第17話「意地」
伝令がやってくる。二年の伊東だ。マウンドの中央で帽子をかぶり直している新田に駆け寄る。内野陣も共に集まってくる。伊東が言葉を詰まらせなら問う。
「お前……大丈夫なのか?」
「何だお前……リリーフか?」
新田は少し冷徹な声色で答えた。
「すみません新田さん……俺」
金条の顔面は、夏の日焼けが嘘のように真っ白だ。声が少し震えている。
「なあ金条」
新田が青空を見上げる。
「このままじゃ……終われねえよな。俺を信じて、ラスト捕球頼む」
彼の声の、少し冷徹な具合は一切変わっていない。それでも金条は首の皮一枚繋がったような顔を見せた。真っ白の顔に流れる汗をぬぐって大きな声で返事をした。
「もちろんです!」
彼の言葉に、新田は鼻を鳴らす。
「さんきゅー伊東。でも『俺らは』大丈夫。ラスト一人、最後までやらしてくれないか?」
伊東はその言葉を聞いて頷き、安心した面持ちでベンチへと戻っていく。
5回表ツーアウト。ランナー一塁。打席に立つのは三番バッター。今試合無安打だが、一回には犠牲フライによる打点を挙げている。甘い球を投げるのは危険だ。1球目は低めのつーシーム。空振りさせる。2球目はシュート。きわどいところをついて見逃しのストライク。金条の捕球もしっかり追いついている。3球目。金条のサインに逆らうことなく頷き、新田は肩を振り抜いて指先に力を込め、投げた。
(何で失点後にそんなキレのあるスライダーを……!!)
3球目に投げたスライダー。金条の構えたところにすぱっと入ってきた。
(ナイスボール)
空を切るバット。ボールは何にも邪魔されることなく、ただただ金条のミットの中に入ったのだった。
「ストライク! バッターアウト!」
新田の渾身の1球。そして金条の意地の捕球。5回最後のバッターを三振に抑え、鶴高校の攻撃を強制終了させた。
迎える5回裏。黒光高校の攻撃。2点を追うこの場面で、先頭打者は一番ショート、田中遊。
「っしゃあ! 打つ!」
叫ぶ田中。初球ストレートを見逃す田中。
(……白銀世代は上位打線三人。送りバントと守備の力以外では一切こいつらからアウト取れてない)
ドロップカーブ。引っ掛けた田中。打球はファウルグラウンドへ緩く上がる。走るサード。打球に飛び込む。田中は走る。打球はフラフラと落ちていく。頭からファウルグラウンドに滑り込むサードだったが、打球をグラブで弾いてしまう。
「フェア!」
野手に触れたボールはフェアボールとなり、サードのエラーが記録された。先頭打者、田中が出塁したのである。
「わ、わりぃ恒太!」
サードが頭を下げる。
「気にすんな! ああいうプレイができねえと勝てねえぞ!」
平田がエラーしたサードを激励する。
(確かに今のは責める場面じゃねえ。攻める気持ちを無くしちまうからな。できるじゃねえかあのピッチャー)
今宮が打席に立って平田を見る。初球からバントをしかけてくる。送りバント成功で1アウト2塁。チャンスの状況で打席に立つのは、今日一安打の山口寿。
(このバッターは嫌いだ……どんな球でも無難に打ち返しそうなところがなあ)
平田がまっすぐ見ている糸目の男。彼を見据えたまま左足を上げて、左肘につけて……投げた。外角低めのストレートが外れボール。
(んー、どうしようか。どうやって討ち取ろうか)
ずっと思案しながら投げ続ける平田。サインはキャッチャーが送るのではなく、平田自身が投げる球種を決めている。フルカウントの次の6球目。しっかりと投げられたドロップカーブ。しかし山口はミートさせる。流し打ち方向である一二塁間へと飛んでいった。
(だっ! くそっ!!)
悔しそうに歯を食いしばる。ライトが打球を取って投げるが、ランナーは一塁、そして三塁へと既に到着していた。つづくバッターは、四番大滝。先ほどの打席ではピッチャーライナーに倒れていたが、今試合打点を挙げている。初球のドロップカーブ。低めにはずすように投げた。しかし……
(回りくどいんだよ!!)
初球からバットを振り抜いた大滝。バッターボックスの前の方で振ったため、落ちきる前のボールをしっかりと捉えたのだった。高く打ち上がった打球はセンターの頭上を越えていく。
(……強豪と戦えていたと思っていたのは……俺だけなのか?)
