ら気にすることなく淡々と投球を再開した。その球速にバットは掠りもせず、2ストライクと追い込まれた三球目、何とかバットに当てた。
(一塁線転がった!)
ただの凡打だが、その間にも二塁ランナーの平田が走って三塁へと向かう。鷹戸のピッチャーミットに収まる打球はすぐさま一塁へと投げられる。この作業も淡々としていた。
「しゃあ! 次打ったら同点だ!!!」
叫んでチャンスを盛り立てる鶴高校ベンチ。6番バッターがバットを強く素振りしている。
「ランナー気にしないでいい。三振に取ればいいんだ」
「ライナー来たら取ってやるぞ!」
キャッチャーの金条や、バックの内野陣がマウンドに立つ鷹戸に声をかける。
(打たれるかよ……)
鷹戸が投げたのは、沈むジャイロボール。初球から振ったバットが上手くミートした。
(ら、ラッキー!!)
しかし、予想以上の球威に、打球は伸びず、ピッチャー鷹戸のミットへと転がっていく。それでも平田は三塁からダッシュしてホームベースへと向かった。この瞬間を逃せば、もう追加点のチャンスはゼロだ。
(俺たちは、まだ、終わってない!)
平田がホームにヘッドスライディングをする。しかし、鷹戸はいつも通りに淡々とゴロを捌き、キャッチャー金条へ送球する。いつも通り捕球した金条は、いつも通りのブロックで、帰還してくる平田にタッチした。
「アウト!」「一塁!」
審判の声が聞こえてまもなく、伊奈が金条を呼ぶ。金条は即座に反応して一塁に送球した。
(すいません……平田先輩!)
六番バッター決死のスライディングも間に合わず、伊奈のファーストミットが先に鳴り響く。
「アウト!」
サイレンが鳴る。試合終了の合図だ。
鶴高校 3―4 黒光高校