スタンドに直撃する打球。田中がホームベースを踏む。呆然と立ち尽くす平田。一塁キャンバスを蹴る大滝。打球に追いつくセンター。中継に走る猿渡。
「うらっ!」
センターが送球。猿渡が捕球。ホームベースに帰ろうとする山口は、その瞬間に足を止めて三塁でストップした。
「だぁ帰還できずっ! 惜しい!!」
古堂がベンチで悔しがる。しかし、ベンチに戻ってくる田中が嬉しそうにガッツポーズするのでしっかりハイタッチを送る。田中が笑いながら言った。
「ナイスバッチだな大滝のヤツ!」
「進一さんみたいなバッターではないけど、あいつはあいつでバッターとしての才能があるのかもな」
今宮もこの場面でしっかりと長打を決めた大滝を褒める。
(すっげえな真司……)
アイシングとダウン、ストレッチをしている新田も、嬉しそうに口角を上げた。
「金条、お前ネクストバッターだぞ」
「あっ、わりぃ」
ブルペンで捕球していた金条は、鷹戸に言われて打席へと向かう。しかし前の打者の伊奈が浅い外野フライに倒れ、2アウトでランナー進められず。
「惜しい惜しい伊奈」
「ああ、わりいな」
伊奈と会話を交わす金条。バットをしっかり握って打席に立つ。
(ミスした分はしっかり返さないとな……)
1球目のストレートは見逃す。平田はしっかりと金条を見ている。
(こいつは慎重派。初球は見逃す。そして……変化球はしっかり見ないと打てない)
2球目のドロップカーブを内角ギリギリに入れる。2ストライクと早くも追い込む。そして3球目。金条の意地で振り抜かれたバットは、平田の『強豪との勝負』によって生み出され続ける意地の前に、空を切るのだった。
「ストライク! バッターアウト!!」
「っしゃああ!!」
吠えた平田。1アウト二塁三塁のピンチを、二者連続凡退で凌ぎ切った平田。猿渡が後ろから駆け寄って頭をグラブで叩く。
「すげえじゃねえか恒ちゃん!!」
「ああ! やった!!」
1点差に縮められはしたが、長打が出れば一気に逆転という場面で三振に切ってとった平田の投球は、間違いなく鶴高校を勢いづけた。
6回表、マウンドに上がるのは背番号10を背負う男。
「選手の交代をお知らせします。9番、ピッチャー、鷹戸くん」
鷹のような鋭い目。大きな背中。広い肩幅。打席の近くで立つ4番平田をまっすぐ見据える。
(ピッチャー交代か……流れを断ち切る意味でもここの継投はさすがの絹田監督と言うべきかな)
マウンドでの投球練習を軽く行う。直前では本気を出したくない性質の彼は、軽く2.3球投げる。
(球速は……そんなに早くないし力もない。もしかしたらこないだ先発だったときよりも調子崩しているとか?)
打席に立った平田。1球目。低めに入るストレートを見逃す。そして、目を見張る。
(そんなこと無かったじゃねえかよ。投球練習手抜いてたのかよっ! 腹立つぜ)
143kmを記録する球速。伸びるストレートに手が出なかった。続いて高め。コースはそんなに厳しく無いのでバットを振り抜いた平田。
(うっ! なんだこれ!!)
打ち上げたつもりの打球は下向きに転がっていく。鷹戸が投げたのは『沈む』ジャイロボール。ボールを放したときに指に力を入れて螺旋状の回転を付けたことによってフォーク方向に少しだけ沈むのだ。逆方向に力をかけると、打者の手元でノビるのだ。
「……新田さんからヒットを打ったかと思えば……大したことねえな」
ピッチャーミットの中にしっかりと打球を収め、一塁伊奈のもとへ送球。アウトとなる。
(の、ノーマークだ……こんな投手がいるなんて一年だぞ。暗黒世代じゃないのか?)
まさかフォーシームとジャイロボールを使い分けする投手がいるなんて――と打席に立ってゴロに倒れた平田は思った。つづくバッターはキャッチャーフライ、三人目もピッチャーゴロに倒れ、三者凡退で6回の攻撃を終えた。
「完全に鶴高校の流れを断ち切りやがったあのピッチャー」
観客が鷹戸の投球にざわつき始める。しかし平田の闘志はまだ燃え尽きてはいなかった。ゴロに倒れた直後の6回裏の攻撃――7番小林、8番佐々木を凡退に抑えた後、鷹戸にヒットを打たれるも、1番田中を三振に打ち取り、その調子の衰えなさを証明してみせた。
(平田すげえな……夏になったら化けてるかもしれねえ)
新田は手を組みながらベンチで彼を見ていた。5回でスタミナ不足を心配される自分とは大違いだ――と。
それでも、鷹戸は顔色一つ変えずに、7回表、下位打線をノーヒットで押さえ込んだ。そのうちの二人は三振で討ち取った彼に、平田や猿渡の顔にも焦りの色が見られる。
「恒ちゃん……大丈夫なんか?」
「ああ、まだ一点勝ってる。それだけでだいぶ楽な気持ちさ。9回まで投げ抜いてみせるさ」
「サンキューな。絶対に8回に追加点上げたるわ」
ベンチで精一杯盛り立てる猿渡。背番号10を背負う控えピッチャーが平田に声をかけた。
「先輩! 俺も控えてるんでガンガン攻めてくださいね!」
「ああ、絶対に抑え抜いて見せる!」
平田が自分自身を鼓舞するかのように左胸を右手で叩いた。




